こんにちは。健康サポーターH&Sです。
きょうも空模様がはっきりしません。
今週はお盆休みとあって街に出ると家族連れを多く見かけます。
たとえば幼い子を連れた若いご夫婦。お父さんがたくましい片腕に子を抱き傍らにお母さんがいます。
素敵な光景なのに、普段ひとりで奮闘しているであろうお母さんに思いを馳せてしまいます。
あの細い腕で子どもを抱っこして、電車に乗り、銀行の用事を済ませ、夕飯の買い物をして、…
ベビーカーというものもあるけど、いつもおとなしく乗っていてはくれない。
機嫌が悪くなれば折りたたんで持ち運ばなければならない。
私はベビーカーを折りたたんだ時のために抱っこひもを携帯していました。
そうやって、子どもを自分の身体にくくりつけなければ買ったものを持って歩けませんから。
前に子ども、後ろにリュック、手に折りたたんだベビーカー。当時の私のスタイルでした。
抱っこひもをうっかり忘れて出かけた時は帰ってくると腕がパンパンでした。
「私はスポーツで鍛えてきているからなんとかなるけど、筋力のない人はどうしているだろう?」と本気で思いました。
電車に乗っている間にベビーカーで眠ってしまったので、そのままベビーカーをかかえて階段を上り、
改札を出ようとしたら駅員さんから「ベビーカーはたたんで。」と冷たいひと言。
「気がついたのなら、来て手伝ってくれたらいいのに。」悲しい気持ちになりました。
今はエレベーターができてよかったです。
先日、中村書店である若いお母さんが目にとまりました。背中で赤ちゃんが眠っています。
2階の育児関係の本を熱心に見ています。
「さすがお母さんだなあ。ひとりめのお子さんかな?」
しばらくして、お母さんは並びの英語教材の棚へ。
早期英語教育?いえいえ子ども向けの教材ではありませんでした。
あれはきっとご自分の勉強の本を探していたのだと思います。
私が1階に下りてしばらくすると、お母さんも下りてきました。
そのころには背中の赤ちゃんは目を覚ましていましたが、ご機嫌は上々でことばにならない声を盛んに発していました。
お母さんはまだ帰る様子はありません。今度は今話題になっている新刊書の棚を丁寧に見ています。
こうして1時間ほど私はいろいろな本を手にとりながら、横目でお母さんを観察していました。
そして思ったこと。
このお母さんは「お母さん」としてだけでなく「ご自身」としても生きたいと望んでいる。
このようなお母さんを応援できたら…。そんな欲求にかられました。私自身がたどった道と重なるから。
「母」として「私」として。日常の中で両者のバランスをとるのは難しい。
専業主婦のお母さんは自分で「私」になる時を作らなければ、いつも「お母さん」。
子どもがいっしょにいるのに、いつ「私」になれるでしょう?
私の場合、子どもが眠っている時間でした。
子どもの手足があったかくなってきて「おねむになったな。」と感じると抱っこして寝かしつけて、
「私」の時間の始まり。
20歳頃の学生時代と違い、こま切れの少しずつの時間。
とても貴重に感じてどんな風に使えば自分にとって有意義か問いました。その結果が実用英語検定準1級合格でした。
子どもが生まれてから幼稚園、小学校などで社会生活を送るようになるまでの期間は人生全体からすればほんのいっとき。
その間子どものわずかな成長をも見逃すまいと仕事を離れたとしても、準備期間を経てやりがいのある仕事に復帰できる社会。
そんな理想を抱きながらビジネスプランを練っています。