リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

政治革命・社会革命の概念

2014-02-09 21:00:59 | 歴史への視角
 暖房だけが頼りの零下の1日が過ぎ、東京地方、また太陽の暖かさがうれしい日が帰ってまいりまして。ほんと申し訳ない。
 
 というわけで昨日いった「政治革命」と「社会革命」問題。
 いいかえると、政治権力の変更と社会経済体制の変更は
1 どちらが先か、
2 または社会経済体制の変更のみで足りるか
3 または政治権力の変更があればなんとかなるのか
という問題。
(ま、その他に遊びの議論はいろいろと。しかし、観念用語の弄言。意味なし。)

 ここで、
1 どちらが先かでは、日本マルキストが「政治革命は経済体制革命より先」、構造改革論者が「経済体制の変更が大きな役割を果たし得る」
2 アナーキストが、「社会体制の変更のみで足りる(のと同時に政治権力を滅す)」
3 スターリニストが、「政治権力の変更があれば、「経済体制変更は何とかなる」。
 という区分けになっております。

 で、『お前は、アナーキストだというから、「2」なんだろう』という展開が想定されますね。

 で、要は、こんな区分けがそもそも間違い。
 『あ、きたねえ』 てなもんでしょうか。
 
 全人民にとっては

1 まずは現在の支配をなくすには政治権力に勝たなければならない。
2 といって支配権力に勝っても、その先に衣食住が確保できる生産力が保証されていなければならない。
3 この2つの絶対的必要条件の下で、確保された状態から、
4 さらに、この状態の確保をし続けつつ、
5 支配権力も、
6 さらに生産に抜きがたくひっつく共同体権力も、
7 二つながら無力化していく
これらの一連の過程、これが論議の前提です。したがって、

 第1に、高度な生産力の前提のもとに
 第2に、政治革命を起こし
 第3に、その政治権力の下で意思的に
 第4に、諸権力を廃止する「社会制度を構築する」。
 
 これがアナーキストの枠組みであり、当然に、マルキストがこれを聞いて拝跪しなければならない革命原則です。

 じゃあなんでロシアがあんなに、って。あるいは中国があんなに、って。
 それは簡単な事情なのだよね。要するに、いったん間違った状況に入り込んでしまえば、誰が考えようが、その道への答えは一つ。ただ、その答えに色合いのバリエーションがあるだけ。
 スターリンだトロツキーだといったところで、大同小異。
 役人の首を切ることが自称民衆の味方の首長やその取り巻きが唯一できる行為であるのと同様に、バリエーションとして権力者が趣味でできるのは粛清と、他国(=他地域)の犠牲だけ。
 そりゃ、「ロシア資本主義が日本より進んでた」とかね、そんな話したがるやつもいて。笑止ではないけれども。じゃあそいつらってどんな意味でそんな発言をしたんだろうね、くたばりぞくないの元教授のおっさん(悪口じゃなくて、基本、年齢的に死んでるんだよね)、グルジアにも資本主義が席巻してたのかい? いや、いまでも誰とかの教授連はそういつと同様に判断してるんだろうけど、そんな文章が目に入る機会がないから。
 なにがいいたいのかって、そんな日本の経済学教授の認識と同様に、ボルシェビキも全帝国の必要物資をロシア地域に集中強制運搬したんだよね、ってことで。モスクワ、聖ペテロ地域こそ、全世界が認める「ロシア」なんだよね。

 それが唯物史観というものです。

 もちろんそんなことはトロツキーはわかってたし(わざわざ参考文献書くかね、どうせみんな読んじゃいねえよな、「裏切られた革命」)、スターリンだって=スターリンの取り巻きだって分かってた、(参考文献はないの。利益本位の国民文庫が絶版にしちゃったからね)。わかってねえのは日本の自称理論家と、欧米のあかんぼ社会理論家だけね。
 かわいそうなんだよ、現実に翻弄される、っていうことはね。それは指導者だって同じこと。とうてい自称理論家の口先「批判」などとは次元が違うの。もちろん、それで虐殺魔となればその責めを負うのは当然だし、本人も当然そう思っているだろうしね。毛沢東みたいなもんだ。心ならずも天安門の御真影になっちまったけどね、当人はそんなもんであろうとしたはずもない。自分の「罪」はじゅうじゅうご存知だったろうさ。

 というわけで、ご覧のあなた、14歳の生徒さん、いわゆる厨房? なにバカにしてんだよね、自称若者たち。自分はなんも考えてないくせに。で、中学生のあなた。隈の理論はあと20年経たなきゃ流行りませんが、10年くらいで一応市民権を得ます。そこであなたがほかに研究することなかったら、これお奨めね。『後進国資本主義革命(あるいは「離陸」革命)の世界資本主義的視座』。ロシアであれ諸後進国家はすべて、首都地域だけがマネッジの対象であり、後進国でもそれならなんとか格好がつく。
 それは革命家という上流支配層の、当該支配システムに対する世界的な視座からの賞賛と優越の帰結でもあった。そして現実もそうなったし、そうなり続けている。もちろん、飢餓と虐殺との引換えにだが。
 なんてことの原理は、隈の基礎理論に加えて、近々の応用理論に出しますし。それを基礎にあなたも立命館とか大阪市大とかの教授になってください。わたしに限っては純学問的努力には興味ありませんのでそれ以上展開しませんし。(と書いてから、あれ、まだあるのかね大阪市立、そういえば統合が、、まだ女子大までか、、、)

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