イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「鬼の哭く山」読了

2018年12月31日 | 2018読書
宇江敏勝 「鬼の哭く山」読了

去年の今頃もこの作家の本を読んでいた。
高度経済成長期をはさんで、人々の目が都会的な生活に向かう中であえてそれに背を向けて、いや、それが必然とでもいうように山中での自然を相手にした生活を続ける人々の物語を集めた短編集だ。
熊野参詣道の途中にある茶屋を守るひと。同じく熊野で逓信の仕事をするひと。龍神の山中、木挽きで食器を作るひと。大峰修験道で修験者相手の宿を守る人。そんな人たちが主人公である。
彼らは一度は学業や別の仕事を求めて郷里を離れたが再びそれが必然であるかのごとく代々続いた職業に戻ってゆく。生きてゆくことに今ほどコストがかからなかっただろうとはいえ、物語のなかでは本業以外の職を掛けもちやっとのことで生活を成り立たせている主人公もいる。
しかし、彼らはそれに対して卑下をしているわけではない。それを当然のこととして受け止めている。ほんの数軒、もしくは一軒だけの生活でもそれを孤独とは思わない。意地を張っているわけでもなく、使命感でもなくただ、淡々と生きている。そう、季節の移ろいに同調しながら身の周りの範囲で生きているのだ。そういう生き方が好きだから選んだのだ。

この物語には、龍神地区では小森谷、小又川、大熊、北山川水系では前鬼、池原、白川など、僕もアマゴやブラックバスを求めて訪ねた土地が出てくる。
すでに車が普通に通れる時代にしか訪ねたことがないが、それより少し前にはこんな生活が営まれていたということがある意味記録映画のように書かれている。

これらの場所に行くたびに、こんなところで生活をすることができればどれだけいいだろうと思ったのはやましいことだろうか。それは憧れだけであって現実はもっと過酷だと一蹴されてしまうだろうか。
著者の本を読むのは3冊目で、ほとんどが紀伊半島中心部での人々の生活を描いたものであるので感想の落ち着くところは同じになってしまうのだが、年越しのひと時、こういう物語を読んでいるとなぜだか気持ちが落ち着くような気がするのは確かなことだ。

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