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「亜米利加応接書」 6

(庭のドウダン)

庭のドウダンはこの10年、まったく樹形が変わらない。ほとんど成長していないように見える。

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「亜米利加応接書」の解読を続ける。

一 今また、英吉利、仏蘭西、一致致し、唐国へ戦争を仕掛け申し候。只今の処にては、この上の行く末、如何が相成り申すべくや、実に計り難く候。

一 只今の姿にては、何事も、英吉利、仏蘭西の望み通り、聞き済まし候様、相成り申すべく、さもこれなくば、全国皆な英仏両国の所領と相成り申すべく候。

一 先ず、英国の望みを残らず評し候様致し候には、国中不伏(服)これ無き様、それぞれ計らず候ては相成り申しまじく、その内には、英国弥(いよいよ)強盛に相成り申すべく候。
※ 強盛(きょうせい)- 勢いが強くて盛んなこと。

一 佛蘭西は高麗、英吉利は台湾を領し候望みに御座候。

一 当時の戦い、和儀に至り候わば、やはりそれぞれ為に諸費を出さず候ては相成り申すまじく候。

一 唯今申し上げ候趣を以って、能々(よくよく)御勘考、御用心遊ばさるべく候。

一 天に誓い申し上げ候。只今の戦いもアゲント(領事)、北京に罷り在り候わば、必ず起りは仕るまじく候。

一 英吉利、佛蘭西、両国政府より唐国の戦い、荷担致し候様、頼み越し候えども、大統領断りに及び候。

一 全体、唐国にて、亜墨利加人(アメリカ人)を取り扱いの事に付いて、自国政府不快に存じ居り候儀も御座候えども、人に荷担致し、戦争致し候儀は、相断り一切仕らず候。

一 亜米利加軍艦、ポルツモーツと申す船へ、唐国の砦より日は不同候えども、両度まで鉄炮打ち掛け候儀、これ有り。右は何等の事より、右躰不位(不意)の所業に及び候や。唐国政府へ掛け合いに及び候処、如何とも答え申し出でず候に付、この方よりも同様、鉄炮打ち掛け申し候。

一 自国の水師提督アルムストロンク義、右に付、広東港口の砦四ヶ所、据え付けこれ有り候大炮は勿論、石垣まで悉く毀し破り申し候。
※ アルムストロンク - ジェームス・アームストロング。アメリカ海軍の士官で、東インド艦隊司令官を務めた。

一 右打ち砕き候より、広東の下奉行、詫び入れ候に付、その戦いは事止み申し候。

一 亜墨利加政府は、英人などに力を戮(あ)わせ、唐国と戦争致し候儀には御座なく候。

一 併せて、唐国の所為(せい)宜しからぬ趣は、各国皆な唱え居り申し候。

一 唐国争乱の基本は、一つこれ有り候。右は亜(阿)片に御座候。
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「亜米利加応接書」 5

(大代川の中洲にカワウ)

昨日、増水した大代川の中洲にカワウを見つけた。羽根を広げるとずいぶん大きい。天気は晴れたけれども、この二日ばかり、春の強風で、隣の茶畑の上に設置した寒冷紗が風に激しく波打っていた。メンテナンス作業に来ていた人が、ここがこんなに風が強いとは知らなかった、という。強風はこの二日だけですよ、と答えた。

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「亜米利加応接書」の解読を続ける。

一 日本並び唐国は、西洋各国同様の交りは開き申さず、やはり一本立ちの姿に御座候。

一 兼ねて大統領より、唐国方、今の振り合いに心を附け候様、致すべきと申し付け越し候。
※ 振り合い(ふりあい)- 他とのつりあい。バランス。

一 唐国は十八ヶ年前、英国と戦争相起し候。右の筋、アゲント、部下に罷り在り候わば、その儀には及び申すまじきと存じ候。
※ アゲント - 領事。

一 唐国政府の存念は、広東奉行の取り扱いを以って相済として、政府にては取り扱わざる様致すべく、と存じ候より、破れに及び候儀に御座候。

一 広東奉行、金拵え事致し、程能く政府へ申し立て、しかのみならず、右奉行、英国へ対し権高にこれ有り候故、戦争相起し申し候。
※ 権高(けんだか)- 気位が高いさま。傲慢(ごうまん)。

