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道聴塗説 その九 3

(散歩道のヤマモモの花)

今日も夕方まで雨模様。明日は晴れそうだ。

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「道聴塗説 その九」の解読を続ける。

この文に「仏、法王と為す」とあるを、今世には本山の御善知識を法王と尊敬すべし。末流門徒のために、天人師として「教授典攬、威制消化し給う。」即ち、本山の法式制定と心得て奉行すべきなり。これをこの上には、御善知識より仰せ出さる御法度の趣、背き申すまじき理(ことわり)と知るべし。
※ 天人師(てんにんし)- 如来十号(仏陀の10種の称号)の一つ。天人の師となる者。仏は正法を以て人間・天上の者を教導するから天人教師、すなわち天人師という。

さてまた、この経文に五重のあり。一には、宿善とは、「皆な仏の前の世に道を求め給いしの時、謙苦し給うが致す所に」とある、これなり。二には、善知識とは、「教授典攬、威制消化」などと、これなり。三には、光明とは、「光明徹照」などと、これなり。四には、名号とは、「今、仏に値(あたい)上り、また無量寿仏の声(御名)を聞くことを得る」と、これなり。五には、信心とは、「歓喜せざるということ靡(な)し。心、開明することを得たり」と、これなり。
※ 軌(き)- 一定の法則。みちすじ。軌範。

この五重は、口伝鈔の光明名号の因縁の事とある次第なり。かの文に、「十方衆生の中に浄土の教えを信受する機あり。信受せざる機あり。如何とならば、大経の中に説くが如く、「過去、宿善厚きものは、今生にこの教えに逢いて、正しく信楽す。宿福なきものは、この教に逢うといえども、念持せざれば、また逢わざるが如し。過去の因を知らんと欲せば、の文の如く、今生の有様にて、宿善の有無、明らかに知らんぬべし。
※ 光明名号(こうみょうみょうごう)-名号は衆生に与えられて信心の因となり、光明はこの人を 照らしまもる縁となるという救済のありさまをいう。
※ 信受(しんじゅ)- 教えを信じ領受するという意で、仏の救いに対して疑いなく信じることをいう。
※ 宿善(しゅくぜん)- 前世で行ったよい行為。前世で積んだ善根。
※ 信楽(しんぎょう)- 教法を信じ、これに喜び従うこと。
※ 宿福(しゅくふく)- 前世になされた善行によって得られる福徳。
※ 念持(ねんじ)- 心に深く思って忘れないこと。


(これは大経に「曽て更に世尊を見とり、則ち能くこの事を信ず等を」とあるに依って示し給う。前(さき)の「皆仏前世」の文は他力の宿縁なり。この「曽て更に世尊を見とり」などは、行者の身の善根にも通ずるなり。)
※ 宿縁(しゅくえん)- 前世の因縁。
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