リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

唯物史観の問題点(その2)

2008-04-14 11:56:02 | 歴史への視角
前回に引き続き、唯物史観の問題点。「社会を動かす原動力は、生産力と生産関係の矛盾である」
まあ唯物史観の基本中の基本。
よいんですけどね。でも、それはどういう事態か、は、わかってないと。

ここでの問題は、生産力というものです。
確かに生産力は直接に歴史を変えるのですが、生産力を動かす要因というものがあります。
どうもしかし、エンゲルスが分かっていたと思われるように、本当の要因は生産方法なのです。生産方法が変化することによって生産力が増加する。

日本には「生産力とは人間力だ」なんていった有名学者がいました。これは社会学者に喜ばれましたけどね。私も学部1年のとき、これは良い言葉だ、と思ったものです。経営学でも後進国進出が課題のときでしたので、「そうだそうだ。現地人を働かせるのが大変なんだよね」みたいなところだったと思います。
が、そういうもんじゃない。
ごらんのとおり人間力など20年で変わる。頭に可塑性のある年齢時なら、生理性と優越と賞賛とによって変わる。「人間は規制によって水路化される」とまとめたいところですが、わかりにくいかしら?

とにかく、生産力はそんなものでは上がらない。工場勤務にフィットすべく改造された人間は、改良された生産手段によらなければ生産力を上げることはできない。
生産方法とは、狭義の生産手段--機械等のみを指すわけではありません。
はるか昔、限定された生産育成によってのみ支えられた採集経済は、米その他の単位栄養量の高い経済にとって替わられました。
これによって得られた生産力と保存力の増大は、決定的に社会を変えました。
これは生産方法の移入による、というのが普通の日本語です。

余談ですが、これはエンゲルスは認識していたようでもありまして、だいたいエンゲルスという人は、サルトルがけなしたりと、マルクス主義が哲学だった昔はやけに評判が悪かったのですが(今は誰も何もいわない、ということで)、とんでもないことだと思いますね。表現方法は普通の人向けにやさしく書いているのでアバウトですが、マルクスより数段社会科学を進めた人です。
マルクスがいなくともエンゲルスがいれば歴史は変わらなかった。もっとも、人は一人では仕事ができない、ということはありますが。エンゲルスが第1バイオリンだったほうが世の中のためだった気がしますね。

閑話休題、では生産方法はどうやって変わる?
事実の認識です。
事実の認識は決して上部構造ではありません。隈の著作でしつこく述べたように、知識は歴史を動かすのです。

も一つ余談ですが、もちろん、科学の普及は上部構造です。大学の学問など科学ではない、といっておくと論争的でよいですね。なにいってんだ、と怒る気のある学者は事実を探求してらっしゃるのでしょう。しかし、それは「大学の学問」ではなく、「あなたの科学」です。まあ、面倒なのでやめときます。



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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-08-30 12:43:44
米の作り方は宇宙との交信によって獲得した方法ではないと思うのですが…、どう考えても「生産方法の発明によって」というのが普通の日本語に思えます。
なので私には仰ってる事がよくわかりませんでした。
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どうも上滑ってすいません ()
2012-09-01 09:00:34
上記は日本の話で。
日本(ないし日本的地域)におけるの米の作り方は他地域からの移入によっている、ということでよろしいでしょうか?

じゃあ、その大元の地域ではどうだ、ということになると私は知りませんので。
おそらく、人間が意思的に植えることと作物の収穫の増大が事実として認知されたのでしょうが、真実は宇宙人が教えたのかもしれませんね。この点の問題は、その1、限られた数の個人の束で何でもわかるわけがない。その2、真実は、事実の量にまだ必要がある限り、人間たちが全体的に蓄積的に明らかにされていくべきだ、ということでしょうか。

というわけで、本当の問題は文の下手な人間がこういう(短い時間=短いスペースで)形式で伝えることとは思います。
本人として残念ではあります。


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