いとう せいこう みうら じゅん 「見仏記3 海外編」読了
見仏記も3冊目でとうとう海外進出してしまった。といっても20年ほど前の出版ではあるのだが・・・。
韓国→タイ→中国→インドと日本に仏教が伝来したコースの逆をたどる旅だ。
大陸の仏像はきらびやかで日本人の感覚からするとリアリティがないように見える。対して日本の仏像はひなびた雰囲気と日本人からすると本当にいるんじゃないかと思わせるリアルさがある。
内集団バイアスというもので、自分の側のほうがいいという身内びいきなのだが、やっぱり日本のほうがいいのではないかと僕には思える。
金ぴか天然色では心が落ち着かない。
仏像を見るとき、信仰の対象としてみるのか、美術品として見るのか。著者のふたりは大陸の仏像は日本に比べて信仰の対象として見られているので形がデフォルメされていようと少々雑な作りでもいいのではないかと想像する。
もちろんそこには使われている素材、石と木の違いも大きいということもあるようだが、そう思うと、日本人のほうが信心がちょっと足りないんじゃないかとも思えてくる。
しかし、日本のサブカルチャーのリーダー的存在のふたりはそんな見方を超越した鑑賞を続ける。
これがこのシリーズの面白さだ。正当な(宗教的価値や美術的な価値)見方をする人々からはぜったいに、けしからん!!と言われそうな内容なのだろうが、やはりそれが面白い。
生きることの苦しさにどう折り合いをつけて生きてゆくのかということが仏教最大の命題ではあるのだが、そういう深刻なことを笑い飛ばすことこそが本当の生き方なのだと教えてくれているような気がするのは僕だけだろうか?
見仏記も3冊目でとうとう海外進出してしまった。といっても20年ほど前の出版ではあるのだが・・・。
韓国→タイ→中国→インドと日本に仏教が伝来したコースの逆をたどる旅だ。
大陸の仏像はきらびやかで日本人の感覚からするとリアリティがないように見える。対して日本の仏像はひなびた雰囲気と日本人からすると本当にいるんじゃないかと思わせるリアルさがある。
内集団バイアスというもので、自分の側のほうがいいという身内びいきなのだが、やっぱり日本のほうがいいのではないかと僕には思える。
金ぴか天然色では心が落ち着かない。
仏像を見るとき、信仰の対象としてみるのか、美術品として見るのか。著者のふたりは大陸の仏像は日本に比べて信仰の対象として見られているので形がデフォルメされていようと少々雑な作りでもいいのではないかと想像する。
もちろんそこには使われている素材、石と木の違いも大きいということもあるようだが、そう思うと、日本人のほうが信心がちょっと足りないんじゃないかとも思えてくる。
しかし、日本のサブカルチャーのリーダー的存在のふたりはそんな見方を超越した鑑賞を続ける。
これがこのシリーズの面白さだ。正当な(宗教的価値や美術的な価値)見方をする人々からはぜったいに、けしからん!!と言われそうな内容なのだろうが、やはりそれが面白い。
生きることの苦しさにどう折り合いをつけて生きてゆくのかということが仏教最大の命題ではあるのだが、そういう深刻なことを笑い飛ばすことこそが本当の生き方なのだと教えてくれているような気がするのは僕だけだろうか?
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