イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

加太沖釣行

2016年05月05日 | 2016釣り
場所:加太沖
条件:大潮 4:54満潮 11:11干潮
潮流:5:40 上り1.9ノット最強 8:50転流
釣果:真鯛 1匹


このところ休みと天気がうまくかみ合ってくれているきのう、おとといは雨や風が強かったが予報では今日は波も治まってくるらしい。しかし、昨夜、駅からからの帰り道はかなり強い南風が吹いていた。
とりあえず朝起きてみて、風があれば山菜採りに向かおうと考えて布団に入った。
午前3時に起きてみると見事に風が止んでいる。よし、行けるぞ。午前3時50分出発。スーパーでお茶を買って港に到着するとすでにうっすらと東の空が明るくなっていた。急いで出港の準備をし、午前4時15分出港。

紀ノ川を過ぎると風とうねりが強くなってきた。北港釣り公園の端にある防波堤を波が越えている。これはまずいとは思ったが、この風と波では引き返す方がかえって危ないのではないか、予報では波は治まっていく方向だからそれを信じて田倉崎を目指す。紀ノ川や水軒からも船が出てくるから多分、大丈夫だろう。

速度が出せずにゆっくり走ってきたので田倉崎に到着したときは朝日が昇ってしまっていた。



潮はゆっくり上り。潮の感じはいいのだが、うねりがいけない。隣を行く船の船体がときおり隠れるほどの大きさだ。これがあるとどうも釣れる気がしない。



しかし、せっかくここまできたのだ。とりあえず仕掛けを下す。今日も毛糸玉とビニールの混成だ。

そして今日はもう一つ装備品を作ってきた。
家で写真を撮るとこんなかんじ。赤いカバの頭だ。



船の上ではこんなかんじ。ロッドホルダーである。



このカバはダイソーに売っているシリコンの鍋つかみ。店頭で見ているとロッドホルダーにちょうどいい感じだったのだ。ちょうど、今使っているやつはゴムが劣化していてなんとかしなければと思っていたところだった。
かなり貧乏臭いが誰が見ているわけではなし、どうでもいいのだ。安ければ。


当初はアタリがなかったが午前6時を回ったころにアタリ。薄いオレンジ、マルニシの14番にかじられたあとがある。今日はビニールのようだ。噛まれたビニールを新しいものに交換し、再度しかけを下す。こんどは引ったくっていくようなアタリ。一発で鉤に乗った。
小さいけれど真鯛だ。とりあえずボウズはなくなった。ほっとした。
その後度々アタリはあるのだが、いかんせんこのうねりだ。魚が違和感を感じてすぐに放してしまうようだ。最初のアタリもこの真鯛も一番上の鉤、しかも水深10メートルくらいのところでのアタリなので決して活性が悪いわけではないと思う。うねりさえなければうまく食い上げてくれるはずだ。もっと技術があればうねりにあわせて巻き上げる速度を調節したりできるのだろうがそれは無理というものだ。

釣りを初めてからずっと気分が悪くこれは間違いなく船酔いだ。もともも乗り物には弱い方だ。自分の船のリズムには慣れているというものだが、このうねりにはかなわない。なんとか我慢を続けていたがここまで、このままの海況だとあと30分はもたない。ゲロを吐いてしまいそうだ。あっけなく午前8時に終了。

帰りの道中、異様な漂流物をみかけた。ん?まさか人間ではないだろうな・・・。気持ち悪いから見なかったことにしておこうかと思うものの、万が一人間だったら海保に通報しなければならないだろう。これも船長の義務だ。ゆっくり近づくと大きなウミガメだ。どこから流れてきたのだろう。死んでからはかなりの時間がたっている感じなのでここ数日の南からの強風で流されてきたのだとしたら、やっぱり今日もあまりコンディションのいい日ではなかったようだ。





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「空想科学文庫 空想科学読本Q」読了

2016年05月02日 | 2016読書
柳田理科雄 「空想科学文庫 空想科学読本Q」読了

毎度、毎度同じようなネタばかりだが、古本屋で安く出ているとついつい手に取ってしまう。
今回は書店のイベントで質問されたことをその場で答えようという企画を文庫化したということだ。一つの質問に割かれているページは3ページ。まあ、これでは検証をし切れないのは否めない。まあ、これはこれでいいのだろう。