一 終には、戦争により百万人の命を唐国にて失い申し候。

一 この戦争に付、唐国の港には残らず英国に乗っ取られ、剰(あまつさ)え、南京までも乗っ取り申し候。

一 右戦争中の罹費は差し置き、和議を求め候ため、小判に致し候えば、五百万枚、唐国より英国へ償いとして相渡し申し候。
※ 罹費(りひ)- 身に負った戦費。

一 右数百万の人数、並び数万の金子相渡し候儀は、十分の一にて候。その外の諸費など、申し算じ難き事に御座候。

一 右の外、唐国弱り候故、市中その外、砦など悉(ことごと)
乱妨(暴)致され候。

一 右故、唐国は元来、富み候えども、跡衰え、終に先年、韃靼の戦争同様、力を失い候事に及び申し候。
※ 韃靼(だったん)- タタールの音訳。中国文献には唐末から見える。初めはモンゴル高原のタタール部をさしたが、のち漠北の遊牧民族の総称となった。

一 唐国の物成も半分に減り申し候。右は韃靼も不伏(服)に付、国用を分ち相送り候故、旁(かたがた)以って疲弊いたし候。
※ 物成(ものなり)- 田畑からの収穫。

一 前条の場合より、再度戦い起り候様相成り申し候。


読書:「遠い唇」北村 薫 著
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「亜米利加応接書」 4  及び、蓮福寺の開基の話

(散歩道のキランソウ)

初馬の法事で、掛川市街の蓮福寺へ、参会者が挙って寄った。塀の内側に案内板が立て掛けてあるのに気付き、写真に撮った。一部壊れて、引っ込めたもののように見えた。

西暦1603年の事件
当山開基は、掛川城主松平定勝公の家臣にして、(長男)定吉の御部屋家老の重職たり。世は徳川の天下となり、大平を謳歌するの時となりぬ。越えて慶長8年10月、将軍を浜名今切に迎えたり。時天気晴朗にして一点風塵を認めず。偶々一鷹の空を翔るを見て、定吉は舟中よりこれを射落す。以って将軍の覧に供す。図らざりき、将軍の怒りに触れんとは。憤慨の余り帰城の後、屠腹して薨ず。御年19歳なり。殉死する者二十人。御遺言により殉死を思いとどまり、出家得度して主の菩提を弔われたるが即ち当山の開基、加藤宗裕ノ尉信宗という。


読んでみて、これを話の種にしようと思った。現役の頃、誰とも一面識もない宴会に、時々出席することがあった。そんな時、相手に通じる話題を一つ、仕入れて置くことに心掛けた。その話題が口切りになれば、あとは話題を相手に合わせて続ける自信はあった。

食事の席で、青年僧と同じ席に導かれた。以下、口切りの会話である。

「蓮福寺さんは古いお寺なんですか。」
「1603年、開基の伝わっております。400年以上経っています。」
「正解ですね。実は先程案内板を見ました。」
「案内板も壊れているので、新しくしないとと、考えております。」

これで、あとは放っておいても会話は進んで行く。

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「亜米利加応接書」の解読を続ける。

一 満州並びに唐国を、魯西亜にて領し候様相成り候わば、その兵を以って、英吉利所領の東印度を、横領致し候様相成り申すべく、左(さ)候えば魯英の戦争、又候(またぞろ)相起き候事と存じられ候。

一 右様相成り候わば、英国には魯国を防ぎ候儀、殊の外難しくこれ有るべく、右を防ぎ候手段、英国において、もっとも肝要の事と存じ候。

一 それ故好(このみ)き、サカレン(樺太)並び蝦夷、箱館を領し候様、英国にては心掛け居り申し候。左候えば、魯国を防ぎ候に格別の便と相成り申し候。
※ 蝦夷(えぞ)- 明治以前の北海道。

