健康サポーター H&S

心も身体も健康に生きたい。みんなで生き生きしましょ。

実習「親子体操」

2007-10-28 17:27:25 | 教育
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

台風一過の晴天でした。朝の社交場には落ち葉が沢山。きょうはいつも通りの大勢のラジオ体操になりました。私が気に入っている丘のてっぺんで体操する人が増えてきました。

さて昨日実習してきた「親子体操」。小学生未満の幼い子どもが対象なので「笑顔」で「優しく、楽しく」かと思ったら、「気をつけ!」をして「おはようございます。」とご挨拶。なかなか所定の位置に集合できないと先生の「早くして!」の声がとびます。

マット、跳び箱、平均台、鉄棒などの用具を設営してサーキットトレーニングをするのですが、どこにでも安全確保のためのマットを敷いたりすることはしません。緊張感を持ちながら気持ちを集中してもらうためです。親には常にわが子の安全に責任を持ってもらいます。

サーキットは跳び箱を乗り越えたり、マットの上で手押し車をしたり、坂になった平均台の上を歩いたり、鉄棒を登ったり、審判台の上から厚みのあるマットに飛び降りたり、ゴムが張られた下を仰向けになって通過したり、親が両手と両膝をついてうつ伏せになった背中に子どもが乗って親が背筋のトレーニングをしたり、と多彩でした。

その前後には楽しい音楽に合わせてリズム体操。決まった振り付けで身体を動かします。その時先生は素敵な笑顔を見せてくれます。

広いスペースで30組以上の親子全体に目が行き届いているのに感心しました。「事務室に行って氷をもらってきて。」と言われ、ん?何をするのだろう?と内心、キョトン。「冷やすんですか?」と用途を尋ねると「頭を冷やします。」というお返事。頭をぶつけた子どもがいたのです。全然気づかなかった。事務室に行くと職員の方がビニール袋に氷を入れたものにハンドタオルも添えて出して下さいました。冷たくなり過ぎないように。こちらもさすが!

用具の設営はスタッフがしますが、サーキットが終わると参加者がマットや跳び箱などを倉庫に片付けます。子どもたちはぞうきんを一枚ずつ持ち、一列に並んで床を一直線にぞうきんがけ。終わるとぞうきんをかごの中にきちんと片付けます。放り込むのでなく前の子が入れたぞうきんの上にきれいに重ねていきます。

始まりと終わりの挨拶、使ったものの後片付けなど、随所にしつけの要素が含まれていました。この教室に通っている参加者は家庭でのしつけもしやすいことでしょう。

用具の設営や参加者への補助などを言葉少なに端的にそっけない感じで指示する先生でしたが、教室が終了すると「きょうはいてもらって助かったわ。ありがとう。」と労いの言葉を頂戴しました。

「親子体操教室」は体操教室であると同時に「親子育て教室」でもありました。またご一緒させていただきたい魅力的な先生でした。
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新学期スタートダッシュ講座

2007-08-21 16:44:47 | 教育
こんにちは、健康サポーターH&Sです。
先週土曜日の涼しさは、暑さの「終わり」ではなく、「小休止」だったようです。きょうも外で出れば、たき火のそばにいるような痛い暑さです。

子ども達の新学期スタートまであと10日ほどになりました。
つい2年前まで小中学生向けに英語教室をやっていたせいか、この時期、「みんな宿題は片付いたかな?」と気になります。これから夏休みが終わるまでの間、「新学期スタートダッシュ講座」と題して、無料の英語勉強会を開いてみようと思い立ちました。

内容は
・夏休みの宿題
・2学期の予習(音読中心)
・ひとりひとりにあった学習プランの作成

「お知らせ」と「私の略歴」を名刺大のカード表裏に印刷し、新学期に学習するレッスンの和英対訳をワープロで作ったものを付けて、ポスティングします。

お宅の郵便受けにも入っていたら、ぜひご参加くださいね。
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子どもの教育

2007-07-29 15:11:09 | 教育
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

モンスターペアレント
事例を見るたびに思いも及ばぬ主張ばかりであきれます。

ところで、子どもを学校へ行かせる目的は何でしょう。子どもは学校で何を学ぶべきなのでしょう。

本当は学校がこれらについて正しい認識を持っていて、親にそれらを学ぶ機会が提供できたらよいのだと思います。

でも近頃の学校の中には、倫理に反することをやって「バレなければ構わない」というとんでもないことを子どもに教えてくれる例もありますから信用できなくなりました。

また首相直属の機関である「教育再生会議」で教育バウチャー制度の導入が検討されているそうですが、これは学校教育を単なる「サービス業」にしてしまう危険を大きくすると思います。学校がお客様獲得のためのマーケティングなんか始めちゃおしまいです。子どもの教育とビジネスを一緒にしないで。

学校は「よそに勝つ」ことを目指すのでなく、「よい教育」を追究し実践して下さい。そして親は単に「評判がいいから」でなく、本当に「よい教育」とはどんな教育か、よく考えたいと思います。

日頃の報道を見聞きするにつけ、学校に限らず大人の社会が、倫理をないがしろにして「法に反していなければ構わない。」「バレなければ構わない。」と子どもたちに教える機会が増えている気がして心配です。

*「モンスターペアレント」「教育バウチャー制度」の記事は「Benesse教育情報サイト」のものです。
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「子育て講座」に参加して

2007-02-21 18:53:27 | 教育
こんにちは、健康サポーターH&Sです。
今日は公民館主催の「子育て講座」のお手伝いに行ってきました。

乳幼児期の子とのコミュニケーションを豊かにするポイントをうかがいながら、「私はそんな風にやってこなかったなあ。」と反省。私は一度も自動車を「ブーブー」、ごはんを「マンマ」のように言ったことがありませんでした。いわゆる「赤ちゃん言葉」ではなく、「始めから普通の言葉で」という主義でした。