このシリーズでは桁違いの数字がよく出てくる。温度が1兆度だとか、視力が60.0だとか、重力の52倍だとかマッハ15だとか・・・。
なんだかバカげたような数字だが、遠い将来、住めなくなった地球から人類が生きていく場所を宇宙へ求めるとき、こんな数値を操ることができなければならないのだから他人事ではないと思っていた。事実、“透視メガネ”は本当に作れるかという質問が出ていたが、昨日のテレビでピラミッドの中を透視する技術があるのだというのをやっていた。そんな技術も人間が生き延びるための手段の一つになるのだと思ったが、本当にそうなのだろうかと一方では思うこともある。

人間は何のために生き延びるのか、人間として生き延びる必要があるのか・・・。
以前に何冊か読んだ、遺伝情報だけが次の世代に伝えられればそれでいいのだ、生物はただの遺伝子の乗り物に過ぎないのだという考え方だ。
生身の人間が宇宙に出ていくのは難しいが、人工知能ならどうだろう。ロボットなら少なくとも空気や食べ物、温度の心配なんてしなくてもいいし、イデオロギーや宗教の問題もないのじゃないだろうか。
囲碁の名人がコンピューターに負けたというニュースもつい最近の話だが、人間は赤色巨星になった太陽に飲み込まれる地球と一緒に滅ぶのかというとき、人工知能だけ生き残る道を選ぶのではないだろうか。15年後には人工知能が人格を持つようになるというし・・・。
個人的な意見だが、そのためにも人類は原子力さえも自由自在に操れるようになるまで技術力を高めなければならないと思っていた。しかし、それはもう必要ないのかもしれない。それならもう、危ないものには手を出さない方がいいのではないだろうか。と、“のではないだろうか”ばかりが目立つ感想になってしまった。

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山菜採り Ⅱ

2016年05月02日 | Weblog
今日は連休の谷間、少しは人が少ないだろうと2回目の生石山へ赴いた。
暑くなってくる時間までに収穫を終えようと朝午前4時半に出発。

朝日が昇る前に到着したので誰もいない高原で朝日を見ることができた。



おまけに写真には納められなかったが鹿の親子にも出会った。

しかし、こんなきれいな景色に目もくれずひたすら地面をにらみながら進んでゆく。




ワラビについては3連休の間に相当盗られているのでなかなか数を稼げない。どうしてこの時期にゴールデンウイークが存在するのか、連休がなければもう少し残っているだろうに・・。ただ、ここにも人口ピラミッドの変化の影響で、団塊の世代らしきリタイアしたらしき人々が大挙山菜採りにやってくるらしいので連休があろうがなかろうが僕の取り分はどんどん減っていくことに抗うことはできないようだ。
しかし、芽は相当大きなものになっている。北の斜面のものは特に大きかった。ボリュームも歯ごたえも申し分ない感じだ。



残りの本命については、コシアブラもヤマウドも大きくなりすぎていてこれは食べられないというものばかりだった。本命のポイントではどこもかしこも掘ったあとばかりだ。ただ、ヤマウドについては誰も手をつけていない大きな株を2本発見した。大体の株は見つけておいても次の年にはどこにあったかわからなくなるものだが、このふたつの株のそばには明確な目印がある。多分、来年まで覚えておくことができるはずなので楽しみだ。



そして、初めてだがゼンマイを採ってきた。ゼンマイは下ごしらえが大変なので今まで採らずにいたのだが、半径2メートルの範囲に立派な株が点在しているところを見つけた。おまけにまったく葉が開ききっていない。ダメ元で下処理をやってみた。あとは乾燥させるだけ。さて、どんな味になるか楽しみだ。(でも、緑色のサナダムシみたい・・・)



午前7時半には活動を終え、駐車場でコーヒーを沸かして一服。



もうこの頃には少し歩くだけで汗ばんでくる。(ヤッケを着ていたからからかもしれないが。)今年の山菜採りはこれで終わりになるかもしれない。ここ生石山でも山菜を多彩に採ることができるのはわずか2週間ほどだろう。52週間のうちのたった2週間だ。だからよけいに山菜採りが面白いのだと思えるのだ。
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「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

