イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福」読了

2018年12月19日 | 2018読書
ユヴァル・ノア・ハラリ 「サピエンス全史(上)-文明の構造と人類の幸福」読了

人類の歴史を簡単に書くと以下のようになるらしい。

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135億年前
物質とエネルギーが現れる。物理的現象の始まり。
原子と分子が現れる。化学的現象の始まり。

45億年前  
地球という惑星が形成される。

38億午前  
有機体(生物)が出現する。生物学的現象の始まり。

600万年前
ヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先。

250万年前
アフリカでホモ(ヒト)属が進化する。最初の石器。

200万年前
人類がアフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡がる。
異なる人類種が進化する。

50万年前
ヨーロッパと中東でネアンデルタール人が進化する。

30万年前
火が日常的に使われるようになる。

20万年前
東アフリカでホモ・サピエンスが進化する。

7万年前  
認知革命が起こる。虚構の言語が出現する。
歴史的現象の始まり。ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の外へと拡がる。

45000年前
ホモ・サピエンスがオーストラリア大陸に住みつく。オーストラリア大陸の大型動物相が絶滅する。

3万年前
ネアンデルタール人が絶滅する。

16000年前
ホモ・サピエンスがアメリカ大陸に住みつく。アメリ力大陸の大型動物相が絶滅する。

13000年前
ホモ・フローレシエンシスが絶滅する。ホモ・サピエンスが唯一生き残っている人類種となる。

12000年前
農業革命が起こる,植物の栽培化と動物の家畜化,永続的な定住。

5000年前
最初の王国、書記体系、貨幣。多神教。

4250年前
最初の帝国-サルゴンのアッカド帝図。

2500年前
硬貨の発明-普遍的な貨幣。
ペルシア帝国-「全人類のため」の普遍的な政治的秩序。
インドの仏教-「衆生を苦しみから解放するため」の普遍的な真理。

2000年前
中国の漢帝国。地中海のローマ帝国。キリスト教。

1400年前
イスラム教。

500年前 
科学革命が起こる。
人類は自らの無知を認め、空前の力を獲得し始める。
ヨーロッパ人がアメリカ大陸と各海洋を征服し始める。
地球全体が単一の歴史的領域となる。
貸本主義が台頭する。

200年前 産業革命が起こる。
家族とコミュニティが国家と市場に取って代わられる。
動植物の大規模な絶滅が起こる。

今日
人類が地球という惑星の境界を超越する。
核兵器が人類の生存を脅かす。
生物が自然選択ではなく知的設計によって形作られることがしだいに多くなる。

未来
知的設計が生命の基本原理となるか?
ホモ・サピエンスが超人たちに取って代わられるか?

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この歴史の中で、人類の大転換となったことが3つある。ひとつは7万年前の認知革命、ひとつは1万2千年前の農業革命、最後は500年前の技術革命だ。
この三つの革命が人類をはじめ地球上の生きとしいけるすべてのものにどのような影響を与えたかを上下2巻にわたって綴られている。

上巻では認知革命と農業革命について書かれている。ふたつの革命は人類が維持できる集団の規模を決めることについて重要な意味を持っていた。
それは7万年前、認知革命とはすなわち言葉の発明だ。かつて人類が言葉を持たなかった頃、おそらく数家族、20人~50人くらいの人数がまとまって生活をすることしかできなかた。言葉がないとそれ以上の人数ではコミュニケーションが取れなかったというのだ。で、その必要なコミュニケーションの中身はなんであったかというと、噂話だったというのだ。ふつう、ここではお互いの意思疎通を密にすることで狩りが上手くなり、食べられる植物の在りかを共有したりすることで食料の生産性が上がり養える人数が増えたからと思うのだけれども、それよりも噂話のほうが重要だったというのだ。その集団で、誰と誰が相性がいいとか、あいつはどんな性格だとか、誰と誰ができていて、いつ別れたとか、そういう井戸端会議の情報が集団を円滑に維持する最良の方法であったというのである。
それで150人規模の集団をまとめることができるようになった。
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも体力的にも気候に対する順応性でも優れていたようだが、言葉を持たなかったゆえに集団を大きくすることができなかった。そのなかで近親交雑が進み、免疫力の差でホモ・サピエンスとの競争に負けていったという説もあるそうだ。
そしてもっと集団が大きくなるために必要であったものは神話であった。それは実在しないものをあたかも実在することのように理解できる能力でもあった。
まったく存在しないものをあたかも存在するものとして信じるということは共通の価値観を共有することである。例えば戒律。誰が決めたものでもない、神が決めたから守らねばならないのだという解釈はさらに大きな集団をまとめあげることができたのである。

そして農業革命はさらにたくさんの人間の集団をまとめることができるようになった。
しかし、農業革命は弊害も生んだ。
ひとつは個人個人の強さの減退である。単一の作物に頼る生き方は大量の人口を支えることができるけれども、口に入れることができる種類が少なくなると耐性が弱くなり、ひとたび疫病が発生すると大量に死亡者が出ることになる。また、旱魃がおこるとすぐにその人口をカロリーの面でも支えきれなくなる。
その点、採集生活ではあらゆるものを食料としているので栄養が偏らない。農業革命以前のほうが、幼児期の死亡率は高いけれども、それを乗り切ることができた人の余命はその後よりも長かったらしい。
しかし、大きな集団は分業という体制を生む、そしてそれが発達したことで個人の生きるためのスキルというものもレベルが下がってきたのもこの時代だ。
人類全体としては、今日の方が古代の集団よりもはるかに多くを知っているが、個人のレベルでは古代の狩猟採集民のほうが知識と技能の点で歴史上最も優れていたのだ。


この本はそういうことが人類にとってよかったことであったのか、個人にとっては不幸ではなかったのかというようなことについては何も書かれていないのだが、もう、この時点で僕はなんだか個人にとっては明らかにこれは不幸な歴史の始まりではなかったのかと思ってしまう。群れることが嫌い。会社組織にはなじめない。とりあえずはなんでも自分でやってみたい。その時点で僕は狩猟採集生活を営んでいた人々と同じ思考ではないのかと思う。ただ、それが人類として劣っているのかどうかという判断はこの本のとおり、誰にも判定できないのだ。少しは安心した・・・。


さらに集団が大きくなってゆくために発明されたのが書記体系と貨幣である。人間の脳の記憶力には限界がある。納税や法律、そういうものを大量に記録として残すのに文字は画期的であった。そして貨幣は神話を信じることと同様、共通の価値観を共有する手段としてもその価値を発揮した。たとえ信じる宗教が異なったとしても物の価値を同じ尺度で
物を評価できるという意味で世界のほとんどがひとつに統一されてしまったと言えるのである。それはいわゆる、帝国主義の始まりである。
下巻へ続く。
コメント
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