イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「おいしいごはんが食べられますように」読了

2023年12月16日 | 2023読書
高瀬隼子 高瀬隼子 「おいしいごはんが食べられますように」読了

この本は、第167回芥川賞受賞作である。そしてこの著者は、「ちゃんと生きてゆく」ということにかなり疑問を抱いているようだ。
「ちゃんと生きてゆく」というのは、「世間体がよい」とか、「みんなそうしている」とかいうようなものだろうが、そんなことが必要なのかということに疑問を持っているようなのだ。
著者は以前に読んだ、「水たまりで息をする」でも、風呂に入るという、まあ、ちゃんと生きていれば普通にすることを止めてしまった夫と、その妻との物語であったので、テーマとしてはよく似ている。

今回の物語は、「ちゃんとたべること」に意味を見出せない男が主人公だ。パッケージのデザイン会社の支店に勤める独身者である。忙しさもあるけれども、自宅での食事はカップ麺ばかりで外食でも食べるものにはまったくこだわりはない。むしろ、生きてゆくための栄養が錠剤で摂れるならそれが一番よいと思っている。
主人公に絡んでくるのはふたりの同僚の女性である。ひとりは実家暮らしでちゃんと食べている人の代表だ。毎食は手作りで、成り行きで肉体関係を結び恋人関係になった主人公にも夕食を作り、会社へも手作りのケーキを差し入れるような人物である。しかし、仕事にはそれほどのちゃんとという意識はなく、身体が弱いというような理由をつけては同僚よりも早く帰るし、後輩のもうひとりの女性よりも仕事ができない。それでもなぜだか他の同僚に守ってあげねばと思わせてしまうような雰囲気を醸し出している。そして、主人公が付き合ってきた女性というのはみんなこんな感じでもあった。
主人公は女性の作る食事にも違和感を感じる。セックスが終わったあと、眠っている女性の横でカップ麺にお湯を入れるのである。

もうひとりの女性は真逆の性格である。福岡から上京し、仕事もできるしひとりで生きてゆくという気概がある。だから、先の同僚には嫌悪感を抱いている。そういう気持ちも露骨に表面に出してしまう。食べることに関しては主人公と同じような考え方とは言いながら順番を待たねばならない人気のランチの店にも行くし、都心の有名店にも赴く。

大口の受注が入り、忙しくなる中、支社の中で小さな事件が起こる。
夜9時にも終わらない残業の途中、恋人であろうひとが作ったタルトを見ながら、労力がかかっている。どうしてそんなことをするんだろうと考え、それが端からばかげたみたいだと結論付けるためだけの思考だと分かった主人公はタルトを手のひらで押しつぶしゴミ箱に捨ててしまう。
それに気づいたふたり目の女性はそのタルトをひとり目の女性のデスクに置く。そういうことが何回か続き事務所の社員たちに知られてしまう。それが原因でふたり目の女性は退職、主人公は人事異動で別の支社に移ることになった。

ちゃんと生きるということに肯定的な人は一定数いることは間違いがないだろう。しかし、僕にはそれは人の目を気にして生きるとこであるという風に見えてしまう。会社できれいな資料を作るのも、なんとなく仕事に熱心ですという風を装うのもすべて人の目を気にしてのことだ。人の目を気にするというよりも世間体というものだろうか。だから内心は面倒だとしか思えない。面倒というのは常のことで、魚釣りでさえたくさんの道具を持って行くのは面倒だと思っている。まあ、魚釣りについては何事もシンプルなほど釣れるということもあるのであるが・・。
しかし、そういうことは表には出さないでおこうと思ってもきちんと出てしまうものだ。だから会社側からは嫌われるのは当然だ。しかし、長らく勤めた会社はチョロかった。最後は化けの皮が剥がれたとはいえ、適当に流してもここまでやってこられたのだから。
冷静に見るとこれは相当嫌なやつだということができる。ふたり目の女性がひとり目の女性を見る目線とでも言えるだろうか。
しかし、そういったふりを誰にもバレずにできる人は他人には好かれる。主人公も嫌悪しながらも最初の女性に惹かれてゆく。ラストシーンは、事件が原因で退職を決意したふたり目の女性と人事異動が決まった主人公の送別会に差し入れられた手作りのケーキの出来栄えを褒めながらも歯の裏と表と歯茎の間までクリームを塗り込みながらケーキでいっぱいになった口の中で罵倒する主人公の言葉にひとり目の女性が笑顔で聞き返すという、破滅的な行動とそれを褒められたと勘違いした幸福そうなその顔に容赦なくかわいいと感じてしまうのである。

三人の人物は、ひとりの人間の中でクルクル回る感情を分離したもののように思える。人の悩みのひとつはこの矛盾なのかもしれない。そして、「人の目を気にする」ということはまさにアドラーがいう人間関係の悩みにほかならない。

ふたり目の女性が会社を去る前、こんなことを言う。『私たちは助け合う能力をなくしていっていると思うんですよね。昔、多分持っていたものを、手放していっている。その方が生きやすいから。成長として。誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしいのも、そのひとつで。力強く生きていくために、みんなで食べるごはんがおいしいって感じる能力は、必要じゃない気がして』
この本のタイトルにも通じるセリフだが、著者が考える「おいしいごはん」とはこういったごはんだろうと思った。
僕も同感である。



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