イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

2016年05月01日 | 2016読書
梅原猛 「海人と天皇 -日本とは何か- 上下」読了

副題が「日本とは何か」となっているので、日本人の思想や精神の土壌となっているようなものを天皇制の推移をもとに論じているような本なのかと思って読み始めたが、中身はかなり違いある時期、天智天皇から桓武天皇の御世に起こった権力争いのなかでできあがった律令制度についての話であった。まあ、このときの出来上がった官僚機構の基本形が連綿と現在に引き継がれているとしたら、それはそれで確かに「日本とは何か」といえなくはないような気がするが・・・。

この時代、13代のうち、重祚した天皇を含めると5代が女帝であったという。この女帝たちの周りの取り巻きたちがいかに天皇の権力を骨抜きにし、官僚たちが政治をほしいままにしていったかという話が、この本の大部分を占めている。
その中心人物となったのが藤原不比等であるのだが、その養女として文武天皇に嫁いだのが宮子という女性であった。
伝記では今の御坊市あたりの出身で、海人(今でいう漁師)の出身であった。道成寺には「髪長姫」の伝説として伝わっている人だそうだが、不比等が宮子を天皇家に送り込んだことがきっかけとなり、下民の血を持つ出自のコンプレックスを抱え込んだ聖武天皇、孝謙天皇が利用されたのではないかという検証をそれぞれの天皇、皇后、縁戚、取り巻きの心理状態にせまって論じている。
著者はこの宮子姫の伝説を検証することによって藤原家をはじめとする官僚たちが意図したかたちで女帝を担ぎ上げそのなかで自分達、とくに藤原家に有利なように律令=官僚機構を作り上げたということを確信したという。
それでこの本のタイトルを「海人と天皇」として当初想定していたタイトルを副題にしたそうである。

宮子の子供は聖武天皇。東大寺を作ったのもそのコンプレックスからであり、その子供、孝謙天皇が道鏡に天皇の座を譲り渡そうとしたのも同じコンプレックスから。それを最大限利用したのが藤原氏だというのである。
同じように天皇たちに群がるライバルをことごとく蹴落として繁栄の礎を築いた藤原氏。敗れ去った貴族、豪族たち。
その話の流れが、論文を読んでいるというよりも小説を読んでいるかのごとくで面白い。
しかしながらたくさんの人物が登場し、また当時の文献をそのまま引用しているところが多くて半分も理解することができない。付録の系譜と本文を交互に見ながら読み進めるが、この系図自体も複雑で誰が誰の子供で誰が兄弟姉妹かがこんがらがってくる。僕の頭も悪いのは間違いがないが婚姻関係も複雑すぎる。それでも上っ面を読み飛ばしているだけでも人の心のドロドロしたところを覗き見ているようで面白い。


そして感じることがどうしてこんなに権力を欲しがるのか。僕の価値観ではそれがわからない。この権力争いもひとつの日本のかたちなのだろうが、僕には理解ができない。野心と能力のある人の世界と魚を釣らずにいられない人との世界はおのずとから違うものだ。なるべく接しないように毒されないように、うまくかわしてゆかねばなるまい。



上下巻で本編900ページ近くある長いものだったので、読んでいるあいだゆかりのある場所を少し歩いてみた。

まずは難波宮 この著作のすべての発端となった大化の改新が進められた場所である。
ここでも時の天皇、孝徳天皇は姉の皇極天皇、甥の中大兄皇子の裏切りに遭い、ここで悲嘆のうちに死んでしまった。



次に和気清麻呂にまつわるところ。清麻呂は道鏡に皇位を譲ろうとした孝謙天皇のたくらみを阻止した人。そのせいで一時は失脚したがその後光仁天皇の御代に復権し、大和川の水害を防ぐべく上町台地を貫いて大阪湾へ流す大工事を試みた。
工事は失敗に終わったらしいが、その名残が天王寺公園のそばにある。JR天王寺駅の北側、谷町筋にある以前から不思議に思っていた起伏のある坂道だ。



そしてその西側、茶臼山の古戦場跡にこれにつながる池が残っている。



最後に西大寺。ここは孝謙天皇の勅願により創建された寺だ。この本では、抑えきれないわが身の性欲への贖罪のために建設されたのではないかと書かれている。



その後衰退したこの寺を復興させたのが真言宗のなかでも戒律を重んじる真言律宗の叡尊という僧の手であったというのもこれまた因果なものだ。


かつてこんなことが繰り広げられた場所がこうやって残っているということが余計にこの本の物語をより本当だったのではないかと思わせてしまうのだ。
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