健康サポーター H&S

心も身体も健康に生きたい。みんなで生き生きしましょ。

ガス抜きを要す

2007-05-21 14:32:32 | メンタルケア
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

予定表を見て、今日すること、来週までにすること、今月中にすることを確認するようになりました。期限までに間に合うようにいつも「準備」ばかりしているような気がしてきます。

バレーボールの練習では「今この時」だけに気持ちを集中できます。目の前のボールをどう扱うのか瞬時に決めて動く。

考えなければならないことをいくつも抱えていると、時々それから完全に離れる時間を持たなければ続かないなあと思います。「ガス抜き」です。

今週の練習が待ち遠しいです。
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立ち止まる時

2007-02-18 12:41:19 | メンタルケア
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

人生の途中で何度か「私の生き方これでいいの?」「私はどんな風に生きたらいい?」と考えずにいられなくなる時があるように思います。

朝日新聞の「育児ファイル」に次のような記事がありました。

子どもが生まれてからしばらくは「なぜ泣きやまないの?」「体重は順調に伸びているの?」「せっかく作った離乳食をなぜ食べてくれない?」と心に多くの疑問符を抱えて明け暮れる日が続くことでしょう。
子どもの欲求に振り回される日々も一段落したころ、今度は新たな疑問がわき起こってきます。「私は何をしているの?この先、どう生きたらいいの?」(中略)育児に専念した数年間のブランクをどう埋めたらいいのか。(中略)子どもが生まれても、生活スタイルを変えることなく、仕事上もステップアップしている夫の背中に、置き去りにされたような寂しさを覚える妻もいます。(2/18付「生活面」) ←私、そうでした。

また、数日前の「相談室」には42歳の主婦から次のような相談が寄せられていました。

この年齢までこれといった苦労もなく生きてきたが、これから何か不幸が起きた時耐えられる自信がない。今から進んで苦労しておいた方がよいか?

室井佑月さんは「自分にこれから先に起こる不幸より、世の中にはしたくもない苦労を背負っている人たちが大勢いることの方に思いをはせるべきだ。」と回答していらっしゃいました。我が身の幸せのありがたみに気づきなさいと諭しているようでした。室井さんの物言いはいつもスパッと歯切れがよく、こちらもスカッとします。

でも見方を変えてみると、この相談者は立ち止まってこれからの人生をどう生きたらいいのか、思いあぐねていらっしゃるように感じました。私自身、40歳を過ぎ基礎代謝が落ちてきて、バレーボールをしている時筋肉が弾力性のなくなったゴムのように感じるようになったり、夜、床に就くのが遅くなっても朝目覚まし時計なしで目が覚めたり、と「老化」を自覚するようになった時、「このまま生きていくのでいいの?」と自問しました。

「育児ファイル」にはこんな風にも書かれていました。

でも、子育てに費やした時間があるからこそ、自分の生き方を真剣に見つめようとする心が芽生えるのだと言えましょう。

「私、このままでいいの?」と立ち止まる時はしばしば苦しい気持ちを伴うけれど、豊かな人生に向けて軌道修正する機会になるのですから、ありがたいことです。
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ストレスに負けそうな時

2006-12-15 13:34:19 | メンタルケア
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

穏やかな晴天です。久し振りに一日中予定の無い日です。

こんな日の過ごし方を大切にしてまた明日からエネルギッシュに活動したい。

実は息切れしかかっていたのです。今朝も憂鬱な気分でなかなかふとんから起きる気持ちになれませんでした。

なんとかせねば!

何がこの憂鬱な気分の元になっているのかな?

些細な事も総ざらい書き出してみたら30もありました。
こんなにあっちゃあ、かないません。憂鬱になって当然。

と思ったらちょっと気が楽になりました。

次にそれぞれについてどう対処したら良いか考えてみました。

厄介でじっくり考えなければならないものもあるけれど
さっさと片付けてしまえるものもある。

分類して優先順位をつけて予定表に書き込みます。

「しなければならない。」という気持ちに捕われているためにストレスになっている事もありました。

「ホントにしなければならない事?」「私がしなければならない事?」と自問してみる。
するか、しないか、自分で決めて構わない事もあった。

これで、いっぱいいっぱいで気持ちに余裕が持てないなら、何か削ればいいと思えました。

これまでやってもまだ気がかりな事、心配な事は残ります。

それらにはつき合っていくしかないのかな。
人はみんな人知れずそういうものを持ちながら、はたから見れば何の苦労もなく暮らしているように見られながら生きていくのかな。
年の瀬に街行く人々の姿が同士のように愛おしく思えてきます。

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余暇と呼ばないで

2006-11-26 13:02:05 | メンタルケア
こんにちは、健康サポーターH&Sです。

どんよりとした曇り空の休日です。

あなたは余暇をどのように過ごしますか?