2016年05月01日 | 2016読書
梅原猛 「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

副題が「日本とは何か」となっているので、日本人の思想や精神の土壌となっているようなものを天皇制の推移をもとに論じているような本なのかと思って読み始めたが、中身はかなり違いある時期、天智天皇から桓武天皇の御世に起こった権力争いのなかでできあがった律令制度についての話であった。まあ、このときの出来上がった官僚機構の基本形が連綿と現在に引き継がれているとしたら、それはそれで確かに「日本とは何か」といえなくはないような気がするが・・・。

この時代、13代のうち、重祚した天皇を含めると5代が女帝であったという。この女帝たちの周りの取り巻きたちがいかに天皇の権力を骨抜きにし、官僚たちが政治をほしいままにしていったかという話が、この本の大部分を占めている。
その中心人物となったのが藤原不比等であるのだが、その養女として文武天皇に嫁いだのが宮子という女性であった。
伝記では今の御坊市あたりの出身で、海人(今でいう漁師)の出身であった。道成寺には「髪長姫」の伝説として伝わっている人だそうだが、不比等が宮子を天皇家に送り込んだことがきっかけとなり、下民の血を持つ出自のコンプレックスを抱え込んだ聖武天皇、孝謙天皇が利用されたのではないかという検証をそれぞれの天皇、皇后、縁戚、取り巻きの心理状態にせまって論じている。
著者はこの宮子姫の伝説を検証することによって藤原家をはじめとする官僚たちが意図したかたちで女帝を担ぎ上げそのなかで自分達、とくに藤原家に有利なように律令=官僚機構を作り上げたということを確信したという。
それでこの本のタイトルを「海人と天皇」として当初想定していたタイトルを副題にしたそうである。

宮子の子供は聖武天皇。東大寺を作ったのもそのコンプレックスからであり、その子供、孝謙天皇が道鏡に天皇の座を譲り渡そうとしたのも同じコンプレックスから。それを最大限利用したのが藤原氏だというのである。
同じように天皇たちに群がるライバルをことごとく蹴落として繁栄の礎を築いた藤原氏。敗れ去った貴族、豪族たち。
その話の流れが、論文を読んでいるというよりも小説を読んでいるかのごとくで面白い。
しかしながらたくさんの人物が登場し、また当時の文献をそのまま引用しているところが多くて半分も理解することができない。付録の系譜と本文を交互に見ながら読み進めるが、この系図自体も複雑で誰が誰の子供で誰が兄弟姉妹かがこんがらがってくる。僕の頭も悪いのは間違いがないが婚姻関係も複雑すぎる。それでも上っ面を読み飛ばしているだけでも人の心のドロドロしたところを覗き見ているようで面白い。


そして感じることがどうしてこんなに権力を欲しがるのか。僕の価値観ではそれがわからない。この権力争いもひとつの日本のかたちなのだろうが、僕には理解ができない。野心と能力のある人の世界と魚を釣らずにいられない人との世界はおのずとから違うものだ。なるべく接しないように毒されないように、うまくかわしてゆかねばなるまい。



上下巻で本編900ページ近くある長いものだったので、読んでいるあいだゆかりのある場所を少し歩いてみた。

まずは難波宮 この著作のすべての発端となった大化の改新が進められた場所である。
ここでも時の天皇、孝徳天皇は姉の皇極天皇、甥の中大兄皇子の裏切りに遭い、ここで悲嘆のうちに死んでしまった。



次に和気清麻呂にまつわるところ。清麻呂は道鏡に皇位を譲ろうとした孝謙天皇のたくらみを阻止した人。そのせいで一時は失脚したがその後光仁天皇の御代に復権し、大和川の水害を防ぐべく上町台地を貫いて大阪湾へ流す大工事を試みた。
工事は失敗に終わったらしいが、その名残が天王寺公園のそばにある。JR天王寺駅の北側、谷町筋にある以前から不思議に思っていた起伏のある坂道だ。



そしてその西側、茶臼山の古戦場跡にこれにつながる池が残っている。



最後に西大寺。ここは孝謙天皇の勅願により創建された寺だ。この本では、抑えきれないわが身の性欲への贖罪のために建設されたのではないかと書かれている。



その後衰退したこの寺を復興させたのが真言宗のなかでも戒律を重んじる真言律宗の叡尊という僧の手であったというのもこれまた因果なものだ。


かつてこんなことが繰り広げられた場所がこうやって残っているということが余計にこの本の物語をより本当だったのではないかと思わせてしまうのだ。
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