イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「令和版 全訳小説 伊勢物語」読了

2020年12月28日 | 2020読書
服部真澄 「令和版 全訳小説 伊勢物語」読了

伊勢物語が最近流行っているというのを聞いたことがあって、読みやすい本を探していた。この本は、完全口語訳でときおり注釈が挟み込まれているという構成だ。口語訳の部分と注釈として挟み込まれた部分が判別しづらいという部分を除けばものすごく読みやすい。文語がまったくわからない僕としてはありがたい構成だ。
原文は、ほとんどが仮名文字で書かれているらしく、浪人時代の古文の講師の先生が全部ひらがなで書かれた和歌を虫食い形式で出題して、文法や単語の説明をしてくれたことを思い出した。
高校時代の古文の先生に比べるとはるかによくわかる説明をしてくれたので2年目の共通一次試験の古文と漢文はほぼ満点を取れたのはこの先生のおかげだったといまでも感謝している。けっこうスケベなことも教えてくれて、平安時代はフリーセックスと通い婚だったというのを浪人時代にはじめて知った。刺激的すぎた・・。
料理屋の店先に塩を盛るのは、当時の上流階級は牛車に乗っていて、牛は塩を見つけると舐めたくなるのでそこで立ち止まる。だから男を引き込みたい女性は玄関先に塩を盛っていたのだということも教えてくれた。
今ではまったく文語なんてわからないけれども、当時はそこそこ読めたのにと思うと残念だ。

伊勢物語とは、『平安時代初期に実在した貴族である在原業平を思わせる男を主人公とした和歌にまつわる短編歌物語集で、主人公の恋愛を中心とする一代記的物語でもある。』とウイキペディアには書かれている。作者は不詳。125段ある章のほとんどが「むかし、おとこありけり」という文章で始まるというのが特徴だ。『源氏物語』と双璧をなしており、『古今和歌集』を加えて平安時代の三大文学とも呼ばれているそうだ。使われている和歌のほとんどは実際に在原業平が詠んだ和歌だそうだ。

内容はというと、在原業平らしき人の恋愛遍歴が満載という感じだ。下世話な書籍紹介を読むと、業平のスーパープレイボーイぶりがエロチックに書かれているみたいなことを書かれているが、むしろ、しっとりとした男女の機微が書かれているといったほうがいいように思う。
男女のコミュニケーションのほとんどが和歌のやりとりで成り立ち、その36文字にいく重にも隠された掛詞が使われ、無限の意味を持ってくる。そして手紙のやりとりというゆったりした時間の流れがその想像力をいっそう膨らませるというのがこの時代のコミュニケーションだったのだろう。

瞬時にメールが届いてしかも画像付きという今の時代はそういう意味では想像力が働かない。今、この時代にこういう文学が注目されるというのはたしかによくわかるような気がする。

在原業平と言う人は、平城天皇の孫にあたる人で政争に敗れ在原姓を名乗ることになったけれども運がよければ天皇になっていた人だ。だから物語のそこここになんだか悲哀のようなものが隠れているような気がする。(実らぬ恋の場面が多いというところもあるのだろうが・・)
有頂天の物語よりもこういったものの方が長く語り継がれるというのも徒然草や方丈記、平家物語と同じような雰囲気をかもし出しているのかもしれない。

六歌仙・三十六歌仙の一人というくらいで、掲載されている和歌にはたくさんの掛詞が入っていて、解説が付いていなければまったくその意味を解せない。この時代の人たちはこういった和歌を相手の気持ちと一緒に理解できたというのは相当な教養とひとの機微をわかっている人たちであったのだと感心させられる。これもきっと今のように安直に情報を伝えられない時代ならではの能力であったにちがいないと思うのだ。

きっとこういう生き方の方が人間らしいんだろうなと読みながらずっと思っていた。


桜の季節になると必ず頭の中をめぐる
『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』
という歌は伊勢物語に収録されていた歌だということもこの本を読んでははじめて知ったことであった。
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