コンサート、楽器演奏、カラオケ、展覧会、油絵・水彩画、写真撮影、お習字、旅行、外食、スポーツ、等。(まだまだいろいろありますね。)

余暇活動は私たちの生活に潤いを与えます。心の健康を与えてくれるといってもいいのかな?
豊かな暮らしに欠かせないものです。

でも…

その余暇の優先順位はあなたの生活の中でどのあたりにありますか?

余暇を国語辞典で見ると「仕事の合間のひま。仕事から解放されて自由に使える時間。ひま。」とあります。

この説明に誤りはなくても、「ひま」という表現にはどこか罪悪感を連想させる要素があるように感じるのは私だけでしょうか?
「日本人は勤勉」と言われてきました。そんな私たちにとって余暇の優先順位は最下位になっているかもしれません。
「時間がない。」「疲れたから。」という理由できょうも余暇活動は無いまま過ぎていくのかも。

高齢化社会になって家族の介護に携わる人が増えていると思います。
また医学の進歩により家族の闘病生活を支える人も増えているのではないでしょうか。
長期に渡る介護や看病をする人にとって余暇活動は、時に、たとえ時間があっても「不謹慎」という意識を持ったり持たれてしまったりしてはいないでしょうか。

一方、仕事の優先順位は多くの人にとってダントツ一位でしょう。

この世を去る時に「ああ、いい人生だった。ありがとう。」と満足するために日頃どのように暮らせば良いでしょう。

日本国憲法第二十五条にある【生存権、国の生存権保障義務】に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とあります。
「健康で文化的な生活」を可能にするのが余暇活動ではないでしょうか。

この権利が守られている前提で私たちの生活を考える時、仕事と余暇は同レベルの優先順位にあって相補う関係にあると思います。

経済的に暮らしを成り立たせていくためには仕事をする必要があります。ただ、余暇に時間を使うこともできずに働かなければやっていけない生活はおかしい。「健康で文化的な最低限度の生活」が実現されていないのだから。

余暇の優先順位を仕事と同レベルに引き上げましょう。罪悪感を持っていまいそうなら余暇も大切な「仕事」の一つと思って生活の中に積極的に取り入れませんか。

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満喫!

2006-09-25 18:46:18 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

きょうも一日さわやかな秋晴れで気持ち良かったです。
そうこうしているうちに朝晩の冷え込みが増してきますね。
つかの間の心地よさを味わっておきたいです。

さてきのうは千駄ヶ谷にある日本青年館で精神対話士の選考試験。
会場に30分前に到着。ペットボトルのお茶を自動販売機で購入。化粧室で身なりと顔を整えて受付へ。
私の一つ前のグループが試験前の説明を受けている所でした。
少し離れた場所でお茶をゴクリ。口とのどの乾きを潤しました。

しばらくすると、実践講座のロールプレイで同じグループだった方と次々、再会。緊張を分かち合いました。
見直すわけでもないのに誰もがテキストや参考図書を携えていました。

いよいよ私たちの番が来ました。前のグループ同様説明があり
その終わりには「適度の緊張があった方がよろしいのではないでしょうか。」の一言。
お隣と「これは適度じゃなくて過度ですよね。」とささやき合いました。

10名ひとグループの集団面接(17分)と個人面接(10分)。(17分とは細かいです。)
短いようで長かった。
何回も頭の中が真っ白になりながら、運良くそのタイミングをはずして指名されたおかげで
なんとか自分を出すことができたかなと思います。
結果はどうあれ後悔のない受験をすることができてラッキーでした。
体調は良かったし、朝寝坊せずに洗濯を済ませて出かけることができたし、途中何もトラブルはなかったし。

さわやかな余韻を味わいたくて千駄ヶ谷から新宿まで歩くことにしました。
日本青年館で親切に道を教えて下さったフロントの方が「結構かかりますよ。」とおっしゃったわりに近くて
新宿高島屋でトイレ休憩の後、帰りに利用する京王線の沿線を歩いてみることにしました。
秋のさわやかな風が気持ちよくてどんどん歩きました。

新宿ー初台ー幡ヶ谷ー笹塚ー代田橋ー明大前

甲州街道は京王線と並行しているのでわかりやすく、道路際はビルや街路樹があるおかげで日陰ができています。

快適、快適

明大前をちょっと過ぎたあたりで、お神輿と遭遇。
こういう時って幼い子どもからお年寄りまで同じはっぴを着たり鉢巻きをしたりして
みんなで「わっしょい、わっしょい。」呼吸を合わせて声を出している。
なんだか微笑ましい光景です。
当日までの準備にかかわる裏方さんたちはいろいろご苦労されるのかななどと思いながら
しばらくお神輿の人並みに紛れて一緒に歩いて楽しんじゃいました。

芦花公園付近で道が二つに分かれました。旧甲州街道が左手に枝分かれしています。
京王線沿線から離れたくなかったので、沿線に近い旧甲州街道に入りました。
これは失敗。ビルも街路樹もなく陽が照りつけました。

仙川付近で甲州街道と合流。また街路樹のある道になりほっとしました。
京王線調布駅にたどりつき、電車に乗ろうか迷いましたが、もう少し行ってみたくなって京王線相模原線の線路沿いに進路を取ります。

いつしか軽快な気分と足取りにかげりが見え始めました。
それと同時に線路沿いの道がなくなりました。

京王多摩川駅を過ぎてから後悔しました。
多摩川を越えなければならない。しかし、線路に歩道はない。
橋を渡るために、川に沿って、線路から遠ざかる方向へ何百メートルも進まなければならなくなりました。

川を渡り終えてからはよみうりランドのロープルェイや観覧車を目指して歩き、京王よみうりランド駅到着。
この頃にはなぜか意地になっていました。気づけば次の稲城駅を目指して歩いていました。
稲城は梨の名産地、新興住宅と梨園の混在する中を歩き、即売所で梨を横目に見て「大きくて立派な梨だなあ。『地方発送承ります。』う~ん、贈り物にいいかもね。高級そうで。」
お値段がお手頃価格でなかったので購入せずに稲城駅到着。

気づけば陽が傾いて薄暗くなっていました。本日のウォーキングはここまでとしました。
帰りの交通費、600円が290円になりました。

手抜きの夕飯になってしまったけど私には良い一日でした。
途中親切に道を教えて下さったお巡りさんや街の方々、ありがとうございました。





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選考試験前夜

2006-09-23 18:53:47 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

きょうは高い空に鰯雲。午後になって少し雲が多くなりましたが、さわやかな運動会日和でした。

明日はメンタルケア協会の精神対話士選考試験です。
メンタルケア協会から「人の話を『聴く』技術」という本が出たことを9/22(金)付の新聞で知りました。
泥縄で準備できるようなものではないのですが、本屋さんで購入後、図書館に直行。
それを読みながら心の準備をしてきました。

実際の対話の現場での技術がいくつも紹介されていますが、その基礎に一貫してあるのは
相談者に「私はひとりぼっちではない。私には味方がいる。」と感じてもらうためのアプローチであると思いました。

その後は、共感を続けながら、消えそうだった希望の火が勢いを取り戻すのを待つ。
あせらず、辛抱強く。

「アラジン」というディズニーアニメがありますね。
ランプの魔人、ジーニーはいつでもアラジンに寄り添い、いつでも良き共感者で、いつでも味方。(ハプニングがなければ。)
ランプの持ち主の願い事を叶えてあげる魔法は使えないけれど、ジーニーのようになれたらいいのかな。

物の豊かさにごまかされて人間関係が希薄になっていることの不幸せに気づかない人が増えている気がします。

一方で人間関係の希薄化から孤独や不安を感じて苦しんでいる人がいる。

人間関係、大切にして過ごしたいものです。
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美容師さんは聴き上手

2006-09-21 17:15:41 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

美容院に行きました。おひとりでお店を切り盛りしているのは私とほぼ同世代の美容師さん。
鏡の前に座った私はひどい顔でした。まだ元気が出ていないことが一目瞭然。

美容師さんは手を動かしながら、たわいのない話からだんだんお互いに関心のある話題へと誘導してくれます。

普段、人に愚痴を言ったり悩み事を打ち明けたりしない私がここでは弱音を吐ける。
「そうですよねえ。」と共感を示しながら、ご自分のことを話して下さるのを聞くと
「自分がそう感じることはおかしくない。そう感じるのは私だけではない。」と安心します。

きれいにカットができあがる頃には心もずいぶん癒されて気持ちが晴れやかになっていました。
そしていつものように「頑張って下さいね。」と送り出されました。

※今日の出来事

美容院に行こうとマンションを出た道路の真ん中で
ひとりをベビーカーに乗せ、もうひとりを抱っこひもで抱っこしたお母さんが何やらしゃがみ込んで探し物。
「ベビーカーのかごに入れていた子どもの長靴の片方をどこかに落としてきたらしい。」と。

予約の時刻があったので一緒に探してあげることができず、お母さんもどこかへ行く途中でした。
「1時間程で戻るのでマンションの周りを見て見つかったらここに置いておきましょう。」
と請け負い、美容院から戻ってから歩いてみましたが、見当たりません。

ちょっと足を伸ばしてバス停の方まで行ってみました。
すると道路の脇に明らかに誰かが拾ってくれた感じで黄色の長靴が片方お行儀よく置いてありました。
私の持ち物でもないのに「ありがとう。」と言いたくなりました。

そのまま置いておいてもきっと帰りに気がつくと思いましたが
お母さんと約束したので持ち帰って決めておいた場所に置きました。
夕方、ベランダから、置いた場所を覗き込むと長靴はなくなっていました。
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介護保険制度の改正

2006-09-14 09:02:11 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

きのう久しぶりに大学の図書館に行きました。
図書検索をしてあらかじめ狙いを定めていったのですが実際に書架でお目当ての本の周辺にも目をやると
あれもこれも中を覗きたくなってしまう。

6月に利用カードの期限が切れたので更新手続きをしました。
またちょくちょく通うことになりそうです。
在学中はろくに図書館に足を踏み入れたことがなかったのに、今頃になってこうです。

午後は相模大野の南保健福祉センターで
平成元年に「ふれあいサービス」が始まって以来はじめての「随時研修会」があり
介護保険制度の改正についてちょっとお勉強してきました。

これまで年齢などある条件に基づいて一律にサービスが提供されていたものが
「必要な支援を必要な人に必要な時に必要なだけ提供する」という考え方に変換されようとしています。

「もらえる権利のあるものはもらわなきゃ損。」という考え方は否定されるようになるのです。

日本とスウェーデンのパイの分け方を例にあげていました。
日本では1枚のパイを4人で分ける時、4等分にする。
スウェーデンでは一人一人にどのくらい食べたいか聞いて、希望に応じて分ける。

確かに均等に分けるばかりが良いとは言えないなと思います。

でも「必要な人に必要な時に必要なだけ」のサービスは合理的であるがゆえに
メンタル面に気をつけて対応することが重要です。

たとえば、片側麻痺のある方が着替えをする時ご自分で腕を通せない方をお手伝いすることになります。
その時「ゆっくりやりましょう。」「難しい所はおっしゃって下さいね。」などの声かけがあるかないか。
同じサービスでも大きな違いです。

「老後は、仕事でもなく旅行でもない「食」を中心とした、ごく平凡な日常生活を楽しむのが良い。」
というお話があったように思いますが、これにはちょっと共感しかねました。

朝「朝ご飯何にする?」「めざしがあったね。」と会話しながら作って食べて片付けて、
その後ゆっくりお茶を飲みながらおしゃべりして。
時にはアイディアを出し合いながら食器棚の中のレイアウトを変えてみたり。
それが日常生活を楽しむということだという。

