イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「ワンダフル・ライフ」読了

2010年11月20日 | Weblog
スティーヴン・ジェイ・グールド 渡辺政隆/訳 「ワンダフル・ライフ」読了

夏に錨をかけてキスを釣っていると頻繁にウミケムシがかかってくる。なんとも奇妙でなんとも気持ち悪い生物だが、それを見るたびにカンブリア紀にもこの生物はきっといたに違いないと思っていた。今年の5月に引っ掛けたウミエラを見てからは俄然この頃の生物に興味が出てきた。
この本のタイトルは昔から知っていたが、値段が値段だけに新刊で買うのはもったいない。以来古本屋を探し回っていたがやっと780円でゲットできた。

本の内容は奇妙な生物の紹介とバージェス頁岩から初めて化石を掘り出した古生物学者とその誤りを正した学者の物語に分かれている。

生物の進化というのはずっと長い間、下等な生物から高度な生物に進化し、ダーゥインの進化論にあるように環境に適した優秀なものが生き残っていくと信じられていた。だから人間がこの地球上で一番優れた生物だということになっている。しかし、本当の歴史はこの時代に一気にいろいろな形の生物が出来上がって、そいつらは「不運大量死」をして今の時代につながってきたというのが真相らしい。優れたものが生き残るのではなくて、ほんの些細なことで生き残るか死んでいくかが決まるということだ。人間がこの時代にのさばっているのも単なる偶然だということだ。そういえば、哺乳類というのは恐竜が小惑星の衝突で絶滅していなかったらどうなっていたかわからない存在だったのだ。惑星がぶつかっていなければ体中うろこだらけの人間?がいたのかもしれない。歳をとってくるとうろこが抜けるな~。などと言いながらかつらではなくてつけウロコなどを買おうかおどうかと悩むオヤジがいっぱいになっていたかもしれない。

だから、僕が今、パソコンのキーボードをたたいているのもほんの偶然ということだから小さなことにくよくよしてもまったく意味がないということだ。自分のことを稀代の天才のように思っているどこかの会社の役員さんもいくら威張っていても偶然生きているだけなのだ。どうせ拾った人生だもの・・・ということだろうか。何か楽になれる。

後半の物語は最初にカンブリア紀の化石をバージェス頁岩から掘り出したウオルコットとその分析の間違いを正したウイッティントン達との物語だが、既成概念にとらわれた学者とそれを打ち破った学者の話にはドラッカーが唱えるイノベーションの必要性と共通するものがあるように思う。

なにか思っているのとは違っていた内容だったが500ページを面白く読み進むことができた。
僕の体は有機物で構成されているということは、その有機物はいろいろな生き物の体を経てここにあるはずだから、ぼくの指先のアミノ酸は5億年前は奇妙な生き物の体の一部だったかもしれないと思いながら読んで見ると、う~んとうなってしまうのだ。

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