ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

安倍=トランプ会談は戦後の日米交渉で最大の成果

2017-02-14 08:45:41 | 時事
 安倍首相は、「建国記念の日」に、訪問中の米国でトランプ大統領と初の首脳会談を行った。意義深いことである。また、首相は「建国記念の日」に関する所感をFBに掲示した。次の文章である。

 「建国記念日を迎えるに当たって、在米日本国大使館で記帳しました。
 「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります。
 我が国は、四季折々の豊かな自然に恵まれ、長い歴史を経て、諸外国に誇れる日本固有の文化や伝統を育んできました。五穀豊穣を祈り、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補い合い、人々が共に手を携え助け合う、麗しい社会を築いてまいりました。知恵と創意工夫により、自然に向き合い、自然との調和を図りながら、科学技術の発展をはじめ、様々な分野において、人類の営みに大きく貢献してきました。
 長い歴史の中で、我が国は、幾度となく、大きな困難や過酷な試練に直面しましたが、その度に、先人たちは、勇気と希望をもって立ち上がり、たゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。国民一人一人のたゆまぬ努力の礎の上に、今日の我が国の発展があります。
 私たち今を生きる世代には、こうした先人たちの足跡の重みをかみしめ、困難な課題に対しても未来志向で乗り越えていく努力を積み重ねながら、この尊い平和と繁栄を次の世代に引き継いでいく、日本、そして、世界の平和と繁栄のために能う限りの力を尽していく大きな責任があります。
 伝統を守りながら、同時に、変化をおそれることなく、より良い未来を切り拓いてまいります。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしております。
 「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。

 平成29年2月11日
  内閣総理大臣 安倍 晋三」

 私は、安倍氏は、現代の日本で日本精神をよく体得した数少ない政治家の一人と思う。首脳会談では、日本精神を発揮して、日本の国益を守り、また日米の共存共栄に寄与する活躍を期待した。
 その安倍=トランプ会談の結果、尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲と共同声明に明記された。画期的な前進である。また安保と経済を切り離し、経済問題は麻生副総理とペンス副大統領というナンバー2同士で協議していくことで合意を取り付けたのも、安倍氏の見事な手腕によるものでだろう。元総理で経済に精通した麻生氏と、州知事上がりで国際経済の経験の少ないペンスでは、格が違う。大統領が政治的に未熟で、また閣僚の議会承認が9人しか進まず、政権中枢の固まっていない米国側の態勢の弱さを、見事に突いた交渉だったと思う。でもそれが長期的には米国に助力したことになるだろう。戦後最高の日米交渉と評価できる。

 日米は首脳会談でかつてない緊密な関係を構築できた。ここで最大の課題は、中国への対処である。米中間で起こりうる最悪の事態を想定して、準備を進めていくことが必要である。

 元陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和氏は、トランプ政権と習政権の間で米中戦争が勃発する可能性に懸念を述べている。
 渡辺氏は、米国のランド研究所が昨年7月に発表した「中国との戦争」と題する論文を紹介。「短期」すなわち数日から数週間か、「長期」すなわち1年程度かという期間の違い。及び「マイルド」すなわち米軍が中国本土の目標を攻撃しないか、「厳しい」すなわちそれを攻撃するかという攻撃対象の違い。これらの組み合わせにより、論文は4つのケースを想定。米国は「長期、厳しい」戦争に対する備えをしなければいけないと主張。
 「長期、厳しい」戦争において、米軍は、中国本土に対する大規模な打撃を実施。戦いは地理的に拡大し、サイバー戦や宇宙での戦いへエスカレート。戦争は激烈で1年以上継続し、両国に非常に大きな損失とコストを強いる。中国経済がこうむる損害は1年間の戦争でGDPが25%から35%減少。中国経済は弱体化し、経済発展は停止し、広範囲な苦難と混乱が生じると予想している。
 渡辺氏は、わが国はこうした「最悪の事態としての戦争を想定し、それにいかに対処するかを真剣に検討することが極めて重要」と述べている。
 それでもし戦争が回避されたり、起こっても短期、マイルドで収まれば、それでよいわけである。備えのない状態で、米中戦争の影響を被るのが一番ダメージが大きくなる。
http://www.sankei.com/wor…/news/170213/wor1702130021-n1.html

 米国トランプ政権は、マティスをはじめ軍人出身の優秀な閣僚が安全保障分野にそろっている。それに比べて、わが国の安倍政権は、その方面が弱すぎる。内閣改造で人員を強化した方がよいと思う。従来の派閥均衡や論功行賞の人事では、21世紀に迎える本当の国難を乗り越えられない。

ユダヤ12~ユダヤ教の組織と信仰

2017-02-13 09:52:49 | ユダヤ的価値観
(3)組織

●宗教的民族的共同体

 ユダヤ教は民族の宗教ゆえ、もともと民族的共同体がそのまま宗教的共同体だった。民族とは別個に自立した教団があるのではない。この宗教的民族的共同体の組織は、宗教だけでなく、政治・経済・社会・文化を総合的に含む組織である。これは、古代から前近代まで世界に広く見られる伝統的な共同体のあり方を保つものだった。
 紀元70年に古代ロー帝国によってエルサレムの都市と神殿が破壊され、ユダヤ人は祖国を喪失して流浪の民となった。以後、ユダヤ人は各地の社会において、伝統的共同体としてのユダヤ教社会を維持していた。
 1880年代からパレスチナへの移住運動が始まり、イスラエルの建国に至ったが、イスラエルは多民族・多宗教国家であり、国民の中には非ユダヤ人や非ユダヤ教徒もいる。政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。それゆえ、国民共同体と信徒共同体は一致していない。宗派の異なる集団が並存している。これは、イスラエル以外の諸国に居住しているユダヤ教徒の集団においても同様である。
 各宗派の組織に共通するのは、聖職者と一般の信徒によって構成されていることである。

●聖職者
  
 ユダヤ教の聖職者をラビという。ラビは、律法学者を意味する。ラビは紀元前5世紀から律法の研究や戒律の整備を行い、ユダヤ教を発展させた。今日のユダヤ教は、彼らによる「ラビのユダヤ教」を継承したものである。
 ラビは、ユダヤ教の指導者としての知識を学び、訓練を受け、その職を任された者である。歴史的にはシナゴーグと呼ばれる集会所の指導者であり、ユダヤ人共同体の指導者も務めてきた。
古代・中世には、ラビは他の生業を持つ者とされていたが、16世紀以降、専門的な職業化が進んだ。それには、キリスト教の影響が指摘される。ただし、ラビは、キリスト教のカトリック教会の聖職者とは違い、人と神の中間に位置し、神へのとりなしを果たす役割を持つ者ではいない。
 ラビの最も大切な仕事は、ユダヤ教の礼拝を主導し、祈りや祭りの持つ深い意味を信徒に教えることである。また、ラビは精神的指導者の仕事にとどまらず、様々な相談ごとに応じるよろず相談承り人ともなっているといわれる。

●シナゴーグ
 
 宗教は多くの場合、祭儀を行う場所や信者が集う施設を持つ。ユダヤ教徒は、ローマ軍に国を滅ぼされて神殿を破壊されてからは、離散した各地で集会所に集まって宗教活動を行ってきた。神殿での祭儀が不可能となったことで、シナゴーグでの教典学習が中心となった。
 ユダヤ教の集会所をシナゴーグ(会堂)という。ギリシャ語のシュナゴゲー(集会所)に由来する。ユダヤ教会と称されることもある。シナゴーグは、もともと聖書の朗読と解説を行う集会所だった。現在は祈りの場であるとともに、礼拝や結婚、教育の場であり、また文化行事なども行うユダヤ人共同体の中心施設となっている。

(4)信仰

●目的

 ユダヤ教徒にとって、人生最大の目的は、神の定めた律法を厳格に守ることによって、神の前に義とされ、神の国に入る資格を得ることである。それを信徒が個々に自分のために目指すのではなく、集団で目指すところに、ユダヤ教の信仰の目的がある。

●行為の重視

 ユダヤ教は、律法主義の宗教である。律法に従い、戒律を守るために、実践を重視する。信仰を持っていたとしても、決められたことを実行しないのは、ユダヤ教徒のあるべき姿ではないとされる。キリスト教は、ユダヤ教の律法主義を批判し、内心で信じるだけで救われると説いた。こうした内心で信じるだけで救われるという考え方は、ユダヤ教にはない。心で信じるだけでなく、行いが求められる。

●信仰告白と祈り
 
 神ヤーウェへの信仰告白は、「シェマ・イスラエル (聞けイスラエル)」を中心とする。「シェマ・イスラエル」とは、『申命記』6章4~9節にある次の言葉である。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
 ユダヤ教徒は、この信仰告白を書いた羊皮紙を収めた革の小箱 (テフィリン)を、一つは左上腕に、もう一つは額に巻きつけて、神に祈りを捧げる。
 一日に朝、昼、晩の3度、祈祷をするのを原則とする。平日には、父祖の神の全能と聖名の賛美に始まり、神のシオン帰還とイスラエルの祝福で終わる19項目の祈祷文を唱える。本来は18項目であったことから、シュモネー・エスレー(18祈祷文)と呼ばれる。規律して行われることから、アミダー(立祷)ともいう。
 立祷は、正式には成人男子10人以上の集団 (ミヌヤン)で祈ることになっている。

●安息日と礼拝

 『創世記』は、神が6日間で天地と人間を創造し、7日目に休んだと記している。それに基づいて、ユダヤ教には安息日(シャバット)が設けられている。安息日は、神の恵みの業を思い起こすため、すべての労働を休む神聖な日とされる。金曜日の日没に始まり土曜日の日没に終わる。
安息日ごとに行われる公の礼拝は、律法(モーセ五書) の朗読を中心とする。毎週1区分ずつ朗読して、1年間で読了するよう54区分されている。
 安息日は、礼拝に参加するほか、自分自身を見つめたり、家族と対話したりする日ともなっている。

●祝祭日

 ユダヤ教には、次のような祝祭日がある。新年祭、贖罪日、仮庵の祭、律法の歓喜祭、ハヌカ祭プリム祭、過越の祭り、七週祭などである。
 これらのうち、最も特徴的なのは、過越の祭り(ベサハ)である。この祭りは、モーセがエジプトを脱出しようとするのを許さないエジプトのファラオに怒った神ヤーウェが、エジプト人の初子を皆殺しにした故事による。この時、ユダヤ人の家では難を逃れる目印として、戸口に子羊の血を塗った。神はその家を過ぎ越したので、ユダヤ人は天罰を免れた。この祭りは、ユダヤ人は神に選ばれた民であることを確認し、子孫に伝える儀礼となっている。

●人生儀礼

 男子は生後8日目に割礼を受け、同時に命名される。これは、新生児が原初のアブラハム契約に参加してユダヤ人共同体の一員になったことを示す儀式とされる。
 少年は13歳で成人式(バル・ミツバー)を行い、戒律を守る義務を負う。バル・ミツバーは「戒律の子」を意味する。成人を迎えると、完全に大人と同様と扱われる。

●清め

 ユダヤ教には、穢れを忌み嫌い、穢れを祓う清めの思想と儀礼がある。死体に接した者、月経や出産後の女性は、ミクベ(沐浴場)で首まで水につかって、身を清める。

 次回に続く。

お勧め~映画「海賊とよばれた男」

2017-02-12 08:49:59 | 時事
 百田尚樹原作の映画「海賊とよばれた男」は、日本人の魂を奮い起こしてくれるいい映画である。まだ観る機会のない方に、あらためて鑑賞をお勧めする。



http://kaizoku-movie.jp/
https://www.youtube.com/watch?v=03va5qDFyzY

 大東亜戦争は石油をめぐる戦いであり、わが国は石油で敗れたといっても過言ではない。敗戦後、日本にとって石油がいかに大切かを誰よりもよく知っていた出光佐三は、敢然と石油メジャーに挑み、唯一の民族系石油資本を守り抜いた。出光は「日本に帰れ」と訴え、日本人に日本精神を取り戻すことを呼びかけ、自らの社員とともに実践した。この映画は、出光とその仲間たちの生きざまを感動的に描いている。
 岡田准一は、主人公・国岡鉄造になりきり、重厚で気迫のこもった演技をしている。職人芸によるミニチュアと最新技術のVFXの組み合わせによる大正・昭和期の街並みや焦土と化した都市のたたずまいが見事である。山崎貴監督が自ら作詞した国岡商店の社歌が随所で歌われ、心に響いた。

 文芸批評家で都留文科大学教授の新保祐司氏が、産経新聞1月27日付に、貴重な文章を書いている。新保氏は、大学卒業後、40歳過ぎまでこの映画のモデル・出光佐三が起こした出光興産で働いたそうで、この会社の精神を社員として学んだ人物である。

 新保氏は、次のように書いている。
 出光佐三は、「日本人はどうあるべきか、人間が働くとはどういうことかについて独自の思想を鍛え上げ、その実践として経営があった。よく言い聞かされた言葉には「真に働く姿を顕現して、国家社会に示唆を与える」というものがあった。その思想の根底には、深い愛国心があり、ガソリンスタンドのポールには国旗が掲げられていた。新入社員時代、支店勤務の私は、朝礼での国旗掲揚とそれに対する最敬礼の号令をかける担当をしていたものであった」
 「佐三が、昭和15年の紀元2600年の年にまとめた『紀元二千六百年を迎えて店員諸君と共に』に出光の主義方針が掲げられている。このタイトルそのものが、佐三の思想を表している。「紀元二千六百年を迎えて」であり、「店員諸君と共に」なのである。この文章に「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者より消費者へ」が挙げられている。この佐三の考えは、日本人であることの深い自覚から生まれたものであり、単に経営を成功させるための功利的なものではなかった。戦後の高度成長の波に乗っただけの経営とは、正反対の考え方であった」
 「アメリカ的経営に侵食されてきた弊害に気付いて近来、日本的経営の重要さが見直されているが、それには、出光の在り方が「示唆を与える」のではないか。日本的経営を経営学のレベルでとらえるのでは足らず、本当の日本的経営の根本には、日本人の自覚と愛国心がなくてはならないからである」
http://www.sankei.com/entertainments/news/170127/ent1701270013-n1.html

ユダヤ11~罪、最後の審判、メシア

2017-02-10 08:15:53 | ユダヤ的価値観
●罪と最後の審判

 ユダヤ教では、神の意思に反することが罪である。具体的には、十戒を代表とする律法に定められた命令への違反である。特に重罪とされるのが、偶像礼拝、姦淫、殺人、中傷の四つである。
 ユダヤ教は、人間は罪を犯しやすい弱い存在であるとする。憐れみ深い神は、悔い改めた罪人を必ず許す。しかし、正義の実現を目ざす神は、各人の責任を死後にも追及する。そこで、この世の終りに、神はメシアを派遣して神の王国の建設を準備させる。その後に新しい世界が始まると、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受ける。その結果、罪人は永遠の滅びに落とされ、義人は永遠の生命を受ける。
 ここで注意すべきは、新しい世界は死後の来世としての天国ではなく、地上に建設される神の王国であることである。義人は天国ではなく、地上において永遠の生命を与えられる。心霊的存在ではなく身体的存在として、地上に永遠に生きると考えられている。

●天国と地獄

 ユダヤ教の聖書には、天国という明確な概念がない。天国が空間的・場所的にどこにあるかは、具体的に記されていない。ユダヤ教では、天国は「国」「領域」というよりは、「神の支配」を意味する。神が統治者としてこの地上に君臨すること、あるいは神の意思を地上に実現することが、天国にほかならない。来世の天国ではなく、地上天国である。霊的な次元ではなく、また地球外の場所でもない。
 地獄もまた明確な場所の概念ではない。神から離反している状態が、地獄と考えられる。

●死生観

 ユダヤ教では、原罪に対する罰として、死をとらえる。原罪によって、人間は死すべきものとなり、死によって土に還る定めを負ったと理解する。
 死後については、多くの宗教に見られるような死後の世界は、明示されていない。死の観念はあるが、現世とは別に存在する死後の世界という考え方がない。死後、別の世界に移り、その来世で報われるという考えがないのである。そのことから、ユダヤ教では、人は死んだ後、メシアの到来と最後の審判までの間、一種の休眠状態または停止状態に入ると理解される。メシアの到来で開かれる新しい世界も、地上に建設される神の王国であって、多くの宗教で死後の世界とされる霊界とは異なる。
 それゆえ、ユダヤ教の死生観にみられるのは、強い現世志向である。この世での人生を何よりも大切に考えて生き、その人生の結果として最後の審判で地上において永遠の生命を得ることを目標にするのが、ユダヤ教徒の生き方と理解される。

●メシアとイエスへの評価

 ユダヤ教では、今後メシアが出現することが期待されている。メシアは主すなわち神ではない。人間であり、ダビデの子孫とされる。それゆえ、「救済者」であって、「救世主」と訳すのは、厳密には誤りである。メシアは、神と新しい契約を結び、王国を復興して神殿を再建する。離散したユダヤ人を世界各地から呼び集める。イスラエルを率いて、世界を統治する。このような役割を果たすべき宗教的指導者であり、また政治的指導者が、メシアである。
 キリスト教がメシアは既にイエス=キリストとして現れたとするのに対し、ユダヤ教はそれを否定する。キリスト教はイエスをメシアとしてのキリストとし、イエスに神性を認め、アダムの原罪から人間を解放したとする。すなわちイエス=キリストは、ただの救済者ではなく「救世主」とされる。だが、ユダヤ教はイエスをメシアとみなさない。またイエスを「主」とも「神の子」ともみなさない。イエスは人間であり、律法に背いた犯罪者とみる。
 キリスト教徒は、イエスをキリストだとする最大の根拠として、『イザヤ書』53章を挙げる。そこには、第2イザヤの預言として、主すなわち神によって、人々の咎を負わせ、主の御心を成し遂げる者が現れることを述べた一節がある。すなわち、同章4~6節に「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」とある。キリスト教徒は、この預言はイエス=キリストの出現を述べたものと解釈する。
 だが、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の解釈は間違いであり、その記述はイエスの出現を預言したものではないと断じる。

●隣人愛

 紀元後2世紀のラビ・アキバは、ユダヤ教史上最高のラビと言われる。アキバはユダヤ教を一言で言うと、『レビ記』19章18節の「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」であると述べている。ユダヤ教の隣人愛をユダヤ教徒に限らぬすべての人間への愛と考える解釈があるが、ユダヤ教徒の実践はそうなっていない。
 イエスもまた「汝の隣人を愛せよ」と教えたが、ユダヤ教における隣人とは、ユダヤの宗教的・民族的共同体の仲間である。仲間を愛する愛は、選民の間に限る条件付つきの愛である。人類への普遍的・無差別的な愛ではなく、特殊的・差別的な愛である。なぜなら彼らの隣人愛のもとは、神ヤーウェのユダヤ民族への愛であり、その神の愛は選民のみに限定されているからである。ユダヤ教徒の隣人愛が普遍的・無差別的な人類愛に高まるには、神ヤーウェによる選民という思想を脱却しなければならないだろう。

 次回に続く。

マティス米国防長官は「狂犬」ではなく「猛犬」

2017-02-09 10:19:39 | 国際関係
 2月3日安倍首相がマティス米国防長官と会談した。マティス氏は、米国の日本防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲に尖閣諸島が含まれると明言。中国を念頭に「尖閣諸島は日本の施政下にある領域。日本の施政を損なおうとするいかなる一方的な行動にも反対する」と表明。「北朝鮮など直面するさまざまな課題に対し、1年前、5年前と同じように第5条は重要であることを明確にしたい。5年先、10年先でも変わらない」と強調した。

 首相が、稲田防衛相に任せずにマティス国防長官に直接会い、安全保障上、最重要の課題について、しっかり確認を取ったのは、良かった。これぞ国家最高責任者の仕事である。

 翌4日稲田防衛相は、マティス米国防長官と会談し、共同記者会見を行った。マティス氏は、ここでも尖閣諸島は日米安保5条の適用範囲と明言。沖縄の基地問題については、「日本での討議を通じて協力し合い、普天間移設先の施設を整備する努力を続けることに合意いたしました。これは現在の海兵隊普天間飛行場を米国が日本に返還する唯一の解決策であります」と断言した。
 また、在日米軍の駐留経費については、「コスト負担ということでは、日本は本当にモデルだと思っている。われわれは常に対話をこの件についてやっています。詳細についても常に話をしています。そして日本と米国で経費の負担分担が行われているのは、他の国にとってモデルになると思っております。お手本になると思っております」と、日本の費用負担を高く評価した。

 過去半世紀以上、米国の国防長官でこれほど優秀・明晰でかつ軍務に精通した人物は、いないのではないか。
 マティス氏の異名 "mad dog" をマスメディアは「狂犬」と訳しているが、 "mad dog" は、狂犬病にかかった凶暴な犬ではなく、勇猛果敢な戦士であることを意味する。わが国唯一の同盟国の国防責任者に対して敬意を表し、「猛犬」という訳語に替えた方がいいと思う。

 2月10日の安倍・トランプ首脳会談は、安全保障に関しては今回の日米合意をもとに行われると見られる。主たる論点は、経済になりそうである。首相の類まれな交渉力に期待する。

関連掲示
・拙稿「尖閣を守り、沖縄を、日本を守れ」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12o.htm
・拙稿「トランプ時代の始まり~暴走か変革か」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-3.htm

ユダヤ10~律法・戒律・自由意思

2017-02-08 10:25:46 | ユダヤ的価値観
律法

 上記のような実在観、世界観、人間観を持つユダヤ教において、教義の中心となっているのは、律法である。律法は、神ヤーウェが決め、モーセに与えられたものを主とする。
 モーセが受けた律法を十戒という。十戒は、神からユダヤ民族に一方的に下された命令である。神がシナイ山でモーセに石板二面に書いて示したとされる。神は、エジプトで奴隷になっていた古代イスラエルの民を救い出した。だから、神に全面服従しなければならないとする。もし守らなければ、人間は神の怒りに触れて、たちまち滅ぼされてしまうというのが、ユダヤ教の考え方である。
 十戒は、『出エジプト記』20章と『申命記』5章に記されている。大意は次の通りである。

(1)あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
(2)あなたはいかなる像も造ってはならない。
(3)あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
(4)安息日を心に留め、これを聖別せよ。
(5)あなたの父母を敬え。
(6)殺してはならない。
(7)姦淫してはならない。
(8)盗んではならない。
(9)隣人に関して偽証してはならない。
(10)隣人のものを欲してはならない。

 前半は宗教的な規定であり、後半は道徳的な規定である。これらのうち、(1)(2)は、ユダヤ教の排他的一神教と偶像崇拝の禁止という特徴を示す。それらを神の命令としているところに強い拘束性がある。対照的に(5)(6)(7)(8)は、ユダヤ教徒に限らず、普遍性の高い規範である。
 注意すべきは、(6)の「殺してはならない。」は、異教徒を対象としていないことである。また人殺しを禁じるものであって、一切の生き物を殺すなとは言っていない。また、(9)は嘘をつくなと命令するものではなく、裁判の時に偽証をするな、と言っているだけである。

●戒律
 
 ユダヤ教では、律法以外に、細かい戒律が定められている。紀元前5世紀から約1000年の間に、律法学者(ラビ)がユダヤ教を発展させた。彼らが形成したユダヤ教を「ラビのユダヤ教」という。「ラビのユダヤ教」は、613の戒律を定める。戒律には、「~してはならない」という禁忌戒律と「~すべき」という義務戒律がある。禁止戒律は365戒、義務戒律は248戒あり、計613である。
 これらの戒律は、狭義の宗教的戒律のほかに、倫理的戒律と生活的戒律を含む。戒律遵守の生活が、ユダヤ人の民族的一体性を守り抜く基盤となった。ユダヤ教は宗教的・民族的共同体の生き方そのものが宗教になったものであり、多数の戒律の存在はその特徴をよく表している。
 特筆すべきは、613の戒律のうち120以上が、人が生活の糧を得る方法や貨幣を倹約し、貯蓄し、それを使用する仕方について規定していることである。こうした経済的な生活規範が、ユダヤ的価値観における経済的な価値観の根底に存在する。

●律法・戒律と人間の自由意志

 ユダヤ教において、律法に従い、戒律を守るかどうかは、人間の自由意志による。
人間創造及び原罪と楽園追放の項目にユダヤ教の人間観について書いた。ユダヤ教では、人間は神の似像として創造され、それゆえに意志の自由が与えられているとする。人間に自由意思がなければ、律法や戒律は必要ない。行為は動物と同じく本能的な行動の反復に過ぎないからである。自由意思があるからこそ、それへの規制が定められている。
 ユダヤ教では、人間は自由意志により神の命令を守ることができるとし、律法や戒律を実践し、よいことをすることができると考える。この考え方は、因果律に基づく。律法と戒律の遵守を義務とし、それを実行すればよい結果が、実行しなければ悪い結果が現れるというする倫理的応報主義である。また、ここには、神の絶対性と人間の自由意思は矛盾しないという考え方がある。
 ユダヤ教から現れたイエスは、律法主義・戒律主義を乗り越えようとして、神に対する愛と隣人に対する愛を強調した。律法・戒律の形式的な遵守より、愛の実践を説いた。イエスの教えに基づくキリスト教では、ユダヤ教の戒律を重視しない。
 キリスト教において、ローマ・カトリック教会は、人間の自由意思を認め、善行や功徳を積むことを奨励する。東方正教会も同様である。だが、西方キリストでは、教父アウレリウス・アウグスティヌスやマルティン・ルターが神の絶対性を強調することにより、人間の自由意思を否定し、救済は人間の善行・功徳によって得られるのではなく、全く神の意思によるとした。この考え方のもとには、パウロ以来の神による救いと滅びは予め定められているという予定説がある。この説を徹底したジャン・カルヴァンは、救いと滅びは堕罪前から定められているという二重予定説を説いた。これに対して、ヤーコブス・アルミニウスは、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いた。その説の影響のもとに、すべての人間の自由意思による救済を説く教派や、さらにすべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張する教派もある。
 これに比し、ユダヤ教は、神の絶対性を強調しつつ、人間の自由意思を肯定する。そして、自由意思は、律法・戒律を前提とし、律法に従い、戒律を守ることを自らの意思で実践するために、発揮すべきものとされる。
 自由意思の肯定は、人間における悪の問題を生じる。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。そのことが、原罪と楽園追放の思想によって示されている。ユダヤ教によれば、神の似像として創造されたものとして、人間は神のように恵み深く、憐れみに富み、正しく完全でなければならない。人生の目的は、今も進行中の神の創造の業に参加し、これを完成して創造主に栄光を帰すことである。しかし、エバが禁断の知恵の実を食べて楽園から追放されたように、人間の本性には悪の衝動が含まれている。ユダヤ教は、悪の衝動を抑えて神の創造の業に参加することは、各人が自由意志に基づいて決定しなければならないと教える。

 次回に続く。

ユダヤ9~実在観・世界観・人間観

2017-02-06 10:06:39 | ユダヤ的価値観
実在観~実在は唯一の神

 ユダヤ教の実在観は、唯一の神を実在とするものである。この神ヤーウェは、人格的、一元的で人間に親近的である。神ヤーウェは、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(『出エジプト記』3章14節)と述べる。ここで「ある」とは、真の実在であることを示唆する。「ある」という神の規定は、神を有(存在)とし、有(存在)を神とする西洋思想の元になっている。
 ユダヤ教は、一元的なものが多様に現れているとし、一元的なもののみを実在とする。それがセム系一神教の基本的な論理となっている。

●世界観~神による天地創造

 ユダヤ教の世界観は、実在としての神によって、世界が創造されたという考え方に立つ。神すなわち創造主が初めに存在し、世界は神の意志で無から造られたとする。さらに動植物などの万物も神の働きで造られたとする。世界や万物の起源に関するこのような考え方を創造論という。ユダヤ教の創造論は、キリスト教、イスラーム教にも受け継がれた。
 『創世記』1章1節から2章3節にかけて、天地創造が概略次のように描かれている。
 初めの日に、神は天と地を創造した。地は混沌とし、水面は闇に覆われ、聖霊がうごめいていた。神は光を生み出し、昼と夜とを分けた。2日目に神は、水を上と下とに分け、天を造った。3日目には大地と海とを分け、植物を創った。4日目には日と月と星が創られた。5日目には水に住む生き物と鳥が創られ、6日目には家畜を含む地の獣・這うものが創られ、海の魚、空の鳥、地の全ての獣・這うものを治めさせるために人間の男と女が創られた。7日目に神は休んだ。
 天地創造の時期については、紀元前3761年10月7日としている。

●人間観~神の似像

 ユダヤ教の人間観は、神によって、世界とともに人間もまた創造されたという考え方に立つ。
人間創造については、『創世記』1章26~30節に、概略次のように記されている。神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言った。自分にかたどって人を創造し、男と女を創造した。神は彼らを祝福して言った。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と。また言った。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう」と。
 『創世記』2章7~9節には、より詳しく次のように記されている。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。最初の人間アダムの次に女が造られたとし、同2章22~24節に次のように記されている。「人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。『ついに、これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう。まさに、男(イシュ)から取られたものだから』。こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
 ここでは女にはまだ名がない。後に、アダムはエバと名付けて妻とした。