でも子どもの出す音や声をまねて声かけをすることには意味があったのですね。「ブーブー」「マンマ」なら発音できるからコミュニケーションがとれます。早い時期からコミュニケーションを豊かにするのに役立つ訳ですね。ただ子どもが自然と「ブーブー」「マンマ」などと発話するようになったのか、親がそのように教えたのかというと、私は後者のような気がします。

「次のようなことは避けましょう。」ということでした。
・教え込む。
・言い直させる。
・強制してやらせる。
・試す。テストする。

たぶん人は生まれてから老いるまでずっと、このようなことは避けたいですよね。
でも学齢期になると「教育」の名の元にこれらがまかり通るようになってしまう。

「教育」について意見を述べさせていただくと、学校だけでなく家庭や地域の教育力も重要です。学校が担う部分と家庭や地域社会が担う部分があるはずなのに、全部学校任せにしようとしている親がいるように思います。子どもたちが「あんな風に生きればいいのか。」とか「あんな大人になりたい。」と思えるような姿を大人達が見せることが大切。そのためには私たち大人が自身の人生をよく生きなければなりません。
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教育について

2006-08-24 20:40:31 | 教育
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

学校がまた始まりますね。
「学校といえば、子ども達が当たり前に通うところ」と思っていますが、意外と歴史は浅いのです。
(寺子屋を学校と呼ぶなら少し長くなりますが。)

きょうは「子どもの生活史 明治から平成」(深谷昌志著)をもとに学校教育の歴史をたどってみたいと思います。

学制の始まりは明治5年です。
今、義務教育は無償で受けられますが、当時は受益者負担。お金持ちしか学校へ行けませんでした。
多くの子どもは労働の担い手でもあり、幼い弟妹をおぶって登校する子もいました。

大正に入ると教育のあり方に変化が生じます。

教師が教師の意志で児童生徒を支配する「他律的教育」から
児童自身の良心に従う自立的活動を説く「自主性の尊重」へ

(小学校の時の校長先生が私の20歳の頃に「全人教育論」(小原國芳著)を下さいました。
「教師中心から児童中心に」「教授から学習へ」「他律的から自律的へ」「拘束から自由へ」「画一的から個性的に」など。
「すばらしいなあ。」と思うことばかり。)

しかし大正の終わり頃になると、このような「自由教育」に対して「新をてらい奇を弄する教育」という批判が出ます。
(「新しさを気取って珍しさをもてあそぶ教育」といえば良いでしょうか。)

やがて第二次世界大戦に突入。教師は戦場へ、子ども達は集団疎開。
(生き延びるだけで精一杯だったでしょう。)

昭和20年に終戦を迎え、新制中学が発足して「男女共学」「義務教育制」「無月謝制」の民主教育が始まりました。
戦後のどん底から高度経済成長の社会になり、子ども達は生き生きしてきました。
(以上、同書の教育に関する部分の私なりの要約。)

それから今まで、子ども達がずっと生き生きし続けているかというとそうでもない。

昔は子どもも労働の担い手でしたから、学校へ行くというのは喜びだったと容易に想像できます。
「仕事から解放される。」「友だちと会える。」「先生と会える。」「新しいことが学べる。」etc.

でも今は子ども達にとって学校へ行くことが必ずしも喜びになっていません。

「学力をつけさせるための教育改革」ばかりに目を向けるのではなく
子どもたちが「学ぶ喜び」「生きる喜び」を見いだせるような教育のあり方が考えられるべきではないでしょうか。

最後まで読んで下さってありがとうございました。
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夏休みの終わりに

2006-08-23 12:18:39 | 教育
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

きょうは午後、小学生バレーのお手伝いに出かけます。
お呼びがかかるというのは良い気分です。張り切っちゃうぞ~

学校の夏休みがもうじき終わります。そろそろ勉強とか宿題とか気になってくる頃ですね。
お家にいるお母さんは、そろそろイライラが極限状態かもしれません。
「宿題は終わったの?」「部屋片付けなさい。」
子どもが見えるところにいるとお母さんには子どもの一挙手一投足が気になります。

スポーツ指導者が選手の能力を伸ばすのに必要な技術。
今こそお母さんがこの技術をお子さんの学習に役立てる時!という気がします。

1.「主役はプレーヤーである」という認識を持つ。

子どもは勉強できたらいいなと思っています。
子どもの頃の自分を振り返ってみればわかります。
だから親は子どもが「勉強できたらいいな。」という目標に先回りして
「とおせんぼ」して「勉強しなさい。」と言ってはうまくいかなくて当たり前です。

勉強する主役は子ども。子どもが主体的に目標に向かっていくために親に何ができるのか?
「勉強してほしい。」という率直な思いを口にしてしまう前に考える方が良いと思います。

何ができるのか?

何もしないのがいいのです。

勉強の進め方を相談されたら

2.コーチングのコミュニケーションスキルを使う。

「一方的な指示・命令ではなく「質問を投げかける」ことにより、選手が多く語る機会を与えられる。

指導者が否定せずに最後まで「傾聴する」ことにより、選手は自分の考えを整理し、やがて「気づき」につながる。

「気づき」が起こると選手は自発的に行動し始め、

指導者がその経過を「承認する」ことにより、選手は能動的な姿勢を保持していくことができる。」(当ブログ8/11付より)

という具合です。
「○○しなさい。」と言うのでなく、
「それがしたいなら、こういうのがあるよ。」と情報提供できたら良いのではないでしょうか。

参考図書
  平井雷太「セルフラーニング どの子にも学力がつく」(新曜社)
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