私は老後は食事作りから解放されたいな。





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NBM

2006-08-19 14:33:53 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

私は幸いなことに大きな病気をすることなく、今までのところお医者様のお世話になることは少ないですが、
それでも時には、おなかの調子が悪くなったり、ヘルペスになったり、診察を受けることがあります。
「思いがけなく重大な病気だったらどうしよう。」
体調が良くないと気持ちも弱気になり、そんな不安にかられることも。

先生からすれば気にする必要がないと思われそうなことまで聞いてみたくなります。
でも先生は問診、触診で「これだな。」と見当をつけると「お薬出しておきましょう。」
次の患者さんのカルテを手に取ります。
診察室を出てから「あれも聞いておけば良かった。」と悔やんだり、受付で「さっき聞き忘れたんですけど…」などと言ってみたり。
「聞きたいことはあらかじめメモしてこなきゃな。」と反省して帰ります。

ところが近頃お世話になるようになった先生は違います。
待ち時間は長いのですが、名前を呼ばれて診察室に入ると
開口一番「大変お待たせしてすみませんでした。」
それからじっくり話を聞いて下さりながら、目の前のパソコンにあざやかな手つきで打ち込んでいきます。
患者の口から出た情報を余すところなく記録している感じに見えます。
たとえ待ち時間が長くても自分の番がくれば、やはり同様に時間をかけて診て下さるから全然不満に感じません。

NBM(Narrative Based Medicine)をご存知ですか?

EBM(Evidence Based Medicine)は「科学的根拠(Evidence)に基づく医療」という概念ですが、
NBMはEBMを補完するものとして、医師が患者の語る「病いの体験の物語り」を傾聴し、共有することを大切にします。
この概念はEBMの専門家たちによって生み出されました。

NBMとEBMは患者中心の医療を実践するための「車の両輪」とでも言うべき相補的な方法論とされているのです。

「どうされましたか?」で始まり、「なるほど」とあいづちをうち、「その後はどうですか?」と話を促し、
「ということは~だったのですね。」と確認しながら、「他に何かありますか?」などど丁寧に患者の話を聴いてくれた後、
治療法や投薬の提案をしてくれる。

どこの先生もみ~んなこんな風になってくれるとうれしいですね。

参考図書:
 トリシャ・グリーンハル、ブライアン・ハーウィッツ編/斉藤清二、山本和利、岸本寛史監訳
「ナラティブ・ベイスト・メディスン 臨床における物語りと対話」
 斉藤清二、岸本寛史著 
「ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践」
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精神対話士

2006-08-18 16:47:22 | メンタルケア
こんにちは。健康サポーターH&Sです。

お盆休みもそろそろ終わりですね。

昨日、メンタルケア協会から「メンタルケアのスペシャリスト養成講座実践課程」の修了証が送られてきました。

「精神対話士」をご存知ですか?
孤独、不安、挫折感、喪失感など、つらい気持ちを持っている人に対話を通して元気を取り戻してもらう仕事です。

精神科医やカウンセラー(臨床心理士)と何が違うかというと、
・精神科医は薬や入院による治療をします。
・カウンセラー(臨床心理士)は心理テストの結果から適切な心理療法を行います。
精神対話士は治療や心理テストを介さずに、その人の気持ちに寄り添いながら対話することにより、元気を取り戻せるよう手助けします。

美味しいもの、便利なもの、魅力的なもの、いろいろなものが溢れ、人と分け合ったり、助け合ったりしなくても生きていける現代。

電話もシャンプーも自分専用のものを持ち、
社会が眠らなくなったせいで
ひとりひとり生活のリズムが異なって、家庭がホテル化しそう。
人にムカつくことがあると、けんかするのも面倒だから距離をおく。

こうしてどんどん人間関係が希薄になっていきます。

「人間存在の意味や価値は人間関係の中にある。」(H.S.サリバン)

物質的にこの上なく豊かな現代に生きながら、私たちの存在の意味や価値が危うくなろうとしています。

良い人間関係を取り戻して、みんなで幸せに生きたい。
そんな願いから「精神対話士」を目指したいと思いました。

9月にいよいよ最終関門、選考試験です。「集団面接」と「個人面接」
今の私が精神対話士の資格を得るに値するかどうか判定が下される時です。
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