イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「巷の美食家」読了

2016年05月24日 | 2016読書
開高健 「巷の美食家」読了

以前に読んだ、「食の王様」と同じく、師の過去の文章をいくつか抜き出して編集したものだ。多分、つぎはぎの文章の印象がよくなかったので続編のようなこの本は買わないでいたのだと思う。ネットの古本で1円の値がついていなければ多分買わなかっただろう。

やはり原本でつながりをもって書かれているから一つ一つのエッセイが生き生きしてくるのだ。まして書かれた年代もまちまちで系統立てられていないようなので師の文章をよく知らない人にとっては筆致のちがいに戸惑うのではないだろうか。
谷沢永一や向井敏が監修しても物足りなさを感じるのだ、名もない一介の編集者がつまみ食いをしてもいいものができるはずがない。

しかし、ムムッとなってしまう部分がないわけではない。
山菜について書かれた部分だ。

~~物には、〝五味″などというコトバではいいつくせない、おびただしい味、その輝きと翳りがあるが、もし〝気品″ということになれば、それは〝ホロにがさ″ではないだろうか。これこそ〝気品ある″味といえないだろうか。ことに山菜のホロにがさである。それには〝峻烈″もあり、〝幽邃″もこめられているが、これはど舌と精神をひきしめ、洗い、浄化してくれる味はないのではないだろうか。~~

これは奥只見の銀山湖での経験として書かれたものだ。
どの本が原典かは思い出せないが多分、遠い昔に読んだことがあるはずだ、若い頃には山菜の〝ホロにがさ″なんてまったく何の美味しさも感じなかったはずで、この文章も記憶のなかを通り過ぎていったのだろうと思うが、今となってはなんともいとおし味だ。
歳を経なければわからない味。そんな味を思い描くことの1冊ではあった。
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水軒沖釣行

2016年05月24日 | 2016釣り
場所:水軒沖
条件:中潮 6:59満潮
釣果:サバ 16匹 マルアジ 27匹

今日は予定通りチョクリ釣りに出撃だ。
朝は目いっぱい早く出たつもりだがやはり出港の時は大分明るくなってしまっていた。
今日は中潮。月は西に傾き、朝日が昇り、空の上に両方とも出ていた。

 

まずは水軒沖40メートルからスタート。しかしここに至るまで魚探に反応がない。もう少し沖まで出ようかどうしようかと迷っていると、少し遅れてやってきたチョクリらしき船が船足を止めた。ひょっとして向こうの船には反応があるのかもしれない。期待を込めて仕掛けを下すがやはり反応がないとアタリがない。
ひょっとして向こうも僕が思案しながら速度を落としたのを見て停船したのではないのだろうか・・・。チョクリ釣りではよくあることで、釣れないときほど船が集結してくる。少しの船が集まっていると、あそこは釣れているかもしれないと考えて勝手に集まってくるのだ。人間は心細いと自然と集まってくる習性なのだろう。きっと。
今日もまったくそのとおりで、この船はその後すぐにどこかに行ってしまった。



果報は寝て待て。僕のチョクリ釣りの極意はなるべく動かないことだと考えている。動き始めるときりがないのだ。しかしさすがにアジが1匹だと焦ってくる。次の極意は、速き事風のごとし。ここがダメなら今日は北上しようと決めていたので紀ノ川沖へ移動。
そしてここでアタリが出始めた。ラッシュほどではないがポツリポツリと食ってくる。そして時たま仕掛けが絡まってしまうほどのサバが食いついてきたりする。

前回、前々回に比べるとサバの数が少なかったがまずまずだろう。サイズも大きい。最後の最後、仕掛けを仕掛け巻きに回収している最中に今日の最大ではないだろうかという大物が釣れた。今日はずっと底の方でアタリが続いていたが、こんな浅いところでも食ってくるのだから今日はよくわからない日だった。



魚探には濃い反応が出ていても食ってこないし、何も映っていなくても仕掛けが絡まるほど食ってくる。



この反応は一体、魚ではないのだろうか。確かにアジサバの群れは楕円形に映るがこれは帯のよう。ほぼ船の下で動かずにいるという感じなのでやはり魚ではないのだろうか。やっぱりわからない。
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