●原罪と楽園追放

 ユダヤ教の人間観において特徴的なのは、原罪と楽園追放の思想である。
 神によって創造されたアダムと女は、罪を犯し、楽園から追放されたとする。『創世記』3章1~6章に概略次のように記されている。
 「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。『園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか』。女は蛇に答えた。『わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです』。蛇は女に言った。『決して死ぬことはない』。女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」
 アダムと女の行為は、神の知るところとなる。続いて、3章8~24節に概略次のように記されている。「その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか』。アダムは答えた。『あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました』。主なる神は女に向かって言われた。『何ということをしたのか』。女は答えた。『蛇がだましたので、食べてしまいました』。
 神はアダムに言われた。『お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く』。神は女に向かって言われた。『お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め、彼はお前を支配する』。神はアダムに向かって言われた。『お前は女の声に従い、取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ』。
 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。神はこうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。」
 『創世記』4章では、アダムとエバの間には、カイン、アベル、セトが生まれたことが記され、続いて子孫の物語が綴られていく。
 上記のように、ユダヤ教では、人間は神ヤーウェが神に似せて創造したものであるとする。神は土くれから、最初の人間アダムを創造した。次にアダムの肋骨からエバを造った。神の似像として造られた人間は、他の生物とは異なる存在であり、地上のすべての種を支配すべきものとされる。
 神は、自らの意志によって天地万物や人間を創造する自由を持つ。人間が神に似るということは、人間にも意志の自由が与えられているということを意味する。自由は、人間における神に似た要素として最も価値あるものであるとともに、また神への背反の原因ともなりうるものである。
年老いた蛇に唆されたエバは、禁断の知恵の実を食べた。そのために、人間は神に罰せられ、エデンの楽園から追放された。それゆえ、人間は原罪を負っている。原罪によって、人間は互いに敵意を抱き、男には食べ物を得るための労働、女には産みの苦しみが課せられたとする。
 こうしたユダヤ教の人間観には、自由の肯定と知恵の発達による禍、人間の尊厳と原罪という相反する要素の認識が見られる。そこには、人間に対する深い洞察が見られる。
 もう一つ、原罪の結果と考えられているのが、人間の死である。神の命令に逆らった罪に対する罰として、人間は死すべきものとなった。原罪によって、人間はみな死に、土に還る定めを負ったと理解する。このことは、人類が知恵を持つことによって、死を意識するようになり、また死を意識することによって、生きることの意味を問うようになったことを象徴的に表しているものだろう。ただし、ユダヤ教は、死を以って終わりとせず、この世の終りに、すべての死者はよみがえり、生前の行為に応じて最後の審判を受けるとしている。この点については、後に最後の審判、死生観の項目で述べる。
 ユダヤ教では、先に書いたように人間は神によって神の似像として創造され、神から自然を支配し、これを利用することを使命として与えられていると考える。同時に、この項目に書いたように、人間は自らの過ちにより原罪を負っており、そのために争い、労働と産みの苦しみ、そして死を免れないと考える。これがユダヤ教の人間観の主要な内容である。また、この人間観がユダヤ的価値観の根底にあるものとなっている。

 次回に続く。

■追記

 本項を含む拙稿「ユダヤ的価値観の超克」の全文は、下記に掲載しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-4.htm

トランプがエルサレムに大使館を移すのは危険~佐藤優氏

2017-02-05 09:24:23 | 国際関係
 ドナルド・トランプ米大統領が行うであろう政策の中東への影響については、拙稿「トランプ時代の始まり~暴走か変革か」に書いた。トランプはイスラエル支持を強く打ち出し、ネタニヤフ首相と親密な関係を持っている。また長女イヴァンカの夫でユダヤ人のジャレッド・クシュナーを無給の大統領上級顧問に任命するなど、ユダヤ人社会とのつながりの強さが目立っている。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-3.htm
 こうしたなか、トランプが、大統領就任前、エルサレムに米大使館を移す、と発言してきたことが注目されてきた。
 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の聖地となっている。同市旧市街のわずか1キロ四方ほどの場所に、これらの宗教の聖地が集中している。エルサレムは、1947年国連で国連永久信託統治区と決議されたが、第1次中東戦争の結果、イスラエルとトランス・ヨルダンの休戦協定で東西に分割された。さらに第3次中東戦争でイスラエルがヨルダン川西側を占領した際、全市を押さえた。イスラエルは、エルサレムを「統一された首都」と宣言した。国連決議を完全に無視した行動である。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をティルアビブに置いている。
 トランプ政権がこうした複雑な歴史と微妙な国際関係を無視して、エルサレムに米大使館を移すならば、中東情勢は一気に深刻になり、さらに世界的に重大な影響をもたらすことは、火を見るよりも明らかである。
 この件について元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は、強い懸念を表明している。佐藤氏は、産経新聞平成29年1月15日号の「佐藤優の世界裏舞台」に次のように書いた。
 「仮に米国が大使館をエルサレムに移転すれば、東エルサレムがイスラエル領であると承認する効果を持つ。これに反発してパレスチナの過激派がイスラエルに対して武装攻撃を行うことは必至だ。また、国内にパレスチナ人を多く抱えるヨルダンの政情が不安定になる。ヨルダンの王制が崩壊して、その空白を「イスラム国」(IS)のような過激派が埋める危険がある。さらに、アラブ諸国の対米関係、対イスラエル関係が急速に悪化する。米国大使館のエルサレムへの移転をきっかけに第5次中東戦争が勃発するかもしれない。そうなると中東からの石油、天然ガスの輸入に支障が生じ、日本経済に深刻な影響を与える。米国内では、2001年9月11日の中枢同時テロ事件をはるかに上回る規模のテロ事件が起きるであろう。また、NATO(北大西洋条約機構)加盟国や日本などの米国の同盟国もテロ攻撃の対象となる」と。
 同感である。さらに付け加えるならば、イスラーム教過激派はトランプの暗殺を企てるだろう。トランプ暗殺については、米大統領選挙戦の初期から彼の当選を一貫して予想し、的中させた国際政治学者の藤井厳喜氏が、起こり得る事態として警告している。
 佐藤氏は、ヨルダンのモマニ・メディア担当相が1月5日、AP通信の取材に対して「越えてはいけない一線だ。イスラム教の国やアラブ諸国の路上を炎上させるだろう」と述べ、中東の一層の不安定化につながるとして警告した、と伝えている。ヨルダンは、ハーシム家の王制国家だが、人口の7割近くを王家と関係のないパレスチナ人が占めている。さらに、この人口約630万人の小国に、近年イラクから約40万人、シリアから約70万人、合わせて100万人を超える難民が流入している。政権は民主化を求めるパレスチナ人の宥和を図りながら、統治の安定を目指している。それに失敗すれば、王制が揺らぐ可能性がある。
 いわゆる「イスラーム国(ISIL)」は内政不安定な国を狙って戦略的にテロを行っている。ヨルダンは、そのような国の一つあり、テロの標的にされかねない。もしISILの攻撃で穏健親米国のヨルダンが崩れれば、ISILは、次にヨルダンの西側に位置し、長い国境で接するイスラエルに攻撃を仕掛けるおそれがある。。
 佐藤氏が、米国大使館のエルサレムへの移転をきっかけにアラブ諸国の対米関係、対イスラエル関係が急速に悪化し第5次中東戦争が勃発するかもしれないと述べていることに関しては、アラブ諸国だけでなく、イスラエルの最大のライバルであるイランを含めて、というべきところだろう。
 中東問題の専門家・山内昌之氏は、中東複合危機から第3次世界大戦に発展するおそれがあると観測している。山内氏は「中東で進行する第2次冷戦とポストモダン型戦争が複雑に絡む事象」を「中東複合危機」と定義する。
 山内氏は「シリア内戦に関与している国々を中心に、世界的規模で第2次冷戦が進行している」と見る。第2次冷戦とは、米ソ冷戦の終結後、2010年代に入って、再び米国と中国、米欧とロシア等の間で、かつての冷戦を想起させるような対立・抗争が生じている状況を言う。
 またポストモダン型戦争とは、近代西洋文明が生み出した世界において、戦争とは国家と国家の間で行われる戦争とは異なるタイプの戦争である。ISIL等によるテロ組織によるものがその典型である。
 山内氏は、「第2次冷戦が中東の各地域で熱戦化し、ポストモダン型戦争と結合して第3次世界大戦への道を導く可能性を排除できない」と警告している。
 拙稿「イスラームの宗教と文明~その過去・現在・将来」第2部第3章に詳しく書いた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-2.htm
 もしトランプがエルサレムに米大使館を移すならば、まさに暴走である。暴走を許したならば、第5次中東戦争の勃発のみならず、中東複合危機の世界化による第3次世界大戦へと発展するおそれがある。
 以下は、佐藤氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成29年1月15日

