goo

道聴塗説 その八 11

(かなや会館から公園のサクラ)

朝から雨。午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席する。今年度の初回である。会場のかなや会館から、公園の桜をみると、五分咲きといったところか。あいにくの雨に、遅れていた桜も台無しである。明日は何とか晴れるであろうか。

********************

今日で「道聴塗説 その八」の解読を終る。

賢護経第三に、「恩有るを必ず知り、恩を知りて必ず報ず。善知識に常に念じて親近せよ。諸(もろもろ)の師尊の所、謹(つつし)み事(つか)えて、違(たが)うこと無かれ。若し、この如きの甚深経典を聞かば、専心に聴受して、終(つい)疲猒すること無し。
※賢護経(げんごきょう)- 大集賢護経 五巻。 隋の闍那崛多 (じゃなくった) 訳。 賢護菩薩に対して、般舟三昧の法を説いたもの。 『般舟三昧経』の異訳の一。
※ 親近(しんきん)- 親しくすること。親しく近づくこと。
※ 甚深(じんしん)- 非常に奥が深いこと。意味・ 境地などが深遠であること。
※ 疲猒(ひえん)- 疲厭。うみ疲れ、厭いきらうこと。


法師の所に於いて、慈悲の心、善知識の心を起こし、乃至(ないし)、諸如来の想いを生ぜよ。この如く微妙の法たるを以っての故に、無上大菩提を成就するが故に、愛敬尊重の心を転増するが故に」とある。
※ 無上大菩提(むじょうだいぼだい)- 最もすぐれた大いなる悟りのこと。
※ 愛敬(あいぎょう)- 親愛と尊敬の念をもつこと。


これ念佛三昧の法師を崇敬して、如来の想を為せと示し給う。然れば、聖人すでに三朝浄土の祖師を尊敬して、報恩の志を示し給えば、その例にて、聖人(親鸞)の御弟子は、また聖人を尊敬し給う。かく次第に師恩を存すれば、今の本山の御善知識に至るなり。
※ 三朝浄土の祖師(さんちょうじょうどのそし)- インド・中国・日本の三国に現れた浄土教の祖師たち。七高僧のこと。

これ皆な他力の信得る人と申すときは、広く末第(末寺)にも通じ、四海(天下)一蓮の如来座なれども、且(しばら)本枝を論じて、その本を尊重するを念仏者の用心とすべし。これ故に善知識の嘉称は、ただ御本山に存して、末第(末寺)に於いて憚(はばか)る処なり。先に申す臨終の善知識とは、流義には通じて道俗の同行念仏者と心得べし。委しく別章に載せたり。
※ 一蓮(いちれん)- 極楽の同じ蓮華の上。
※ 本枝(ほんし)- 幹とえだ。もととわかれ。
※ 嘉称(かしょう)- よい名。よい評判。

(その八、解読終り)

読書:「果てしなき追跡」逢坂剛 著
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )