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リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

世界資本主義論の大枠組

2016-07-30 14:22:32 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。東京地方梅雨があけ、いつもどおりの夏空が広がっております。青い空に日光に輝く白い雲。
 ところでインターネットエクスプローラーまだIE9の方います? ここのところIE9、調子悪くないですか? どうもジャバスクリプトの動く画面はしばらく考えないと拒否するもよう。 (わたしんとこだとie9のくせにie10の表示が出るんですが、ようするにie9。前言いましたが、ie10だとIMEがうまく動かないんで。)
 まあブラウザなんかいつでも変えてやるんだからいいんだけど(ただ慣れてるから動く間はie使うけど)。

 さて、世間ではとにかく毎週毎週ひどいニュースが。私の感想はふつうの人と同じなんでとくにブログの題材にはなりませんが。
 明日は都知事選とのこと。都議会のドンとかいうやつが落ちぶれるといいですね。これは普通の人の感想かしら。
 これは家人が言っていてなるほどと思ったんですが、82歳にもなって働かされるなんて天皇もひどいね、奴隷。
 もう体力がないからやめたいっていってるのに、馬車馬のように斃れるまで働けと。馬って倒れると死ぬんだよね。やめさせてやれよ、自民党。道具じゃねえぞ。あ、道具か。
 まったく、「私は人間だ、人間らしい人生を!」 つったら「象徴」じゃなくなるとね。しかし、「給料やるから働け」 なんて論理は60歳までだよ。
 ほんと、間。
 もちろん問題は「私は人間だ!」 と叫ぶのを、一族のため控える天皇ではなく、(そんな言葉はサラリーマンはいつでも呑み込んでいる。) 偉そうな顔してこれを操縦せんとする会社社長、この場合、アベ以下、自民党・公明党の幹部にあるんだけどね。
 左翼も、極左以外は、こういうときに天皇と連帯したらいいんだ。他に価値もない。
 まあ天皇なんちゅうのは存在からして人民を裏切ってるわけだけど、それはもちろん「人民」というカテゴリーを裏切る6千万サラリーマンと同様。左翼が横恋慕している他称「労働者」とおんなじさね。

 で、今日のテーマはまたオタク系なので、早々に役に立つ記事を。
 
 薬物中毒者には近づいてはいけない。
 あの殺人犯は大麻中毒だって? ヤクチュウは人間じゃないから関わっちゃだめ。大麻、ヘロイン、アル中。全部だめ。アナキスト的にはいいたくないけど、警察は取り締まれ。「同じ人間だから」、「かわいそうだから」。無用の感情。人間の成れの果ては人を殺す。ニコ中はだいじょぶだろうけど。
 他方、同じほど大事な話、いわゆる精神病患者は、療養中の人はまっとうな人間です。ここんとこは誤解なきよう。統合失調症のたぐいの病気ね。
 昔そういう人たちと将棋指したりしたけど、普通の人と違う点は、「違っててかわいそう」に向かう変さしかないし。
 やはり変わった人は病院に行かせたほうがいい。将棋2ちゃんねる、たくさんいるんだよね。
 
 以上終了。
 
 本題は、森田桐郎「世界経済論の構図」室井義雄編集。森田桐郎の遺稿を室井義雄というお弟子さんが編集したもの。
 図書館でマンガの代わりに山田鋭夫と一緒に借りて、山田は可笑しくもなんともないのですが、こちらは面白かった。世界経済論の序説ですけどね。
 世界経済論というのは、本来、世界で一つの資本主義、という意味で、大昔、岩田弘という人が有名にしましたが、それはただの先進資本主義諸国関係論。他方でアカデミズムから松井清という人が世界は一つの経済論を出してきたんですが、こちらは残念ながら夭折。って60歳だけど。森田氏はそのお弟子さんに当たると推測。こちらも61歳段階で序説だったはずですが、作りが悪いのでやっぱりムリでしたね。
 何が面白いかというと、松井清は純粋に商品経済学だけど、こちらは一応労働力にまで立ち入って世界は一つ論を組み立てようとしているところ。たったそれだけだけど、初めて目にしました。西洋の未訳論文を参考にしてましたけど。
 ただし残念ながら序説で終わるのは、例によって、せっかくマルクス・レーニンが話を特定化しているのに、勝手に散漫な「種々の」労働力現象をカテゴライズしてまとめようというところ。
 まとまんないって。本としてまとめたつもりのものができたとしても、そんな論は結局何も伝えていないって。どうしてわかんないのかねえ。
 