http://www.sankei.com/premium/news/170115/prm1701150032-n1.html

2017.1.15 11:30更新
【佐藤優の世界裏舞台】

「エルサレムに米大使館」の重大性、トランプ氏は分かっているのか 第5次中東戦争 日本経済に深刻な影響も

 米国のトランプ次期大統領の外交政策には不透明な部分が多い。年初に私は米国の共和党の内部事情に詳しい人と会った。その人はワシントンを訪れ、共和党関係者と意見交換をしてきた直後だった。
 私は「トランプは、選挙期間中に在イスラエルの米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると言っていたが、大統領になってからまさかそんなことはしないでしょうね」と尋ねた。その人は、「共和党関係者もやりかねないと言っていた。たいへんなことになる」と言って頭を抱えていた。
 現在、アラブ諸国のうちでイスラエルともっとも友好的な関係にあるのはヨルダンだ。ヨルダンの空の防衛に関してはイスラエルが全面的に協力している。また、ヨルダンは中東で米国と良好な関係を維持している。
 そのヨルダンですら5日に公の場で懸念を表明した。
 〈アメリカのトランプ次期大統領は大統領選挙で現在テルアビブにある大使館をエルサレムに移すと公言し、選挙後もトランプ氏の側近が「大使館の移転は最優先で行う」と述べるなどイスラエル寄りの姿勢を鮮明にしています。/これについて、イスラエルの隣国でアラブ諸国の中でもアメリカの重要な同盟国であるヨルダンのモマニ・メディア担当相は5日、AP通信の取材に対して「越えてはいけない一線だ。イスラム教の国やアラブ諸国の路上を炎上させるだろう」と述べ、中東の一層の不安定化につながるとして警告しました。/エルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地があり、この地をめぐる対立はたびたび、多くの犠牲者を伴う衝突につながってきた経緯があるだけに、大統領就任後のトランプ氏の行動に注目が集まっています。〉(1月6日「NHK NEWS WEB」)
 イスラエルは、エルサレムを首都と規定している。しかし、エルサレムの東半分は、イスラエルが1967年の「六日戦争」(第3次中東戦争)で占領した後、併合した領域だ。そのため、エルサレムに現在、大使館を置いている国は一つもない。
 仮に米国が大使館をエルサレムに移転すれば、東エルサレムがイスラエル領であると承認する効果を持つ。これに反発してパレスチナの過激派がイスラエルに対して武装攻撃を行うことは必至だ。
 また、国内にパレスチナ人を多く抱えるヨルダンの政情が不安定になる。ヨルダンの王制が崩壊して、その空白を「イスラム国」(IS)のような過激派が埋める危険がある。さらに、アラブ諸国の対米関係、対イスラエル関係が急速に悪化する。米国大使館のエルサレムへの移転をきっかけに第5次中東戦争が勃発するかもしれない。
 そうなると中東からの石油、天然ガスの輸入に支障が生じ、日本経済に深刻な影響を与える。
 米国内では、2001年9月11日の中枢同時テロ事件をはるかに上回る規模のテロ事件が起きるであろう。また、NATO(北大西洋条約機構)加盟国や日本などの米国の同盟国もテロ攻撃の対象となる。中東専門家でなくても外交に関する初歩的知識のある人ならば、米国大使館のエルサレム移転がどれだけ大きな否定的影響を及ぼすかがわかるはずだ。しかし、トランプ氏に直言できる外交専門家が周囲にいないようだ。米国の国務省、国防総省、CIA(中央情報局)などの幹部は、中東問題の複雑さについてトランプ氏にきちんと説明すべきだ。
 筆者は、日本の対中東外交は、自由、民主主義、市場経済などの基本的価値観を日本や米国などと共有するイスラエルの生存権を承認することが基本だと考えている。また、インテリジェンス面でもイスラエルとの関係強化をもっと進めるべきだと考える。
 しかし、テルアビブにある日本大使館をエルサレムに移転することは絶対に反対だ。トランプ氏のイスラエルに対する「贔屓(ひいき)の引き倒し」のような外交を展開すると、イスラエルの国益も毀損(きそん)するような状況が生じかねないと懸念している。
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ユダヤ8~教義の形成と内容

