イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「世界遺産 吉野・高野・熊野をゆく 霊場と参詣の道」読了

2016年10月17日 | 2016読書
小山靖憲 「世界遺産 吉野・高野・熊野をゆく 霊場と参詣の道」読了

著者は熊野古道が世界遺産に認定されたときに推薦書の作成に携わった人らしい。
古道の成り立ちと著者が実際に歩いた感想が書かれている。

熊野古道は紀伊半島の海岸沿いから近露を通る中辺路や海岸沿いの大辺路は有名で、本当の古道ではなくても国道を伝ってそのルートを実感できるが高野山からの小辺路、吉野からの奥駆道なんかどんなに地図を前にして想像してもあの山の中に人が通れる道があるとは思えない。グーグルマップをどれだけ拡大しても道路がないんだ。昔の人はすごかったということだ。もちろん、海岸沿いの道さえも、あの距離を歩き通すなどというのも想像しがたい。だいたい、行ったら帰ってこなければならない。それはもっとつらい。

僕も約10年と少し前、思い立って熊野古道を歩こうと陸路の出発点、大阪天満の八軒茶屋を出発してみたが、あえなく和泉府中で挫折した。まあ、本人としてはまだ挫折したとは思っていないのだが・・・。そう思うと、すごい距離だ。

また、奥駆道については途中、前鬼という場所を通るが、昔よくこの付近を釣りのために訪れていた。ブラックバスを釣るための池原ダム湖への釣行だったのだが、このダム湖へのインレットのひとつに前鬼川があった。当時は何の知識もなく、変わった名前の川だとしか思っていなかったがあのとき少しでもそんな知識があれば釣りの帰りにでも車で(あくまでも車だが・・・)古道に近づけるだけ近づいてみたのにと思うと惜しいことをした。

また、いつか、熊野古道を歩くことはあるだろうか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見仏記3 海外編」読了

2016年10月17日 | 2016読書
いとう せいこう みうら じゅん 「見仏記3 海外編」読了

見仏記も3冊目でとうとう海外進出してしまった。といっても20年ほど前の出版ではあるのだが・・・。
韓国→タイ→中国→インドと日本に仏教が伝来したコースの逆をたどる旅だ。

大陸の仏像はきらびやかで日本人の感覚からするとリアリティがないように見える。対して日本の仏像はひなびた雰囲気と日本人からすると本当にいるんじゃないかと思わせるリアルさがある。
内集団バイアスというもので、自分の側のほうがいいという身内びいきなのだが、やっぱり日本のほうがいいのではないかと僕には思える。
金ぴか天然色では心が落ち着かない。

仏像を見るとき、信仰の対象としてみるのか、美術品として見るのか。著者のふたりは大陸の仏像は日本に比べて信仰の対象として見られているので形がデフォルメされていようと少々雑な作りでもいいのではないかと想像する。
もちろんそこには使われている素材、石と木の違いも大きいということもあるようだが、そう思うと、日本人のほうが信心がちょっと足りないんじゃないかとも思えてくる。

しかし、日本のサブカルチャーのリーダー的存在のふたりはそんな見方を超越した鑑賞を続ける。
これがこのシリーズの面白さだ。正当な(宗教的価値や美術的な価値)見方をする人々からはぜったいに、けしからん!!と言われそうな内容なのだろうが、やはりそれが面白い。
生きることの苦しさにどう折り合いをつけて生きてゆくのかということが仏教最大の命題ではあるのだが、そういう深刻なことを笑い飛ばすことこそが本当の生き方なのだと教えてくれているような気がするのは僕だけだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする