健康サポーター H&S

心も身体も健康に生きたい。みんなで生き生きしましょ。

地域の支えを受けながら生きる

2020-02-11 12:13:17 | 介護
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

先週水曜日に実家の母を訪ねようと思っていたところへ
体操教室の代行の依頼が舞い込み
「今月は行けそうにないなぁ」とあきらめていました。

そうしたら、今度は今日の予定が
急にキャンセルとなり時間があきました。
朝、母に電話をしてみました。

すると
「午前中はいずみさんが来ておそうじをしてくれて、
午後はデイサービスでリハビリ。」
という返事。

元気そうな声で
「電話くれてありがとう。
声が聞けてうれしかった。」って。

一人暮らしの寂しさはあるでしょうが
多くの人たちに支えられて
前向きに生きている母の様子に安心しました。

地域のご支援に感謝!
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音楽が心をつなぐ

2008-09-20 15:58:37 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

父が入所している横浜の老人保健施設でピアノを弾きました。父が病院を受診するので付き添いのため久しぶりに訪ねました。

急に押しかけて、皆さんに集まっていただいて、というのはあまりにぶしつけなので、お邪魔にならないようBGMとして弾きたいと思って相談したところ、昼食後の時間に、とお許しが出ました。

病院から戻るとお昼をちょっと過ぎていて、昼食の済んだ方たちが音量を大きくしたテレビの前に集まっていました。この時間に職員は交代で昼食をとっているようでした。父も遅いお昼をいただきました。

誰にも気づかれずに弾き始めると、次第に背中に人の気配がしてきて、一曲終わって振り向いたら、10名ほど車椅子の方が集まっていて、拍手してくださいました。吹き抜けになっている2階からも。

9月14日(日)の「ウェルネス・プロジェクト」で「生伴奏で歌いま専科」のために練習した中から得意な曲をいくつか弾いていくうち、いつの間にかテレビの音は聞こえなくなり、ピアノの近くにお客さんが増えて、ふたりの職員の方がリクエストを下さったり歌ったりして、場を盛り上げて下さっていました。

後で聞いた話では廊下で口ずさんでいらっしゃる方もあったそうです。
音楽が聞こえて自然と歌いたくなるって人間らしくて素敵です。

母に付き添われた父からは「千の風になって」のリクエスト。3月の「公民館まつり」で両親と同世代のHさん(ハーモニカ)、Gさん(ボーカル)と一緒に「トリオ大沢」としてステージ発表した曲です。

送迎バスの出発時刻となりリクエストにお応えしきれませんでしたが、またピアノを弾かせていただくお許しをいただき、笑顔に見送られてバスに乗り込みました。

ところで「トリオ大沢」は「アンサンブル大沢」と改名して再出発することになり、数日前、曲選びのために集まりました。次回は10月20日(日)。また何曲か3人で合わせてみることにしています。

そのうち、施設を慰問することになるかもしれません。

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病院通いのゴールデンウィーク

2008-05-06 11:31:34 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

ゴールデンウィーク最終日となりました。今朝は澄みきった青空、からっとしたさわやかな風が吹いていつもにも増して気持ちのよいラジオ体操でした。

ところで、私のゴールデンウィークは、父がいる病院に通いながら過ぎていきます。片道2時間の電車の中で読書、最寄り駅で下りると父の好物のどら焼きやメロンパンやおまんじゅうなど、日替わりでいろいろ買っていきます。

父の病室に着くと決まって「待ってたよ~」の言葉。
何を待っていたかといえば、お目当ての品です。
糖尿の気があるので食べ放題というわけにはいきません。
夕食が来る6時までをどうやってもたせるか至難の業です。
何せひとつ食べ終わるとすぐにもっと欲しくなってしまうのです。
すぐに次がもらえないとイライラしてきてテーブルを叩く。
病院食が全粥、きざみ食、汁物はとろみをつけたものなのに、「おにぎりを買ってきて。」と言ってきかない。

いつも食べることしか頭にないのに加えて、不安や寂しい気持ちが強いようです。
父から頼まれたホットレモンを自動販売機に買いに行って戻ったら、「どこに行っていたんだよ~。どこにも行かんでくれよ~。呼んだ時ちゃんといてくれよ~。」
「あなたの注文の品を買いに行っていたんでしょうが!」と言いたいところですが、そういうことが分からなくなっています。

待ちこがれた夕食が来ました。食べられなくてご家族や看護士さんが何とか口に入れようと苦労している同室の患者さんがいる一方で、父はあっという間に完食。食事の介助が済むと私は洗濯物を自宅へのお土産に病室を後にします。