一 右のサカレン、蝦夷を領し候様相成候わば、無数の海軍を両州へ渡し置き、カムシヤツカの港、へートルポルスキとサカレンとの間を断切候便と相成り申し候。
※ カムシヤツカ - カムチャッカ。カムチャッカ半島は、ユーラシア大陸の北東部にある半島である。
※ へートルポルスキ - カムチャッカ地方の首府、ペトロパブロフスク・カムチャツキー。
※ 断切(だんせつ)- たちきること。


一 英国は地続きの満州より、蝦夷の方を格別に望み居り申し候。


読書:「報恩の画 円山応挙伝」水嶋 元 著
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「亜米利加応接書」 3

(散歩道のアリアケスミレ)

午後から雨模様、夜になって激しく降る。

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「亜米利加応接書」の解読を続ける。

一 右両条の願いは、亜墨利加のみにこれ無く、国々の懇望に御座候。
※ 懇望(こんもう)- ひたすら願い望むこと。

一 右申し上げ候二ヶ条は、亜墨利加の為のみにこれ無く、諸州の希望に御座候。

一 只今申し上げ候は、西洋各国の希願にて、亜墨利加に於いては、左までの願いは御座なく候。
※ 希願(きがん)- こいねがうこと。切に望むこと。

一 日本の危難は、落ち掛り居り申し候。右英吉利、差し続き欧羅巴各国の事に御座候。
※ 英吉利(イギリス)- イギリスの漢字表記。(英、英国と略記)
※ 欧羅巴(ヨーロッパ)- ヨーロッパの漢字表記。(欧、欧州と略記)


一 英吉利国の水師提督ヤーメスステルリング取り結び候条約は、かの政府にては不伏(不服)に御座候。
※ 水師提督(すいしていとく)- 中国、清朝時代の官名。海軍を統率した武官。また一般に海軍の総指揮官や船団の長。
※ ヤーメスステルリング - ジェームス・スターリング。中国・東インド艦隊司令官。幕府と折衝して日英和親条約を締結した。


一 かの政府の心得にては、日本との交りも各国同様に致したきとの事に御座候。

一 英吉利は日本と争戦致し候儀を好んで、心掛け居り候。右の次第は、次に申し上ぐべく候。

一 英吉利は東印度所領を、魯西亜の為に、殊の外、気遺い恐れ居り候儀に御座候。
※ 東印度(ひがしいんど)- かつて、インド・インドシナ半島・マレー諸島などの一帯をさした呼称。
※ 魯西亜(ろしあ)-「ロシア」の漢字表記。漢字の意味に「魯鈍」の意があるため、後に表記が「露西亜」と改められる。


一 近来、英吉利、仏蘭西一致致し、魯西亜と戦争に及び候わば、魯西亜の所の蚕食致し候を悪(にく)み候ての儀に御座候。
※ 仏蘭西(ふらんす)- フランスの漢字表記。(仏、仏国と略記)
※ 蚕食(さんしょく)- 蚕が桑の葉を食うように、他の領域を片端からだんだんと侵していくこと。


一 魯西亜のサカレンアミルを領し居り候儀を、英国に於いて悪(にく)み居り申し候。
※ サカレン - サハリン。カラフトのこと。
※ アミル - アムール。アムール川の周り。ロシア、アムール州


一 魯西亜は、かの筋より満州及び唐国を横領致すべきもと、英吉利存じ申し候。
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女筆「洛陽往来」 後半 - 古文書に親しむ(経験者)

(静岡、城北公園近くのツルニチニチソウの群落)

午前中から、娘の嫁ぎ先の法事で、掛川の初馬へ行く。宗旨が浄土真宗で、法事の席の最後に、親鸞上人の和讃、「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師王知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」に曲を付けた歌を皆んなで歌った。「師王知識」の意味として、「色々教えてくれた先生やお世話になった人々」と説明があった。本来、「教え導く高僧」のことだが、「僧」と云ってしまってはおこがましいから、方便だったのだろう。理解できる。お墓へ参った後の食事の席で、その青年僧に、先日来読んでいた、浄土真宗の教義解説書である「道聴塗説」の話をした。親鸞上人の和讃もその中で解説されていた。

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女筆の「洛陽往来」の読み下し文の後半である。

さてまた辰巳は宇治の里。八幡、山崎、宝寺
松の尾梅之宮御室に近き小塩山。
嵯峨や高雄、愛宕山。太秦、北野、糺の森
賀茂川、貴船、鞍馬寺。岩倉、芹生(せりょう)、八瀬(やせ)の里。
※ 辰巳(たつみ)- 南東の方角。
※ 八幡(はちまん)- 石清水八幡宮がある。
※ 宝寺(たからでら)- 宝積寺。大山崎町の天王山中腹にある真言宗智山派の寺。
※ 松の尾(まつのお)- 松尾(まつのお)大社。お酒の神様。
※ 桂(かつら)- 桂離宮。
※ 梅之宮(うめのみや)- 梅宮(うめのみや)大社。
※ 御室(おむろ)- 仁和寺。別名、御室御所と呼ばれる。御室桜は有名。
※ 糺の森(ただすのもり)- 左京区の賀茂御祖神社(下鴨神社)の境内にある社叢林。
※ 鞍馬寺(くらまでら) 左京区鞍馬本町にある寺。奈良時代の創建で、鞍馬山の中腹にあり、牛若丸や天狗伝説で知られる寺。


いただき連れた小原木や、薪(たきぎ)に花を
折り添えて、思うまゝには言われぬと、
いとも優しき賤(しず)が業(わざ)
吉野初瀬の花待つも、都ぞ春の錦なり。
※ いただき - 頭に物をのせて売り歩く浜の女。ささげ。かべり。
※ 小原木(おはらぎ)- 大原木とも。大原女が京都へ売りに来る薪。かまどで蒸して黒くしたもの。黒木。
※ 吉野(よしの)- 奈良県南部一帯の地名。吉野山には金峯山寺がある。
※ 初瀬(はせ)- 奈良県桜井市の地名。初瀬山には長谷寺がある。


まことや九重には、法華経八軸を地に敷きて、
一度(ひとたび)王城の地を踏めば、極楽世界に
(む)まるゝと、承(うけたまわ)り候えば、
我らごときの愚かなる、賤(しず)の身までも頼もしき事に。
※ 九重(ここのえ)-(昔、中国の王城は門を九重に造ったところから)宮中。禁中。転じて、宮中のある所。都。
※ 八軸(はちじく)- 巻物八巻から成る法華経のこと。


千々詳しき御事は、御見にてこそ。めでたくかしく。
           洛陽四條立売
        筆海子 長谷川氏豊女書
※ 千々(れい)- たくさん。さまざま。
※ 御見(ごけん)- お目にかかること。御面会。
※ 四條立売(しじょうたちうり)- 四条通東洞院東をいう。むかし大内裏の時、諸品を商う市場であった。
※ 筆海子(ひっかいし)- 長谷川妙体。江戸時代中期の書家。女筆妙体流として知られた。京都出身。名は佐多。
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女筆「洛陽往来」 前半 - 古文書に親しむ(経験者)

(静岡城北公園の桜(昨日))

午後、「古文書に親しむ(経験者)」講座、今年度の初回である。昨年と同じく、11人の学生でスタートである。初回は女筆の「洛陽往来」を課題とした。ちょっと毛色の変わった、寺子屋の女子用の教科書に使ったものであろう。

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女筆の「洛陽往来」の読み下し文を載せる。前半で、後半は明日。

桓武天皇の御時より、この京はじまり、
四神相応の地にして、こと更、畏(かしこ)
君の御政(まつりごと)、関の戸鎖(さ)さぬ。
折節(おりふし)に、洛陽御見物申すべし。
※ 四神相応の地 -(しじんそうおうのち) 地理的景観が四神の存在にふさわしい地。東に流水(青竜)、西に大道(白虎)、南にくぼ地(朱雀)、北に丘陵(玄武)が備わる土地。平安京の地勢がこれにあたるという。
※ 洛陽(らくよう)- 平安京の左京の異称。右京を「長安」というのに対する。


(みかど)の御宮造りは、申すも中々
愚かなり。先ず音に聞えし東山、
吉田とかやは、天照(あまてらす)御神を始めとして、
日の本六十余州の御神を、勧請ありし霊地なり。
※ 吉田(よしだ)- 現、吉田神社。吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始。江戸時代には全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられていた。
※ 勧請(かんじょう)- 神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。


弓手に高き御山は、和国無双の比叡山、
伝教大師の開基にて、唐土(もろこし)
天台山を写されたり。中堂、講堂、戒壇堂、
(ふもと)に山王廿一社、甍(いらか)を並べて建ち給う。
※ 弓手(ゆんで)- 弓を持つほうの手。左の手。
※ 無双(むそう)- 二つとないこと。並ぶ物がないほど優れていること。


馬手(めて)黒谷真如堂若王神社
永観堂。東(あずま)下りの道越えて、
祇遠(祇園)の社、清水寺、地主権現の花盛り。
音羽の滝の白糸を、繰り返しつゝ、打ち詠(なが)む。
※ 馬手(めて)- 馬上で手綱を取る方の手。右の手。女手。
※ 黒谷(くろたに)- 左京区黒谷町あたり。法然が草庵を結び念仏をひろめたところ。
※ 真如堂(しんにょじ)- 北区に存在する臨済宗相国寺派の寺院。
※ 若王神社(にゃくおうじんじゃ)- 左京区若王子町にある熊野若王子神社。永観堂に隣接する。
※ 永観堂(えいかんどう)- 左京区永観堂町にある禅林寺。通称永観堂と呼ばれ、紅葉の名所。
※ 祇園の社(ぎおんのやしろ)- 東山区の八坂神社。
※ 地主権現(じしゅごんげん)- 東山区の清水寺の地主権現。
※ 音羽の滝(おとわのたき)- 清水寺にある三筋の滝。


大仏殿は廬遮那仏。歌の中山清閑寺
今熊野をも打ち過ぎて、いつも秋にはあらねども、
東福寺にて名も高き、通天の紅葉、稲荷山
咲き乱れたる藤の森。鶉(うずら)鳴くなる深草山
伏見の竹田、淀、鳥羽までも見えて候。
※ 大仏殿(だいぶつでん)- 京都市東山区の方広寺に、かつて存在した秀吉由来の大仏殿。
※ 歌の中山(うたのなかやま)- 清水寺の南西にあたる、清閑寺近くの小径。また、清閑寺の通称。
※ 清閑寺(せいかんじ)- 東山区にある真言宗智山派の寺院。山号は歌中山。
※ 今熊野(いまくまの)- 今熊野観音寺。東山区泉涌寺山内。
※ 通天(つうてん)- 東山区の東福寺の通天橋からの紅葉は京都随一といわれる。
※ 稲荷山(いなりやま)- 伏見区の伏見稲荷大社東側に広がる山。
※ 藤の森(ふじのもり)- 伏見区の藤森神社。勝運の神様。今は紫陽花が有名。
※ 深草山(ふかくさやま)- 深草山から竹田辺りは深草野と呼ばれ、うずら鳴くなる深草の里と歌われた。


読書:「暗い穴 警視庁追跡捜査係」堂場瞬一 著
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「亜米利加応接書」 2

(散歩道のレンゲ畑)

午後、静岡へ駿河古文書会に出かける。先週は総会で、今日が、新年度の初回の講座であった。テーマは「機巧図彙」という江戸時代の柱時計のカラクリを書いた本である。解読は出来ても、意味を理解するのは、自分には難しかった。

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「亜米利加応接書」の解読を続ける。

一 三ヶ年以前、サントウィス島も、合衆国の郡に加わりたき旨、申し聞き候えども、断りを以って申し候。
※ サントウィス島 - ハワイのこと。ハワイのアメリカ併合は1898年。

一 これまで一里たりとも、干戈を以って合衆国の郡に入り候儀は、決して御座なく候。
※ 干戈(かんか)- 武器。また、武力。

一 これまで合衆国、他邦と会盟致し候儀もこれ有り候えども、右は干戈を用い候儀にこれ無く、条約を以って相結び候事に御座候。
※ 会盟(かいめい)- 覇者が諸侯を集めて、盟約を結ぶこと。

一 只今申し上げ候儀は、合衆国一体の風義(儀)を御心得までに申し上げ候儀に御座候。
※ 風儀(ふうぎ)- 風習。しきたり。ならわし。

一 五十年已来、西洋は種々変化仕り候儀に御座候。

一 蒸気船発明以来、遠方掛け隔(へだ)て候国々も、極く手近く様相成り申し候。

一 ヱレキトルテレカウフ発明以来、別して遠方の事も、速かに相分かり候様罷り成り候。右器械を用い候えば、江戸表より華盛頓まで、一時の間に応答出来致し候。
※ ヱレキトルテレカウフ - エレキテル(電気)、テレグラフ(電信)。
※ 華盛頓(ワシントン)- 米国首都ワシントン。


一 カルホルニヤより日本へ、十八日にて参り候儀、出来致し候儀、蒸気船発明故の儀に御座候。

一 右蒸気船発明より諸方の交易も弥(いよいよ)盛んに相成り申し候。

一 右様相成り候故、西洋諸州何れも富み候様罷り成り申し候。

一 西洋各国にては、世界中一族に相成り候様、致したき心得にこれ有り、右は蒸気船相用い候故に御座候。

一 右故、遮(さえぎ)って、外と交わりを結ばざる国は、世界一統致し候に差し障り候間、取り除き候心得に御座候。

一 何れの政府にても、一統致し候儀を拒み候は召し捕りこれ有り、右一統致し候に付、二つの願い御座候。
※ 一統(いっとう)- 一つにまとめて、治めること。統一。
※ 権(けん)- 他人を従わせる力。権力。


一 その一は、使節同様の事務宰相ミニストル一名、アゲントを都てに付、置き候様致したき儀にこれ有り候。
※ ミニストル - 公使。
※ アゲント - 領事。


一 一方の願いは、国々のもの勝手に商売致し候儀、相成り候様致したく候。
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「亜米利加応接書」 1

(散歩道のハナモモ)

「道聴塗説」を読み終えて、難解な文書だったので、次には少し頭を休めるものにしたいと思い、しばらく手元で温めていた、「亜米利加応接書」を解読することにした。これは、「駿河古文書会原典シリーズ別冊」として、その影本が図書館にあったものである。当該文書は、清水市河村家文書として保管された、写しがもとになっている。60頁ほどのもので、解読には半月ほど掛かるだろう。

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1854年、日米和親条約を締結したハリスは、1857年12月(旧暦では10月)、終に江戸に登り、将軍に大統領国書を渡す。その午後、老中首座堀田備中守の役宅で、老中始め幕府役人を前に、2時間に渡り、通商条約の必要性について演説を行った。その内容が下記文書である。

十月廿六日、備中守宅において、亜墨利加使節申し立つ趣。
※ 備中守(びっちゅうのかみ)- 堀田正睦(ほったまさよし)。江戸時代末期の大名・老中首座。下総佐倉藩の第五代藩主。
※ 亜墨利加(あめりか)- アメリカ合衆国の略称。亜米利加。