 だめだね。「経済学」の「学者」は。
 「経済学」だけでは何もわかりっこないのに、あとは自分の常識でなんとかなるだろうと思っているのね、おそらく。
 残念ながら常識で済めばマルクスはいらない。
 ついで、学者は教授や著者として論を売るために、なんとか現実に近づいて人の興味を満足しようとするのね、たぶん。
 現象に名前をつければ「学」になるなら、弁証法はいらない。
 まあ、こんなことは「世界経済論の構図」を開けば5分で分かる。
 とはいえ、350頁あるから、とりあえず目で流して、やはりそうであることを確認するのにさらに20分。
 遺稿編者の室井義雄という人がまともであることを確認するのに2分。
 しかし本人の志向が森田氏のそれとはずれていることは、一目、5秒で分かるので、室井さんという人のさらに弟子に託せばよかろうと思うのに2秒。
 計27分7秒、面白かった。
 
 「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」って、
 ともかく、ある世界内国家が自分の被支配者を他国の資本主義の底辺プロレタリアート部分として組み込まれることを受け入れるか否定するかは国家支配者の恣意なのだから、これは帝国主義論レベルと同じ、資本論で解けるものではない。
 嘘だと思ったら、その時点で価値論を繰り広げてみたらいい。森田氏もいっているように、これは不等価交換。不等価交換を原理に組み込んだら、まずなによりもマルクスエンゲルスの主意である、資本家の搾取が解けない。
 なので、本来のトータルな理論の大枠をお教えします。
 「そもそも、支配者の恣意を含めた認識を原理に組み入れて」、なんていうのは経済学者には酷なので、本当であってもいわない。まずできることをやってもらいましょう。
 経済学者が支配者の立場の組み込みを脇においてまず立論すべきなのは、帝国主義論のレベルの確認、すなわち、行き詰った資本主義が海外に労働力を転嫁する要素の析出と、その現実化の枠組み。ついで、トータルな形でこれを受け入れる、「周辺」論の「周辺」ではなく、各「国家」の枠組み。ついで、この転嫁要素のトータルな形での世界での膨満と破裂の論理的過程。これは資本主義の腐朽ではない。世界資本主義として他地域のどこにも転嫁ができない状態、すなわち待っているのは「破裂」であると。
 
 当たり前だと思わない?
 数々の論者の論をのりとはさみでくっつけんじゃなくて、現実を勝手にカテゴライズするんじゃなくて、素直にこの枠組みで、理論ではなく資料と論理で組み立てれば、現実はその組み立ての部分としておもむろに範疇化をすれば、それが資本論を原理とした歴史段階論になるのですよ。
 
 と、こんなものは実質1分半で分かる、というか、提出できる。
 学者なんかそれが仕事なんだから、すぐに作れて他の人ののりとはさみの対象になるんじゃないのかねえ。教養科目を講義する片手間におやりになったら?
 もっともわたしは片手(2本指)タイプなので、書き始めてから今で40分。決して考えているのではなく、もうわかっている結論に、キーボードの指よ、早く追いつけ、という感じだね。

 さて、どこまで結論に近づけようとするか。
 要するに、経済学としては、具体的な国家ではなく、趨勢を激しい傾向性として表わす、というところでしょう。そして、それは理論上当然のことではあるが、誰もしないことなので巨大な一歩となる。というわけです。
 この3行も、「分かる」のに15秒くらいだよなあ、、、
 おら、経済学をやればよかったかも。
 ま、社会学でも経済学でもおんなじだけどね。 訳のわからない人々に本を読ませるにはプレスチージュがないと。
 というわけで、がんばってください、森田氏の孫弟子さん。

 もちろん、実は、その後で、経済学的に規定され終わった世界資本主義がどう壊れていくかを国家=支配を要素として書き直す必要があります、が、それは隈理論を携えた後代の経済学者にまかせましょう。
 わたしは次回本が最終。
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