病院での治療は終了。連休明けまもなく退院予定ですが、老人ホームに戻った父の介護はちょっと大変かもしれません。
スタッフの皆さん、よろしくお願いしま~す。
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病院へ付き添い

2008-01-04 22:07:18 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

父の病院受診の付き添いをしました。午前10時頃、入所している老人ホームにタクシーが到着。車椅子をトランクに積んでもらって出発です。「身体障害者手帳2級を持っていますが、割引はありますか。」と尋ねると「はい、ありますよ。」というお返事。もっと早く手帳交付の申請をしていればよかったなと思います。1割引の料金で病院まで。

予約がしてありますが、さてどう動けば良いのでしょう。事務の人に尋ねると機械の所へ案内され、診察券を挿入して画面の必要な箇所にタッチして受付完了。後は診察室の前で呼ばれるまで待つだけです。なんと簡単!

予約時刻の1時間前に着いてしまったので待つことを覚悟して診察室前で待っていると予定の40分前に呼ばれ、ラッキー!始めてお目にかかる先生は話しやすい感じの方で、診察後になって「ああ、あれもお尋ねすればよかった。」と思うようなことはありませんでした。

以前、病院に行くと「黙って私の指示通りすればいいのです。」という感じの先生が多く、お尋ねしたいことはあらかじめメモしていって短い時間に端的に済ませないといけないと思い緊張したものですが、近頃は話しやすい先生が多くなったと感じます。

また大きな病院では待ち時間が長いことはしかたがないとあきらめていましたが、機械化によって効率よく処理されるようになってきました。

11:30の予約だったので「今日はお昼ごはんが食べられないな」と思っていましたが、予定より早く終わったおかげで父は老人ホームの昼食時間に間に合い、いただくことができました。

今日お世話になったタクシーの運転手さんたちは高齢者や身障者への対応を心得ていらっしゃるようで親切にしていただきました。

付き添った妹と私は父が部屋に戻って午睡に入ったのを見届けてからおいとまし、2時頃途中のとんかつ屋さんでお昼をいただきました。Whew!



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父の退院

2007-12-31 15:27:11 | 介護
       今年も大変お世話になった大沢公民館の近くの紅葉

こんにちは、健康サポーターH&Sです。

風がありますが、日差しがあって大掃除にはまずまずのお天気です。昨日はベランダの掃除とリビングの窓磨き。今日は玄関の汚れを落とします。履かなくなった靴が何足も見つかり下駄箱の中がすっきりしました。

一時は「延命治療を希望するか?」と担当医から家族に決断を迫られるほど容体がいつ急変してもおかしくない状態だった父が無事病院からもとの有料老人ホームに戻りました。

退院の朝、病室に着いてすぐ「お父さん、退院おめでとう!」と声をかけると、父は「いいかどうか退院してみないとわからんな。」とくもり顔。なにやら不安そうです。

お粥が普通の食事になるのはうれしいけれど、また介護員から「ああしなさい、こうしなさい」「こうしちゃいけません、ああしちゃいけません」と口うるさく言われるのだろうな。老人ホームのみんなは忘れないでいてくれているかな? 
父の気持ちをおもんぱかるとこんなところです。

タクシーで到着後、食堂で久し振りに利用者の皆さんと再会し、父が「またよろしくお願いします。」と挨拶すると、皆さんからも「よかったわね。」と言っていただき父の表情が和らぎました。

1月中に冬の歌を用意していって皆さんに歌っていただこうと思っています。
曲目は「たきび」「春よ来い」「富士山」「雪の降る街を」「ゆき」など。

今朝は「ラジオ体操納め」。みんなで「良いお年を!」と言って別れました。明朝さっそく「体操始め」です。「ここは年中無休だから。」と誰かが言っていました。明日もきっと晴れ。初日の出を拝めそうです。
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父の帰宅(3)

2007-10-15 08:53:43 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

昨日は、家族が協力して月に1回ペースで実現している、父の一時帰宅の日でした。先生からお借りしている大正琴を持って橋本から大船行きの横浜線に乗りました。「小さい楽器」と思っていましたがケースに入れて持ち運ぶと結構かさばります。硬いものにぶつけて大正琴が悲鳴をあげないよう、硬いケースが当たって人が悲鳴をあげないよう、取扱いに注意。

いつものように父がお世話になっている老人ホームで妹と落ち合いタクシーを呼び母の待つ自宅へ。

2月の誕生会の出し物で「黒田節」を歌いたいという父に大正琴の伴奏を合わせてみたところ、練習していた音程より4度程高くした方が良いことがわかりました。(また練習がんばるゾ!)