一 今日、申し上げ候事件は、大切の儀、大統領に於いても、もっとも重大の儀と存じ居り候。

一 申し上げ候儀は、何れも懇切の辺より出で候事にて、大君殿下を大切に存じ候儀に付、右御心得を以って御聞き取り下さるべく候。
※ 大君(たいくん)- 江戸時代、外国に対して用いた将軍の別号。日米和親条約は十三代将軍徳川家定の時代。

一 大君へ差し上げ候書翰中の儀を、唯今、なお又申し上げ候儀に付、大統領御直(じき)に申し上げ候心得にて、御聞き取り下さるべく候。

一 今日、申し上げ候儀は、何れも包み置き候儀は仕らず、掌(たなごころ)の如く、極く明白にて、聊(いささ)かにても隠し候儀は御座なく候。

一 大統領、日本政府の為に大切に心得候儀は、包み置き候事、何分相成し難く、右は懇篤より出で候次第に付、何事も伏臓なく申し上げ候儀に御座候。
※ 懇篤(こんとく)- 懇切丁寧で、心がこもっていること。
※ 伏臓(ふくぞう)- 腹蔵。本心を隠して表に出さないこと。


一 合衆国と条約成させられ候は、御国に於いて、外国と条約御結び成され候初めての儀ゆえ、大統領に於いても、御国の儀は他国と違い、親友と相心得居り申し候。

一 合衆国の所置は外国と違い、東方に所領の国もこれ無く候間、新たに東方に所領を得候儀は相願い申さず候。

一 合衆国の政府においては、他方に所領を得候儀は、禁じ申し候。

一 国々より、合衆国の郡に入り(加わる)候儀を願い候事、これまで度々御座候。遠方掛け隔て居り候処は、都(すべ)て断りに及び候。
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道聴塗説 その九 4 及び その十

(庭の黄色のビオラにアケボノセンノウが一輪混じる)

一転して、快晴で暖かくなった。桜も満開になったことであろう。大代川には早くも花筏が流れていた。

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「道聴塗説 その九」の解読を本日で終る。

然るに、宿善開発する機の験(しるし)には、善知識に逢いて開悟せらるゝ時、一念疑心を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざる事は、光明の縁に逢う故なり。もし光明の縁、もよおずば、報土往生の直因(じきいん)たる名号の因を得べからず。云う意(こころ)は、十方世界を昭(照)曜する無量光遍昭(照)の明朗なるに、昭(照)らされて、無明沈没の煩惑、漸々にとら(蕩)けて、涅槃の直因たる信心の根芽、僅かに兆す時、報土得生の定聚の位に住す」云々とあるこれなり。
※ 無明(むみょう)- 迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。
※ 煩惑(はんわく)- 煩悩のこと。
※ 定聚(じょうしゅ)- 正定聚。真宗では,浄土往生が決定している他力念仏の行者をいう。


その十
一 問う。当流には、四修の中に恭敬修を専安(要)とし給うは如何なるぞや。
※ 四修(ししゅ)- 浄土教において行を修める四つのしかた。
恭敬修 - 阿弥陀仏とその聖衆を恭敬礼拝すること。
無余修 - 専ら仏の名を称え他の行いを雑えないこと。
無間修 - 行を間断させず、また煩悩をまじえないこと。
長時修 - 恭敬修・無余修・無間修を命終るまで修めつづけること。


答う。四修の軌則はいずれ取捨あるべき事に非ず。その故は、一心専念には余念間雑する事なきは無間修なり。但し、聖人(親鸞)は凡夫として、念々の称名に、他の想なき事は、とても成し難ければ、ただ、疑蓋、雑(ま)ざること無きの義を取り給う。縦令、声々の中に、貪瞋等の心、間雑して起るとも、最初一念より臨終までの念仏に疑惑を ‥‥
※ 軌則(きそく)- 守るべき物事の規範。のり。
※ 間雑(かんざつ)- 雑然と混じり合うこと。
※ 疑蓋(ぎがい)- 蓋はおおうの意。疑いは真実をおおいかくすので疑蓋(疑いのふた)という。
※ 貪瞋痴(とんどんち)- 数ある煩悩の中で「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」の三つを、人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよんでいる。


