イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「にぎやかな天地(上)」読了

2023年10月02日 | 2023読書
宮本輝 「にぎやかな天地(上)」読了

何かの本でこの本の存在を知った。2005年に読売新聞に連載されていた小説だそうだ。その本は、何かの微生物か細胞について書かれた本であったのだろうと思うのだが、この小説は発酵食品について書かれたものであると解説されていたが、宮本輝がそんな科学読み物を書くはずもなく、いったいどんな内容だろうと思いながら読み始めた。

主人公は、豪華限定本の編集、制作を生業としている。元々、そういった本を扱う会社の社員であったが、その会社が倒産したあとは当時の社長に紹介してもらった奇妙な老人からの注文だけで生計を立てている。

主人公には様々なひとが関わりながら物語が進んでゆく。

主人公の家族であるが、祖母はすでに亡くなっているが、若い頃、嫁ぎ先に男児を残して離婚した後に再婚して主人公の母親を生む。
父親はひったくりに間違えられ、捕まえられそうになった時に駅の階段から落ちて死亡。主人公が生まれる2ヶ月前であった。
祖母は病弱に生まれた主人公のために隣町のベーカリーと輸入食品を扱う店でいくつかの種類のチーズを買って食べさせる。母親は家計を支えるために看護師として働きに出ていたのである。そのベーカリーは祖母が残していった男児が店主の店であったが、祖母はそれを知っていたかどうかは今となってはわからない。
楽譜を見ただけでそれがなんという楽曲かがわかるという主人公の姉。
姉の婚約者は勇気というものについてこう言う。「勇気は、自分の中から力ずくで、えいや!っと引きずり出す以外には、出しようがない。勇気を出そうと決めて、なにくそ、と自分に言い聞かせて、無理矢理、自分の心の中から絞り出したら、どんなに弱い人間のなかからでも勇気は出る。そして、その勇気は、その人のなかに眠っていた思いもよらないすごい知恵と、この世の中のいろんなことを大きく思いやる心のふたつが自然についてくる。」という。
父の死のきっかけになってしまった男性はその後32年間毎月2万円の金額を母親名義の銀行口座に振り込み続けて死んでしまった。

仕事関係の人々では、元いた会社の社長はたまたまヒットした出版物に気をよくして無理な投資をして会社を潰してしまうが、主人公のことをかわいがっていて、豪華限定本の制作ノウハウを教え込み奇妙な老人を紹介する。
奇妙な老人は行きつけの寿司屋では「理事長」と呼ばれているが、その素性はまったく謎である。
奇妙な老人は自分のために作りたいという、日本古来の発酵食品の伝統的な製法とそれによって作られた食品が紹介された本の制作を依頼する。その意図は今のところ謎である。
その仕事に力を貸すのは何度も本の制作を一緒にやってきた気心も知れているような写真家と少し女癖がわるい高級料亭も経営する料理研究家。

主人公のプライベート空間に現れる人物は、祖母が嫁ぎ先に残してきた息子が経営するベーカリーに関係する人たちだ。
そのベーカリーに嫁いできた嫁の実父は、主人公の元居た会社の社長に、ある画家の肉筆の楽譜を収めた豪華本の制作を依頼したが、その本は依頼主である父親の願いで社長に買い取られ主人公の手元にやってくる。しかし、家族には空き巣に盗まれたと説明されていた。
その画家は業界では評価はされなかったものの、一種独特の画風で見るものを魅了する。依頼主もそんな一人であったようだが、生涯最後の絵のモデルは、その嫁であったと本人から明かされる。

上巻では様々な人たちが何の脈絡もないようだが微妙に関係を持った状態で登場してくる。
この人たちがどういった収束を見せてゆくのか・・。
それはいくつかのキーワードに隠されているのかもしれない。
冒頭に出てくる、主人公が怪我で生死の境をさまよったときに思いついた言葉、『死というものは、生のひとつの形なのだ。昨日死んだ祖母も、道ばたのふたつに割れた石ころも、海岸で朽ちている流木も、砂漠の砂つぶも、畑の土も、・・・、その在り様を言葉にすれば「死」というしかないだけなのだ。それらはことごとく「生」がその現れ方を変えたにすぎない。』
豪華本の最後のページに残されている、画家が残したという古代ラテン語で書かれた5行の詩。元社長はそれを訳してもらっていたのだが、3行目と4行目だけを思い出すことができない。1行目は『私は死を怖がらない人間になることを願いつづけた。』2行目は『だが、そのような人間にはついになれなかった』5行目は『ならば、私は不死であるはずだ』という内容であった。その3行目と4行目に主人公はどういう言葉が入るのかということを思いながら自分の行く末と、生きるということはどういうことなのかということを考えてゆく。
そのほか、アラビアンナイトに出てくるという、『不治の病とは悪い性格』であるという箴言。
発酵食品の熟成過程を『妙なる調和』という言葉に例える主人公。そして、その調和を乱すもの、それらは「怒り、不安、恐怖、嘘、悲しみ、嫉妬、憎しみ、悪い政治、悪い思想・・・」であると思いを巡らす。

死ぬ前の5年間が満たされていれば人間は幸福であると考える料理研究家。この人も幼い頃に、父親を愛人との心中で亡くしている。

そもそも、この小説の通奏低音として語られる様々な発酵食品。取材のスタートは和歌山県からというのもこの本を手に取った何かの縁であったのかもしれないが、いったいどういったメタファーとして扱われているのか・・。
下巻の、伏線の回収が楽しみである。


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