日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

サクラ散る…春の終わり。

2016-04-11 08:55:07 | 日本語学校
路面には「サクラ(桜)」の花びらの花だまりができています。ときどき風に追いやられて、道の真ん中まで出てきて踊っていますが。

不思議なもので、土曜日も見頃の「サクラ」があるにはあったのですが、既に「花見の興奮」は冷めやり、街は不思議な静かさに満ちていました。

咲くまでのドキドキ感、咲いてからの「今、散るか、今、散るか」のハラハラ感、そして散るときの「洗われていくような清々しさ」。

こういう感覚を他者に覚えさせるということだけでも、「サクラ」は日本人にとって特別な花なのかもしれません。確かに美しいことは美しい。けれども、美しい花なら、「サクラ」以外にもたくさんある…。

というわけで、「サクラ」は葉桜となり、今、人々の思いは散っていった桜の花びらの行方にあります。で、樹の下を見ると、「タンポポ(蒲公英)」やら、「ナノハナ(菜の花)」やらが咲き、その愛らしいこと。「シバザクラ(芝桜)も満開になりましたし、七重八重の「ヤマブキ(山吹)」も咲き始めています。

けれども、「サクラ」が終わってしまうと、春が去ってしまったような気持ちになってしまいます。さびしいですね。物憂げな寂しさです。

さて、先日、中国人の友人と会いました。そのとき、何のついでだったのかは忘れましたけれども、ちょっと聞いて見たのです。どうして中国の役人や政治家は巨万の富を築けるのかと。

おかしな話ですが、中国は古来から、法治ではなく人知の国といってもいいほどですし、それゆえ、人は上位の者や権力者の「ひき」を求めて金品を送ってきた…。つまり歴史的にも「賄賂」が横行していた国であった…。

善し悪しはともかくとして、昔からそうしなければ、一般大衆は権力者から何もしてもらえなかったし、甚だしきは生きていけぬことさえあった…。だから、嫌なことですが、一般大衆がわずかばかりの金を地方の役人に貢いで、生きんがための便利をはかってもらおうとするのはやむを得ぬことであると思っていました。

この権力者というのは、中央政府の偉いさんだけでなく、いわゆる地方の「芝麻官(吹けば飛ぶよな木っ端役人)をも含みます。官位が下であればあるほど、やり方もえげつなくなるものですし。

で、(中国の官は)賄賂だけであれだけの金を稼げるのかと不思議に思い、聞いてみたのです。

ところが、答えは「情報を先に入手するから」でした。一瞬、自分の愚かさに腹が立ちました。

そうですね、情報は金だったのです。特にああいう情報に関して締め付けが厳しい国であればあるほど、そうなるのは当然であった…。

それを封建制の頃からの、「賄賂」だけで片付けていたのですから、私は…迂闊…本当に迂闊者。

日本語を学びたいと、日本語学校に来る学生達の国はいろいろです。中国は確かに地理的には近いけれども、遠い国…(やり方も考え方も全く違う)であると、中国にいたときには(私は)思っていました。

けれども、ほかの国、東南アジアや南アジア、中近東や中南米などから、学生が来てみると、東アジアは東アジアなのです、やはり、中国も日本も。中国も日本もやはり共通点がたくさんあるのです。

もとより、「いや、違う」と言う人もいるでしょう。けれども、ここは学校ですから、勉強に関する面からだけいえば、勉学に対する考え方とか姿勢とか、共通点が少なくないのです。

他の国はもっと違う。カンニングが当たり前の国。学費を払うのに、「私はお金がない、お金がないから払わなくていい(はず)」と、そういう態度で恥ずるところのない人(アルバイトしていますから、他の学生と同じように金はあるはずです。けれども酒を飲んだり、遊びに行ったり、そういうことに使って平気で、ないと言うのです。最後は金が足りないから進学できないと、泣きついてきたりするのですが…)、学校に来て座っていれば、勉強をしていると豪語できる人…。

もう、いろいろです。中国の学生が来たときにも、もちろん、いろいろな問題がありました。けれども、どこか共通の土台に立って話せるところがあったのです。

不思議ですね。いろいろな面でお互いに対立したり理解できなかったりもするのですけれども、東アジアは東アジアで、それなりに一つの文化圏なのですね。

日々是好日
コメント
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