    宝暦六年丙子暮秋
    十一月廿三日      沙弥弁隆
                  謹写
※ 暮秋(ぼしゅう)- 秋の終わり。秋の暮れ。晩秋。
※ 沙弥(しゃみ)- 剃髪して僧形にありながら、妻帯して世俗の生活をしている者。


「その九」で終りかと思っていたら、最後に「その十」らしき部分が始まり、尻切れトンボで終ってしまった。落丁したわけではなくて、書写した人が、理由は判らないが、そこで終わってしまった。写す元の本が落丁していたのかもしれない。

およそ2ヶ月にわたって解読してきたが、最初の思惑と違って、これは浄土真宗の教義の解説書のようなものであった。他力本願、悪人正機説など、おぼろげながら、少しばかり理解できたような気がする。中々仏教は奥深くて、しかし、案外面白いかもしれない。
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道聴塗説 その九 3

(散歩道のヤマモモの花)

今日も夕方まで雨模様。明日は晴れそうだ。

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「道聴塗説 その九」の解読を続ける。

この文に「仏、法王と為す」とあるを、今世には本山の御善知識を法王と尊敬すべし。末流門徒のために、天人師として「教授典攬、威制消化し給う。」即ち、本山の法式制定と心得て奉行すべきなり。これをこの上には、御善知識より仰せ出さる御法度の趣、背き申すまじき理(ことわり)と知るべし。
※ 天人師(てんにんし)- 如来十号(仏陀の10種の称号)の一つ。天人の師となる者。仏は正法を以て人間・天上の者を教導するから天人教師、すなわち天人師という。

さてまた、この経文に五重のあり。一には、宿善とは、「皆な仏の前の世に道を求め給いしの時、謙苦し給うが致す所に」とある、これなり。二には、善知識とは、「教授典攬、威制消化」などと、これなり。三には、光明とは、「光明徹照」などと、これなり。四には、名号とは、「今、仏に値(あたい)上り、また無量寿仏の声(御名)を聞くことを得る」と、これなり。五には、信心とは、「歓喜せざるということ靡(な)し。心、開明することを得たり」と、これなり。
※ 軌(き)- 一定の法則。みちすじ。軌範。

この五重は、口伝鈔の光明名号の因縁の事とある次第なり。かの文に、「十方衆生の中に浄土の教えを信受する機あり。信受せざる機あり。如何とならば、大経の中に説くが如く、「過去、宿善厚きものは、今生にこの教えに逢いて、正しく信楽す。宿福なきものは、この教に逢うといえども、念持せざれば、また逢わざるが如し。過去の因を知らんと欲せば、の文の如く、今生の有様にて、宿善の有無、明らかに知らんぬべし。
※ 光明名号(こうみょうみょうごう)-名号は衆生に与えられて信心の因となり、光明はこの人を 照らしまもる縁となるという救済のありさまをいう。
※ 信受(しんじゅ)- 教えを信じ領受するという意で、仏の救いに対して疑いなく信じることをいう。
※ 宿善(しゅくぜん)- 前世で行ったよい行為。前世で積んだ善根。
※ 信楽(しんぎょう)- 教法を信じ、これに喜び従うこと。
※ 宿福(しゅくふく)- 前世になされた善行によって得られる福徳。
※ 念持(ねんじ)- 心に深く思って忘れないこと。


(これは大経に「曽て更に世尊を見とり、則ち能くこの事を信ず等を」とあるに依って示し給う。前(さき)の「皆仏前世」の文は他力の宿縁なり。この「曽て更に世尊を見とり」などは、行者の身の善根にも通ずるなり。)
※ 宿縁(しゅくえん)- 前世の因縁。
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