きれいな形の鳥を見かけました。二羽でしたから、もしかしたらつがいなのかもしれません。尾が長く、ゆったりと樹に止まろうとしていました。鳴き声も「ふう~ん」と人が言いそうなリズムで、「ヒヨドリ」のカンに障るような叫びとは違います。もしかしたら、昨日の強風に吹き飛ばされてやってきたのかもしれません。
鳥といえば、ここには、東京の郊外でよく見られる「シラサギ(白鷺)」が来ないのです。水田も畑もないからでしょうが、たまに見たくなります。いくら大食漢で、「コイ(鯉)」などの天敵であるとはいえ、その姿は優美で、見られないとなると寂しいものです。
もっとも、その代わりと言ってはなんですが、時々近くの海から海鳥がこちら側に流れてきたり、海で何日か羽根休めでもしてからまたどこかへ向かっているのでしょう、渡りの鳥が見られたりしますから、どちらがいいとも言えないのですが。
最近は、犬の散歩に付き従っている人の姿を、よく見かけます。リールを長く伸ばされてしまうと、自転車通勤の身としては、、車道の方へ避難しなければならなくなるので、少々困りものなのですが、まあ、人も動物もどこかしらおっとりして見えます。大型犬や中型犬が多いということもその一因なのでしょう。小型犬は、せわしないし、直ぐ吠えるので、通勤途上は、あまり出くわしたくない相手です。
ところで、学校の周りは、犬ならぬ、猫たちの天国のようです。よく巡回している「巡回猫」を見かけるのですが、それも一匹や二匹ではありません。最近は、真向かいの駐車場の端っこに、いかにも暖かそうな毛布が丸められて置かれてあり、そこが格好の寝場所になっています。ちょうど日溜まりになる箇所なのです。
見るたびに違う顔の猫が寝ているようですから、うまい具合に棲み分けが出来ているのでしょうか。時々激しい争いを耳にし、目にもしていたので、ちょっと不安だったのですが、今のところは、穏やかな日常といったところです。ただ残念なことに昨夜から早朝にかけて雨が降って、せっかくの毛布もぐっしょり濡れてしまったようです。お日様に干してやるわけにも行きませんし、ノラ君たちにとっては、今日は辛い一日になりそうです。
いくら猫が好きでも、迷惑がっている人がいれば、餌をやるわけにもいきませんし、毛布を日に干してやるわけにもいきません。世知辛い世といえば、確かにそうなのでしょうが、狭い土地に、みんなが遠慮しながら住んでいる、日本という国では、それも仕方がないことなのです。
よく学生達にこんな話をします。
彼らの国では、初めて見かけた子供であろうと、子供にお菓子をやるのは、悪いことでも何でもないでしょうし、転んだ子供を、親が助けるのに何の不思議もないのでしょうが、けれど、日本では、違うのだと。いろいろな事情や(親の)教育方針があって、事情を知らない人間が勝手に手を出してはいけない場合が少なくはないのだと。
ここに可愛い子供がいるとします。可愛いなと思えば、声をかけてやりたくなるのは人情でしょうし、持っているお菓子をやりたいと思っても不思議ではありません。けれども、そうしてはいけないのです。知っていればまた別ですが、知らなければ、してはいけないのです。
親御さんがいる場合は、まず、親御さんに可愛いお子さんですねと話し掛け、許可をもらってから、すればいいのです。また、子供にお菓子をやりたいと思っても、何でもやっていいわけではないのです。アレルギーがある子供かもしれないし、親が甘い物をやるのを控えている場合もあるのです。
アレルギーのある子供は可哀想です。私の知り合いも、子供が友達の所へ遊びに行く時には、いつも「お菓子持参」でやると言っていました。子供がいくら食べたいといっても、食べると発作やじんましんが出て、苦しむので、食べさせるわけにはいかないのだそうです。また、糖尿病のある家系であれば、小さい時から甘い物に親しませるわけにはいかないので、小さいうちは、出来るだけチョコレートやケーキをやらないようにしているのです。周りがおいしそうに食べていれば、当然食べたくなるでしょうが、そういう子供は、我慢を知っていて、自分からは手を出しません。けれども、人がやれば、また話は違ってくるのです。
日本には、おいしそうなお菓子やきれいなお菓子が溢れています。その誘惑に大人であっても負けそうになります。第三世界から来た人たちは、喜んでこのお菓子を食べ、また人にもやろうとします。それは喜ばれこそすれ、迷惑がられることではないと信じ切っているのです。
