雨。
外は雨音が時々激しくなったり、また静かになったりと、台風の影響でしょう。風は強い方ですね。自転車で来るとき、なかなか大変でした。
さて、学校です。
今、「初級クラス」が開けないので(留学生がいませんから。それに在日の人たちのクラスはもう「N3クラス」になりました)、最近、勉強したいとやってきた(初級の)人は、朝の「N3クラス」の最後の列に座って、宿題やら与えられた課題やらをやっています。そして午後に、(今のところ一人ですから)個人指導で、初級の内容を勉強していくということになっています。…面白いことに、最初の頃は何もわからなかったので、自分の勉強だけに集中していたようですが、最近は、(N3の授業の時に)興味がわくと、こちらを見ているのを感じます。何を言っているのだろうと思うのでしょうね。これも一緒の授業を受けている(?)からこそのもの。自分でも日一日とわかることが増えているのが実感できるのでしょう。
彼女は大卒だし、インド人ということもあって、最初の方はかなり早く進めていきました。「これは家でできるね」とか、「ここは一人でできるはず、覚えてきてください」と言えたからです。勘もいい方だと思いましたし、真面目ですし。
これが「留学生」ばかりの時だったら、こうはいかない。また同じ「在日生」であっても、発音に重大な問題があったり、文法がなかなか理解できない場合にはこうはいかない。
「留学生」の場合、母国で「N5」までは履修してきていますし、申請が通った後も、引き続き勉強しておくようにと言ってありますから、『みんなの日本語』レベルでしたら、少なくとも「40課」か「50課」くらいまでは、初級における文法上の問題というのは、ほとんどありません。母語の説明を受けてきているはずですから。とは言いましても、習得できているかどうかは別です。
それに、毎年のことですから(相手校があることで)来る国も大まかには決まっています。つまり、彼らの発音やら文法上の問題は、だいたいこちらでも把握できているのです。それを確かめ(そういう難がほとんどない人もいます)、注意して置くくらいでどうにかなる…かな。もとより、上手になれるかどうかは本人のやる気次第というところですが。
ところが、「在日生」というのはそうはいかない。これまで、覚えているだけでも20カ国は超えています。
欧米はほとんどいなくて、やはりアジアが多い。日本に近いところの東アジアや東南アジアだけでなく、南アジアも結構いる。それから南米ですね。アフリカからも数カ国の人が習いに来ました。今いるのはスーダンの人です。というわけで、発音が大きな問題となってくる(「読解」は別です。これは知識の有無や想像力が関係してきます)。
国(民族)によっては、「あいうえお」と母音が五つでなく、三つであったり、あるいはもっと多くの母音があったりする。少なければ、発音が難しくなり、多ければ文字の問題が絡んでくる。
後者の例を挙げると、日本人にとっては、皆、同じ「あ音」であっても、彼らには別の音に聞こえるらしく、「このときの『あ』と、あのときの『あ』は違う音なのに、書くと同じ「あ」なのか」なんて聞いてくる。「同じように『あ』と書く」なんて言うと、最初のころは戸惑ったりする。
勿論、日本でも、方言の中には50音で捉えられないような音は少なからずあると聞いています。が、なんと言いましても、彼らは外国人ですし、しかも、こういう人は日本なんて国のことを、何も知らないまま、来日している場合も少なくないのです。
訊いて、「ああ、知っていた」と言っても、せいぜいが「車」くらいのもの。20歳前後なら、アニメを知っている人もいますが、それくらい。日本人が外国旅行中に、様々なところで出会う「安いよ。安いよ」とか、「買ってよ。買ってよ」なんていう「呼び声」は、来日するような人々とは無縁の存在なのでしょう。
やはり日本は小国ですね。知られていないのです。そういえば、80年代の後半、知り合ったアラブの友人は「日本と中国の区別がつかないまま、中国に来た」と言っていましたっけ。今でも「日本??よく知らない。アジア??そうか、中国か」くらいのものかもしれません。
私たちだって、北アフリカの国名は、「アラブの春」が、一時ニュースによく出ていましたから、多少とも馴染みはあるでしょうが、中部や南部アフリカのことは、興味がある人はともかく、他の人は、内戦とか病気とか飢餓とか、そういうことくらいでしか知ることはないでしょう。
日本についても、同じ事です。日本は戦争もないし、彼らが知る機会があるとしたら、原発事故という人災か、地震、津波、台風という自然災害くらいのものでしょう。20年ほど前だったら、「広島・長崎」と言う人もいたのに、最近は「広島」と聞いても、「ああ」という人が少なくなりました。知名度は低いですね。政府がいくら躍起になってもだめですね、これは。
日々是好日
外は雨音が時々激しくなったり、また静かになったりと、台風の影響でしょう。風は強い方ですね。自転車で来るとき、なかなか大変でした。
さて、学校です。
今、「初級クラス」が開けないので(留学生がいませんから。それに在日の人たちのクラスはもう「N3クラス」になりました)、最近、勉強したいとやってきた(初級の)人は、朝の「N3クラス」の最後の列に座って、宿題やら与えられた課題やらをやっています。そして午後に、(今のところ一人ですから)個人指導で、初級の内容を勉強していくということになっています。…面白いことに、最初の頃は何もわからなかったので、自分の勉強だけに集中していたようですが、最近は、(N3の授業の時に)興味がわくと、こちらを見ているのを感じます。何を言っているのだろうと思うのでしょうね。これも一緒の授業を受けている(?)からこそのもの。自分でも日一日とわかることが増えているのが実感できるのでしょう。
彼女は大卒だし、インド人ということもあって、最初の方はかなり早く進めていきました。「これは家でできるね」とか、「ここは一人でできるはず、覚えてきてください」と言えたからです。勘もいい方だと思いましたし、真面目ですし。
これが「留学生」ばかりの時だったら、こうはいかない。また同じ「在日生」であっても、発音に重大な問題があったり、文法がなかなか理解できない場合にはこうはいかない。
「留学生」の場合、母国で「N5」までは履修してきていますし、申請が通った後も、引き続き勉強しておくようにと言ってありますから、『みんなの日本語』レベルでしたら、少なくとも「40課」か「50課」くらいまでは、初級における文法上の問題というのは、ほとんどありません。母語の説明を受けてきているはずですから。とは言いましても、習得できているかどうかは別です。
それに、毎年のことですから(相手校があることで)来る国も大まかには決まっています。つまり、彼らの発音やら文法上の問題は、だいたいこちらでも把握できているのです。それを確かめ(そういう難がほとんどない人もいます)、注意して置くくらいでどうにかなる…かな。もとより、上手になれるかどうかは本人のやる気次第というところですが。
ところが、「在日生」というのはそうはいかない。これまで、覚えているだけでも20カ国は超えています。
欧米はほとんどいなくて、やはりアジアが多い。日本に近いところの東アジアや東南アジアだけでなく、南アジアも結構いる。それから南米ですね。アフリカからも数カ国の人が習いに来ました。今いるのはスーダンの人です。というわけで、発音が大きな問題となってくる(「読解」は別です。これは知識の有無や想像力が関係してきます)。
国(民族)によっては、「あいうえお」と母音が五つでなく、三つであったり、あるいはもっと多くの母音があったりする。少なければ、発音が難しくなり、多ければ文字の問題が絡んでくる。
後者の例を挙げると、日本人にとっては、皆、同じ「あ音」であっても、彼らには別の音に聞こえるらしく、「このときの『あ』と、あのときの『あ』は違う音なのに、書くと同じ「あ」なのか」なんて聞いてくる。「同じように『あ』と書く」なんて言うと、最初のころは戸惑ったりする。
勿論、日本でも、方言の中には50音で捉えられないような音は少なからずあると聞いています。が、なんと言いましても、彼らは外国人ですし、しかも、こういう人は日本なんて国のことを、何も知らないまま、来日している場合も少なくないのです。
訊いて、「ああ、知っていた」と言っても、せいぜいが「車」くらいのもの。20歳前後なら、アニメを知っている人もいますが、それくらい。日本人が外国旅行中に、様々なところで出会う「安いよ。安いよ」とか、「買ってよ。買ってよ」なんていう「呼び声」は、来日するような人々とは無縁の存在なのでしょう。
やはり日本は小国ですね。知られていないのです。そういえば、80年代の後半、知り合ったアラブの友人は「日本と中国の区別がつかないまま、中国に来た」と言っていましたっけ。今でも「日本??よく知らない。アジア??そうか、中国か」くらいのものかもしれません。
私たちだって、北アフリカの国名は、「アラブの春」が、一時ニュースによく出ていましたから、多少とも馴染みはあるでしょうが、中部や南部アフリカのことは、興味がある人はともかく、他の人は、内戦とか病気とか飢餓とか、そういうことくらいでしか知ることはないでしょう。
日本についても、同じ事です。日本は戦争もないし、彼らが知る機会があるとしたら、原発事故という人災か、地震、津波、台風という自然災害くらいのものでしょう。20年ほど前だったら、「広島・長崎」と言う人もいたのに、最近は「広島」と聞いても、「ああ」という人が少なくなりました。知名度は低いですね。政府がいくら躍起になってもだめですね、これは。
日々是好日