日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

この学校でも、始めの頃は、「一」「二」「三」までは良いけれども、「四」はちょっとと言う人がいました。

2018-12-10 12:07:38 | 日本語学校

曇り。

寒々とした冬景色が広がっています。通勤の人が多いのに、驚くほど静か。皆、下を向いて、あるいは前を向いて、駅に向かって急ぎ足で歩いて行きます。横を向いたり、誰かと話したりしている人がいないからでしょうね、この静けさは。

これがもう少し経って、小中高生が通学の時間となりますと、賑やかになって来るのですが。そして4月になりますと、まっさらなスーツを着て、一目で新入社員とわかるような人達が、おそらくは独身寮からでしょう、如何にもうれしそうに声高に話しながら、連れ立って駅へ向かっていきます。

子供とか、興奮気味の人達が、道行く時、一時賑やかな風が吹いているような気がするのです。だから、いい年をした大人が、大きな声で話したりしていると目立つのでしょうね。もっとも、職業柄、地声が大きくなったりする場合もあるので、一概には言えませんが。

さて、学校です。

進学先が、まだ決まっていない人が、数人。焦っているかなと思って見ていると、どうやらそうではなさそうな人が、その中にいくたりか…いるらしい。他をあたっているからか、あるいは自分は大丈夫と思っているからなのか。本当は、他の道はないと、了見を決めてくれた方がいいのですが。

進学先が決まった学生の中にも、決まってから休みがちになる人もいて…、大丈夫かな?経済的な問題とは別に、多分、学ぶという習慣に欠けているからかもしれません。映画を見せると、すぐにしゃべり始めたり、スマホを見たりする人たちとだいたい同じ顔ぶれですから。

その反対に、進学先が決まってから、肩の荷を下ろしたように、急に真面目に勉強を始め
る学生もいます。

この学校でも、過渡期なのかもしれません。

この学校ができた当時は、進学先が決まると、いくらこちらが、さまざまな教材を用意しようと、来なくなる学生が少なくありませんでした。無駄になった教材がたくさんありました。1年以上も経つと、「皆一緒に」が、やりにくくなるクラスもあるのです。その時は個別に釣っていくしかありません。

最初はスリランカ人。漢字も「一」「二」「三」まではいいけれども、「四」で躓くという人がワンサカいて、これはどうしょうもないなと、まあ、(日本に)来られてしまったからには、簡単に匙を投げるわけにもいかぬことながら、(気持ちの上では負けていなかったけれども)、溜息はよくつかされていました。こんな連中にでも、どうにか日本語を身につけさせなくてはならぬと、今から思えば、独り相撲のようなところもありました。それを学校の教員が皆で、やっていたわけですから、よくぞやってきたものです。

その次は中国人です。最初はひどかったけれども、数年後には、夏休みや春休みまで学校に来て勉強するような学生が来るようになり、こちらも、いい意味で教材作りに追われることになりました。1年ほどで「N1」に合格してしまえば、次は「文学作品」や「新聞記事」などを作らざるをえなくなりますもの。

そして、その大波が過ぎて、今度はベトナム人。この人達は、映画がだめなのです。集中力に欠けるというか、すぐに話し始めるのです。聞き取れないからなのでしょうが、他の国の人達の邪魔になり、少々険悪なムードになったこともありました。彼等の国では皆が騒ぐから、問題にもならないのでしょう。

次がネパール人です。おっとりとした人達が少なくなく(面接で半分以上をお断りしたからなのか)、勉強はそれほどできなくとも、こちらが不愉快になるようなことは本当に減りました。

出身国が違うと,教え方どころか教材まで換えなければならないことも多く、その都度、こちらの引き出しも増えていきました。

クラスの中での国ごとの割合、つまり、ネパールが何人、ベトナムが何人、スリランカ、インド、中国が何人と。これは大まかな分け方ですが、その他に、また彼等の一人一人の性格によっても多少変わってきますから、その都度、様子見をしながら、やり方を変えていきます。

ベトナムの学生の時には、教科書まで考えさせられました。聞き取れないし、初めの頃は、国でほとんど勉強して来ていなかったのです(でも、「N5」には合格してきていましたから、…カンニングだったのでしょうね)

それ以後、非漢字圏の学生には…この教科書とこの問題集とこの参考書というふうにだいたい決まってきました。もちろん、また国の割合が変わってきましたら、考えざるをえないのでしょうが、この一手間があるからこそ、学生の方でも落ち着けるのでしょう。先が見えるというのは、本当に大切なことです。

二年生になったら、これくらい読める、話せる、聞き取れる、書ける…それが見えるからこそ、「学ぶ」の割合が増えてくるのでしょう。途上国から来ている留学生は、「学ぶ」に集中できる人はそういません。最初の学費は(親が)準備できても、生活費、また進学する際の学費など100%援助してもらえる学生はごく稀なのです。いきおい、アルバイトをしながら、生活費を稼ぎ、残りを貯めて、進学に備えていくという形になります。

先が見えてくると、将来生とか学びたいこととかで、進学を決めることができてきます。先が見えなければ、どこでもいいから日本にいられるところを探すだけということになってしまいます。良いように回り始めると、先の中国人学生達のように、レベルが上がっていけるのですけれども、なかなかそれは難しい。もちろん、難しいにせよ、最近はいい方に回り始めているような気がします。

日々是好日

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