平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
道聴塗説 その八 9
お昼前から雨、春雨と呼ぶのだろうか。しばらくうっとうしい日が続くそうだ。
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「道聴塗説 その八」の解読を続ける。
さて、この讃に「他力の信心得る人を」とある一句は、古今の註釈に尽きざる文なり。まず大経の意は、「見敬得大慶」とあるは、「見仏恭敬」と申す義にて、かの偈の前に、「曽更見世尊則能信斯事」とある句を略して、「見」と云う。これ仏世尊を見奉る事なり。
※ 見敬得大慶 - 見て敬い得て、大きに慶(よろこ)ぶ。
※ 見仏(けんぶつ)- 仏の姿を目のあたりに見ること。
※ 恭敬(きょうけい)- つつしみ、うやまうこと。
※ 偈(げ)- 経典中で、詩句の形式をとり、教理や仏・菩薩をほめたたえた言葉。
※ かの偈 -「大無量寿経(大経)」に、「曾更見世尊 則能信此事 謙敬聞奉行 踊躍大歓喜」とある偈。
※ 曽更(そうこう)- むかし。
※ 見世尊則能信斯事 - 世尊を見たてまつりしものは、 すなはちよくこの事を信ず。
その「仏を見る」とは、今世に仏の在世に遇(あ)いて見る義にとる時は、末法の機に通ぜず。これ今世に信心を得るは、過去に見仏の縁ある故に、経に「曽更(むかし)見世尊」と説き給う。その「見」の字と心得べし。次の「敬」の字は、前偈の「謙敬聞奉行」の句を略して、ただ敬とは説き給う。次の「得大慶」は前偈の「踊躍大歓喜」の句なり。
※ 謙敬聞奉行 - 謙敬にして聞きて、行し奉る。
※ 謙敬(けんきょう)- わが身をへりくだり、法を敬信すること。
かく文字を略し給うは経の終りにも、「受持読誦如説修行」とあるを、重ねては「持誦説行」と説き給う。或は訳家の意に煩重を存し、誦持に便するものならん。
※ 受持(じゅじ)- 仏の教えを銘記して忘れないこと。
※ 読誦(どくじゅ)- 声を出して経文を読むこと。
※ 如説(じょせつ)- 仏の説の如く。
※ 煩重(はんちょう)- くどくて煩わしいこと。
然れば「見敬」の字は仏を見て恭敬して法を奉行する義なれば、今の讃に「他力の信念得る人を敬い大きに慶ぶ」とある旨とは相違なり。或は「人を」の「を」字をば「の」字に改めてみるなど、色々鑿説あれども、讃主の意に非ず。聖人(親鸞)の御書に、華厳経に言わく、「信心歓喜者與諸如来等」と云うは、「信心を喜ぶ人は、諸々の如来と等(ひと)し」と云うなり。「諸の如来と等し」と云うは、信心を得て、事に喜ぶ人を、釈尊の御言(みこと)には、「見敬得大慶則我善親友」と説き給えり。
※ 鑿説(さくせつ)- うがった説。
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