日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

国によっては、勉強というのは「覚える」だけという場合もある。…そういう教育を受けてきた学生に「なぜ」と問いかけ、答えを考えさせていくのは、思ったより、ずっと難しい。

2024-05-10 08:21:22 | 日本語学校

晴れ。

空気はヒンヤリとしているもの、風がほとんどないせいか、気持ちよく歩けました。陽が当たっているところでは暖かさを感じたくらいでしたから、今朝はかなり寒かったのでしょう。小鳥の声が静かに聞こえて来ます。先だってのあの騒ぎは何だったのでしょうね。

「ドクダミ」の花が咲き始めました。いつもの道ですから、そろそろ開きそうだなと見ていると、だいたい、その「いつも通り」に咲いてくれます。ただ、今年は早くから夏日になったかと思ったら、今度は昨日のように、最低気温が十度を下回ったりしているので、春に目覚めた虫や花たちは大変ですね。「おっとっと、早まった」と後悔したときには既に遅し。今更、穴に逃げ込むわけにもいかぬし…、冬物というか春物を早くしまい込んでしまって凍り付いている人間のように過ごすしかない。

さて、学校です。

「読解」の勉強のことなのですが、昨年度(二年目)の人達も、同じことを幾度も繰り返し、その時々にそれなりに参加してきた人は、少しずつ(日本語の)勉強の仕方にも慣れて、(授業の時も)楽になってきているように見えます(思い違いでないといいのですが)。漢字だって読める字が増えてくれば、やる気も出てくるでしょうし、こちらの問いに答えられれば、それは面白くもなってくるでしょう。そうなってくると、どうしても、母国での、いわゆる成功体験や考え方から抜け出せない人達は、どんどん置いて行かれ、差が広がってくるということにもなってくるのですが。

どうしたらいいのでしょうね。この、ある国から来ている人達はどうしても、その尾っぽを切り取り、付け替えることができない。…変わるのは大変だから、そのままで、嵐が過ぎ去るのを待っている…ようにも見える。実際、待っていても状況は変わらないのですがね。「日本語を『学校』で学ぶ」の中には、必ず、「文字」が含まれてきます。「聞き取れればいい」、「話せればいい」の世界から離れてほしいと思っているのですが、…できないようですね。(学校を除けば)アルバイトで遣われる日本語なんて、高の知れたものですから、それで事足れりと思ったら、もうそこでピリオドが打たれてしまう。

当人は、漢字を覚えるのは面倒だし、「読解」の質問なんてけったるいことだと思って、いるのかもしれあせん。バイト先の人などとの会話は、楽で手っ取り早いし、それでいいと踏んでいるのかもしれません。楽で手っ取り早いどころか、本当は、一番の遠回りの道を歩んでいるのですがね。こちらから見れば、どんどん面倒な深みに嵌まっていっているとしか思えないのに。頑固なんでしょうかしらね。柔軟に動くことができないのでしょうね。一旦入ってしまった考え方から逃れられない…。


同国人の、先輩達の失敗を、いくつも見ているはずだし、話も聞いているはず。それに加えて、来日してからは、(あの国の人はこういう傾向があるなということで、特に高校の成績が良かった学生に対しては)、当方も倍も口を酸っぱくして言っている。それに、数ヶ月か経てば、こちらの言うとおりに、漢字を覚えたり、あるいはこちらの質問に答えるべく、考えていた人達はそれなりに、漢字も読めるようになり、答えも出せるようになっている、その姿を見て、自分たちと引き比べたりしないのかしらん。

学校でどういう授業を受けてきたのだろうと思ったりします。もちろん、いろいろな国の学生から、悲鳴めいた訴えを聞くこともありますし、「どうしてそんなことを聞くんだ、考えたこともない」と批判(?)されたこともあります。

学校教育の中で、どうも「なぜ」や「どうして」がないようなのです。日本での場合、文章の、最後のまとめとして、筆者の気持ちや考えを聞くことが少なくないのですが、それがどうもピンと来ないらしい。「単語もわかるし、文法もわかる」となっていても「何が言いたかったのか」とか、「このときの筆者の気持ちは」とか聞かれると、んんん…となってしまうらしい。

どうも、「覚えたら終了」で、「意味など問わない」のが普通らしく、「『何が書いてある?』どういうこと?…『どうして?』そんなこと考えたこともない。どうしてそんなこと聞くの(考えるの)?」。

こういう彼らにしてみれば、それこそ、「何じゃ?何じゃ?何じゃ?」なのでしょうね。

これは、最後の「進学を目指した面接練習」の時に、バアッと出てきます。耐えていたものが一挙に吹き出してきたような感じで。面接に際しては、まず、専門に対する自分の気持ちをはっきりと言えなければなりませんし、どうしてそういう気持ち(学びたいと思う)になったのかについても、自分の経験を通して自分の言葉で言えなければなりません。隣の人の答えを、まるごと、ごそっと写すわけにはいかないのです。

とはいえ、友達がそれをやるからとか、それしか知らないからとかいう場合も少なくありません。聞かれて困ってしまうのです。しかしながら、たとえそうであろうと、それを選んだのですから、そこには何らかの「引っかかり」があったはず。それを引き出そうと、こちらは「なぜ」とか「どうして」のみならず、様々な問いかけをしているのですが、「自分のことを考えたこともないし、言おうと思ったこともない」ので、引き出すのに、かなり骨が折れる。…語学だけの問題ではないのです。

「読解授業」と、最後の「面接練習」とは、見えないところで繋がりがあるのです。学校でやることには、何であっても、真摯に向き合っておいた方が、あとで楽になると思うのですが、…まだ、少し、難しいかな。

日々是好日
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