先日脳梗塞で倒れた父は病院で年を越します。
外来診療もリハビリもない静かな院内。
午前中、老人保健施設を見学。午後は病院に出向いて父と夜まで過ごしました。
父は写真が趣味です。私が子どもの頃は現像や焼きつけなどすべて自分でやっていました。
現像中の部屋に入ろうとして怒られたことや現像液の酸っぱい匂いを思い出します。
この日の父は「大船の『○○』っていう蕎麦屋がうまいんだ。食べにいこうか。」と、お出かけモードになっていました。
バッテリー切れになっていたコンパクト・デジカメを充電して持ってきたので病院内を探検しながら写真を撮りにでかけることにしました。
車いすの父の首にデジカメを下げ、これまで足を踏み入れたことのない病棟へも押してまわりました。
私の「ドあっぷ」から始まり、廊下に掛かっている絵や窓から見える富士山、中庭の花壇など。
「良い景色」というほどでなくても、本日まわった所の「証拠写真」ということで撮ってきました。
部屋に戻って撮ってきたばかりの映像をスライドショーで見てみたり、
「山の写真は空3分の2、山3分の1を画面に収めるといい感じに仕上がる。」など、いろいろ撮り方のテクニックを教えてもらったり、
楽しい時を過ごしました。
夕食が済むと眠くなることが多いのにこの日は全くその様子がありません。
外の景色を沢山目にしたからでしょうか、
「じゃあそろそろ行こうか。」と父。
自宅へ一緒に帰ろうというのです。
寝巻きの上にチョッキを着ると、外出の時いつも持っていくショルダーバッグを肩にかけ、
おぼつかない足取りで病室の扉から廊下へ出ていこうとします。
私は父の手をとり、肩を抱きながら必死の思いで話しました。
家族は皆、父が自宅へ戻れたらよいと思っている。夜間、ベルトでベッドに拘束されることが多いことを思うと身につまされる。
自宅へ戻るにはマンパワーや住宅環境を整えることが必要だからすぐには実現できない。
一刻も早く拘束されることのない施設に移れるよう調べたり、書類を準備したりしている。
まずはここを出て施設に移ろう。ひとつひとつ段階を経てやっていこう。
連れて帰れなくてごめんね。
しばらくして「泣かんでいい。」と言った父の声は優しかったです。