けれども、これが往々にして、周りから「変な人」と見られたり、胡乱な人扱いされてしまうのです。悲しいことですが、事情を知らない時には、「何事であろうと、手を出すな」ということが、まず彼らが一番最初に覚えなければならないことなのかもしれません。
日々是好日
鳥といえば、ここには、東京の郊外でよく見られる「シラサギ(白鷺)」が来ないのです。水田も畑もないからでしょうが、たまに見たくなります。いくら大食漢で、「コイ(鯉)」などの天敵であるとはいえ、その姿は優美で、見られないとなると寂しいものです。
もっとも、その代わりと言ってはなんですが、時々近くの海から海鳥がこちら側に流れてきたり、海で何日か羽根休めでもしてからまたどこかへ向かっているのでしょう、渡りの鳥が見られたりしますから、どちらがいいとも言えないのですが。
最近は、犬の散歩に付き従っている人の姿を、よく見かけます。リールを長く伸ばされてしまうと、自転車通勤の身としては、、車道の方へ避難しなければならなくなるので、少々困りものなのですが、まあ、人も動物もどこかしらおっとりして見えます。大型犬や中型犬が多いということもその一因なのでしょう。小型犬は、せわしないし、直ぐ吠えるので、通勤途上は、あまり出くわしたくない相手です。
ところで、学校の周りは、犬ならぬ、猫たちの天国のようです。よく巡回している「巡回猫」を見かけるのですが、それも一匹や二匹ではありません。最近は、真向かいの駐車場の端っこに、いかにも暖かそうな毛布が丸められて置かれてあり、そこが格好の寝場所になっています。ちょうど日溜まりになる箇所なのです。
見るたびに違う顔の猫が寝ているようですから、うまい具合に棲み分けが出来ているのでしょうか。時々激しい争いを耳にし、目にもしていたので、ちょっと不安だったのですが、今のところは、穏やかな日常といったところです。ただ残念なことに昨夜から早朝にかけて雨が降って、せっかくの毛布もぐっしょり濡れてしまったようです。お日様に干してやるわけにも行きませんし、ノラ君たちにとっては、今日は辛い一日になりそうです。
いくら猫が好きでも、迷惑がっている人がいれば、餌をやるわけにもいきませんし、毛布を日に干してやるわけにもいきません。世知辛い世といえば、確かにそうなのでしょうが、狭い土地に、みんなが遠慮しながら住んでいる、日本という国では、それも仕方がないことなのです。
よく学生達にこんな話をします。
彼らの国では、初めて見かけた子供であろうと、子供にお菓子をやるのは、悪いことでも何でもないでしょうし、転んだ子供を、親が助けるのに何の不思議もないのでしょうが、けれど、日本では、違うのだと。いろいろな事情や(親の)教育方針があって、事情を知らない人間が勝手に手を出してはいけない場合が少なくはないのだと。
ここに可愛い子供がいるとします。可愛いなと思えば、声をかけてやりたくなるのは人情でしょうし、持っているお菓子をやりたいと思っても不思議ではありません。けれども、そうしてはいけないのです。知っていればまた別ですが、知らなければ、してはいけないのです。
親御さんがいる場合は、まず、親御さんに可愛いお子さんですねと話し掛け、許可をもらってから、すればいいのです。また、子供にお菓子をやりたいと思っても、何でもやっていいわけではないのです。アレルギーがある子供かもしれないし、親が甘い物をやるのを控えている場合もあるのです。
アレルギーのある子供は可哀想です。私の知り合いも、子供が友達の所へ遊びに行く時には、いつも「お菓子持参」でやると言っていました。子供がいくら食べたいといっても、食べると発作やじんましんが出て、苦しむので、食べさせるわけにはいかないのだそうです。また、糖尿病のある家系であれば、小さい時から甘い物に親しませるわけにはいかないので、小さいうちは、出来るだけチョコレートやケーキをやらないようにしているのです。周りがおいしそうに食べていれば、当然食べたくなるでしょうが、そういう子供は、我慢を知っていて、自分からは手を出しません。けれども、人がやれば、また話は違ってくるのです。
日本には、おいしそうなお菓子やきれいなお菓子が溢れています。その誘惑に大人であっても負けそうになります。第三世界から来た人たちは、喜んでこのお菓子を食べ、また人にもやろうとします。それは喜ばれこそすれ、迷惑がられることではないと信じ切っているのです。
けれども、これが往々にして、周りから「変な人」と見られたり、胡乱な人扱いされてしまうのです。悲しいことですが、事情を知らない時には、「何事であろうと、手を出すな」ということが、まず彼らが一番最初に覚えなければならないことなのかもしれません。
日々是好日