近頃転倒しやすくなってあまり歩かなくなっているため、いっそう足元がおぼつかなくなり、運動不足になっているためか、頑固な便秘にも苦しんでいます。身体も硬くなって、手足を動かすのを痛がります。

しんどいからといって、身体を甘やかしてはいけないのだなあと思います。

でも父の周囲にいる人たちの中に、父の心を癒したり元気づける対応をしてくれる人はめったにいません。母はしょっちゅう「お父さん、周囲の人に感謝の気持ちを忘れないで。」とお説教していますが、痛い時に「痛い!」と声を上げたり、しんどさを感じる時に弱音を吐けない不自由さを気の毒に思います。

お父さん、「痛い!…けど我慢する。」「しんど~い!…けど頑張る。」のようにひと言加えてみるようにしたらどうかな?
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父の「介護体制」要再検討

2007-09-24 08:46:55 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

午後は久し振りに小学生バレーの子たちとバレーボールができると楽しみにしていた朝、母から招集がかかりました。

老人ホームにいる父から電話があって、家族に話したいことがあるから来てほしいというのです。母から施設長に問い合わせると、特に父の様子に変わりはないというお返事。緊急事態ではないようでしたが出かけました。

父の居室で話を聞きました。食事、排泄、個室のテレビやエアコンの操作のことなどについて、どうすればいいのかわからなくなってしまったと言います。

「自分でできることは自分でやるようにする。」ということが身体機能の維持のために大切なことですが、「できない。」と思って頼むと「自分でしなさい。」と言われ、無理して自分でやろうとするとうまくできなくて、「できないことは頼みなさい。」と叱られる。

「父自身ができること」「手を借りなければならないこと」を具体的にして父と周囲の人が共有し、それぞれの項目について父と介護員のとる行動を取り決める必要があります。そうすれば父が何か行動を起こそうとするたび「自分でやるべきか、やらざるべきか」迷わずに済みます。

たとえば、「トイレに行きたくなったらブザーを押して介護員を呼び腰かけるところまで手伝ってもらって介護員は去り、用を足し終わったらまたブザーで介護員を呼んでズボンを上げる所までやってもらう。」というようにシステム化しておけば父が失敗することが減り、介護員の負担も軽くなります。以前お世話になった老人保健施設ではそうしていました。

父が無意識にやってしまうこと、たとえばエアコンの温度設定やテレビの音量を変えて、室温が下がりすぎたり、音量が大きくなりすぎたりすることについては施設の方で工夫をしていただく必要があるでしょう。父には覚えがないのだから叱られてしまうのはかわいそうです。

もっとケアマネジャーと連絡をとって相談する必要を感じました。

私たちは「どんな些細なことでもいいから話して。」とうながしました。父は自分につらくあたってくる介護員の個人名を上げることははばかりながら、それでも大体はき出すことはできたようで、後半にはひとりで暮らしている不安や大変さを訴える母の話に熱心に耳を傾けていました。

父との話し合いを終え老人ホームを後にすると、弁当と焼き鳥少々を買って実家に帰り、母と小さなグラスで焼き鳥を肴にビールをいただき、夕食を共にしました。こんなささやかなことが母にはうれしいようです。

実家から自宅までの帰路、疲労や眠気と一緒にきょう一日への満足感を味わいました。ちらりと翌日のラジオ体操のことを思いました。「起きられるかな?」
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父母の悲しみ

2007-09-18 08:31:43 | 介護
健康サポーターH&Sです。

16日(日)は老人ホームにいる父が楽しみにしている一時帰宅の日でした。日曜日はタクシーが出はらっていることが多くて心配でしたが、今回はじきに来てもらえました。

乗車時間約20分。自宅に到着すると母が出迎えました。父が「おはよう。」と言うと、「お帰りなさい。」と母。その言葉に一瞬少し驚きそれから味わうように少し間があって、「ただいま。」と返す父。

回数を重ねるにつれ、父が自宅で過ごすことに本人も家族も慣れてきました。前回まで昼食の時自分で「欠食児童みたいなもんだ。」などと言いながらガツガツ食べてしまって家族がそのペースについていけなかったのが、今回はゆっくり味わうことができました。

でも次第に、父には「もっともっと自宅に帰ってきたい。できることならずっと。」という思いが強くなってきます。それが母を苦しめることになります。母ひとりで父を看ることはできません。要介護度4で左半身が不自由な父ですから。

自分の家なのに帰ってこられないなんて悲しいと思う父。希望に沿うようにしてあげたくても自分にはこれ以上どうにもできない。そのことを父にわかってもらえなくて悲しいと思う母。家族4人でお茶を飲みながら話しているうちにふたりの悲しい思いが噴き出しました。

父も母もいきいき過ごせる生活をどう手助けすればよいのでしょう。簡単には妙案が浮かびそうにありません。
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去りゆく夏を惜しんで

2007-09-04 08:21:34 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

父がお世話になっている老人ホームで歌のつどいをさせていただきました。夏をテーマに8月中に実現したいと思いながら、連日の猛暑に勝てず機を逸しました。しかたがないので、「去りゆく夏を惜しんで」ということにしました。

いつものようにストレッチ体操をした後、「夏の思い出」でスタート。歌詞に出てくる尾瀬沼の水芭蕉。実は5月中旬から6月中旬に白い花(実はこの部分は葉の変形でホウというそうです。)を咲かせるということで、春の植物なのだそうですよ。というようなお話をして、もう1曲「夏は来ぬ」。

夏の思い出をうかがってみました。このあと海の曲に絞っていたので「山」や「川」の思い出ばかり出てきたらどうしようかなとも思いましたが、都合よく「海水浴!」とおっしゃって下さる方があって、スムーズに海の歌に移っていくことができました。

「うみはひろいな おおきいな …」と「うみ」を歌って波の音を思い起こしていただき、「浜辺の歌」を歌いながら、それぞれの思い出の浜辺でたたずんだり、散歩したりしていただきました。

ロマンチックな歌のあとは元気よく「我は海の子」。日本にまだ軍隊があった頃、周りを海に囲まれた島国で元気に育つ子どものようすが伝わってきます。

「歌はなじみがない。」といつも聞いているだけの父が「われはうみのこ しらなみの …」と歌うのを初めて聞きました。

最後に「椰子の実」。民俗学者の柳田国男が大学生の夏休みに三河の伊良湖崎の突端(愛知県田原市伊良湖岬)に滞在中、南方のどのあたりの小島から来たのかもわからない椰子の実が、遥かな波路を越えて海岸に3度までも流れ寄っているのを目撃した驚きを友人の島崎藤村に伝えたことから島崎藤村の作詞となったそうです。

「秋らしくなったねえ。」という頃に、秋の歌を用意してまたお邪魔しますと予告させていただいて終わりました。

歌の伴奏は自宅で練習してできるようになるけれど、「つどい」の最中のおしゃべりというのは場数を踏まないと上手にならないと思いました。まだまだです。
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父の帰宅

2007-07-26 11:31:02 | 介護
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

昨年11月に脳梗塞で倒れて病院、老人保健施設、有料老人ホームと、生活の場を変えている父が初めて帰宅しました。とはいえ、午前10時から5時までの外出です。

午前9時半ごろ老人ホームに着いて、父の部屋を訪ねると外出用の荷造りができていました。荷造りといっても紙袋に趣味の写真のアルバム数冊とタオルなど。昨晩荷造りがいつまでも終わらない父は、介護員の方に「そんなに沢山必要ないですよ。」「もう寝ないと明日の外出は中止ですよ。」と言われたそうです。子どものはじめての遠足前夜のよう。施設長は、「帰宅したら数日泊まってくるつもりになっていらっしゃるかもしれません。」とちょっと心配そうでした。父はうれしそうに「きょうはありがとう。」と握手の手を伸ばしてきました。タクシーで20分。母の待つ自宅へ。

まずはお菓子とお茶でひと休み。家族も父のペースに合わせて食べないと、食べ終わった父の視線が向きます。「そっちも欲しい」と。脳梗塞のせいで欲求を押さえることが少し難しくなっているようです。カメラをいじったりしているうちに昼食の時間。この日のために母は数日前から何を食べさせようか頭を悩ませ準備していました。父は自ら「欠食児童みたいなもんだ。」と言いながら、ぱくぱく食べました。「もっとゆっくり食べて。」と何度声がかかったことか。

施設長の心配は無用でした。父は「今日は4時半から準備して5時に出発。」と言って、家族にせかされることなく、朝同様タクシーで老人ホームに戻りました。自宅で過ごす父は姿勢の保持や歩行などは思っていたよりしっかりしていました。家族に負担がかからないことをアピールしたい気持ちもあったのだと思います。ちょくちょく帰ってきたいですから。「きょうはあまり負担かけなかったんじゃないか?」と帰りぎわに父。

ただ身体面はさておき、「○○したい」の気持ちを押さえるのが難しい父が自宅で暮らすのは、母には困難なことと思いました。

「○○したい」気持ちを頭から「それはダメ。」「それはムリ。」と押さえるのでなく、表現を考えたり別の提案をしたりして父の感情が抑圧されないように配慮する必要があると感じます。
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