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道聴塗説 その九 2






(大代川土手の桜、八分咲き)

雨は止んで、土手の桜も八分咲き。しかし今日は月曜日で、花見見物は誰もいない。次の週末には花は終っているだろう。

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「道聴塗説 その九」の解読を続ける。

この文に、「皆な仏の前世に道を求め給いしの時、謙苦の致す所なり」とあるを、法蔵比丘の五劫兆載の願行の功作と心得べし。これ故に他力の御廻向によりてと申すなり。
※ 五劫兆載(ごこうちょうさい)の願行の功作 - 阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時、一切衆生を平等に救うため、五劫という長い間思惟をめぐらして願を立て、兆載永劫(無限の時間)の修行をされたことをいう。
※ 廻向(えこう)- 浄土真宗で、阿弥陀仏が人々に救いの働きを差し向けて浄土に迎えること。


「今、我れ衆ら、度脱を得ることを蒙ぶる所以」とは、雑行雑修、疑心、自力を捨てゝ、一心に阿弥陀如来、後生御たすけ候えと頼み奉る。最初の一念に、我等が往生は決定と領(了)解いたし候と申すを、短く言えば、「度脱を得ることを蒙ぶる」なり。雑行、雑修、疑心は、皆な自力の失なり。この自力をば、離れたれば、「得ることを蒙ぶる」と申す。これ他力なる故に「蒙ぶる」とは説き給う。
※ 雑行(ぞうぎょう)- 浄土門で、念仏以外の仏道修行。
※ 雑修(ざっしゅ)- 浄土系の信仰で,念仏以外の行を併せ修すること。


次の文に「皆な仏の前(さき)の世」等とある、その証(あかし)なり。「恩徳普(あまね)く覆い、福禄巍々たり」とは、かく往生決定して度脱を得たれば、仏恩の深広なる事、譬えん様もなし。されば、「恩徳普く覆い」等と宣(のたま)う。これ故に今より後、命終るまでの念仏を、御恩報謝と心得候と申すなり。

次に、かように聴聞申すわけ候ことは、偏えに御開山聖人(親鸞)此土御出世の御恩次第、御相承の善知識の、浅からざる御勧化の御恩と、有難く存じ候とは、教授の善知識の恩を謝すものなれば、経の、「教授典攬、威制消化し給う。十方を感動せしめ給うこと、窮まり無く、極まり無し。仏、法王と為す。尊きこと、衆聖に超え給う。普(あまね)く一切天人の師と為りて、心の願所に随いて、皆な道を得させしめ給う。」とある旨なり。
※ 此土(しど)- この世。現世。
※ 相承(そうじょう)- 師から弟子へ代々、仏の悟りの本体を伝え受継ぐこと。


読書:「回帰 警視庁強行犯・樋口顕」今野敏 著
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