2017-02-03 09:28:23 | ユダヤ的価値観
(2)教義

●教義の形成

 宗教は、それぞれ独自の教義を持つ。教義は、主に言語によって説術されるが、象徴によって暗示されたり、儀式によって表現される場合もある。
 古代から続く宗教には、神話の人間観・世界観に基づき、独自の教義を発達させたものが多い。ユダヤ教はその一つである。
 神話は、神々や先祖、英雄、動物などの活躍を描く物語である。共同体の祭儀において語られ、また演じられた。象徴的な表現が多く、体系的・論理的に整ってはいないが、人間や世界に関する認識を示すものであり、神話を通じて、人々は世界を理解し、人生の意味を学んだ。
 神話は、先祖から伝承された物語であり、先祖の体験や自覚の反復的な再現である。だが、集団は、新たな環境、初めての事態に直面する。共同体の指導者は、その現実の諸課題に対処するため、神話に基づきつつ独自の思想や体験を語って、集団を導く。その指導者が示したものは、やがて共同体の構成員が従うべき規範となる。
 特定の創唱者を持つ創唱宗教では、その創唱者の説いた思想が教説となり、教説がもとになって教義が形成される。教説は、創唱者がその場その場で説いた言葉やその時その時に行った行為の記憶や記録を主とする。そのため、十分に体系化されていないことが多い。そうした創唱者の教説を継承者や弟子が体系化・組織化したものが、教義となる。
 特定の創唱者を持たない自然宗教では、幾世代もの間に様々な精神的指導者の説いたことが、部族や民族の知恵として蓄積されて教義が形成される。
 教義は、宗教的な共同体である民族や教団が存続し、発達していくにつれて、制度的に明確に規定されていき、信仰や生活の規範として確立される。
 ユダヤ教には、特定の創唱者はいない。民族の神話がそのまま教義の一部となっており、それに加えて先祖や預言者などの精神的指導者たちの言葉が教説となり、教義が形成・確立された。

●教義の内容

 宗教の教義は、人間観・世界観・実在観を含む。言い換えれば、人間とは何か、世界とは何か、究極的な実在とは何かという問いへの何らかの答えである。
 人間観とは、「人間とは何か」という問いへの説明である。神話には、人間はどこから来たのか、人間の存在のもとは何か、という問いに関する人類の起源神話がある。人類の起源神話は、多くの場合、人間の生と死の起源神話にもなっている。また、世界の起源神話の一部ともなっている。
 世界観とは、人間と人間を取り巻く世界の全体についての見方である。世界には、天地自然や動植物を含む環境などの空間的側面と、始源から現在、さらに終末までの時間的な側面がある。それゆえ、世界観は、宇宙論や空間論・時間論を含む。またこの世界だけでなく他界や来世に関する考え方も含む。
 宗教の人間観と世界観は、実在観と相関的に成立する。人間と世界の根拠は、究極的な実在に求められる。実在観は、「本当にあるもの」「本当であるもの」についての考え方である。それぞれの宗教は、なんらかの実在を人間と世界の究極的な根拠としている。実在をどのように捉えるかによって、「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」が分れる。神を立てる場合、人格的か非人格的か、一元的か二元的か多元的か、人間に親近的か疎遠的かに分かれる。神を立てない場合、実在は力、法、道、理などの抽象的な原理となる。原理を人格的に捉える場合は、その原理は神の観念に近づく。
 ユダヤ教においては、教義は聖書という啓典に表現されている。啓典の中に、人間観・世界観・実在観が示されており、主に『創世記』に描かれている。『創世記』はユダヤ民族の神話ないし神話に基づく物語であり、ユダヤ教の教義は神話に基づくものとなっている。聖書の続く諸書には、先祖や預言者などの精神的指導者たちによる教説が記されており、それらが教義の内容を構成している。

 次回に続く。

トランプ現象の根底にあるもの~佐伯啓思氏

2017-02-02 09:30:35 | 国際関係
 昨年12月初めのことだが、京都大学名誉教授・佐伯啓思氏は、「米国の「価値」の神話は崩れた 日本は価値の機軸を自問すべきだ」という記事を産経新聞の「正論」に書いた。
 佐伯氏は、トランプ現象の根底にあるものは、「アメリカがこの20~30年掲げてきた価値の欺瞞があらわになった」ということだと言う。
 佐伯氏は、もっとも基底にあるものは、「経済的なグローバリズムと民主的な国家体制の間の矛盾」だとする。氏によると「経済的グローバリズムは、過剰なまでに自由な資本移動や技術移転、利益をめぐる激しい競争によって、国家間においても、地域間においても、また、国内においても格差を生み出した。成長にのれない不満層は、民主政治を通して政府に不満をぶつける。その結果、既存の政治は批判され、政治は不安定化する。この場合、不満層の矛先はグローバル化を推進するエリート層や、仕事が競合する移民へと向けられる」。経済的グローバリズムはアメリカ主導で作り出されたものだが、その「グローバリズムのもつ問題が、アメリカに深く内在する大衆的民主主義によって一気に顕在化した」と佐伯氏は述べる。
 佐伯氏は、もうひとつの背景は、「いわゆるアメリカ民主主義のもつ欺瞞性が身も蓋もなく露呈してしまった」ことだとする。氏によると、「アメリカの民主主義は、徹底した平等主義と人権主義によって支えられてきた。にもかかわらず、実際には、エリート白人層と人種的マイノリティーの間の社会的な境遇は大きく異なっていた。事実上の差別といってもよい。そのことに目をつむりつつ、他方では、逆に「ポリティカル・コレクトネス」が強く唱えられ、表現の自由などといいつつも、差別的発言などは政治的悪としてタブーになってきた。アメリカの民主主義がはらむ、この二重の欺瞞がほとんど限界まできていた」。そして、経済的に不遇を感じる大衆は「「ポリティカル・コレクトネス」の背後に隠されてきた移民やイスラム教徒への不信を一気に露わにした」と指摘する。
 佐伯氏は、このようにトランプ現象の根底にあるものを2点提示したうえで、「アメリカが掲げてきた諸価値の普遍性という神話は崩れ去った」と断定する。
 「アメリカを支えてきたものは、自由な資本主義と人権主義にもとづく民主主義であった。こうしたものをアメリカは普遍的価値とみなして、その世界化をはかってきた」。だが、そのアメリカ的普遍主義がうまくいかなくなっている。「自由な資本主義は、科学技術上のイノベーションと結合してグローバル資本主義を生み出した。人権主義や民主主義の普遍化は、アメリカの国益と結び付きつつ、中東への無謀な介入を生み出した。そして、前者は、中国の経済成長を助けはしたが、アメリカ国内の中間層の没落を招き、後者は、結果として「イスラム国」(IS)を生み出し、中東の混乱はいっこうに収まらない」。「自由な資本主義、科学技術の合理主義、人権主義と民主主義、そして、その普遍性というアメリカが高々と掲げた価値がどれもうまく機能しなくなっている」。そのため、トランプが出現し、「アメリカ・ファースト」を唱えて、アメリカの世界への関与を制限し、国内回帰へと向かおうとしている。だが、佐伯氏は「それで問題が解決するとは思えず、アメリカが再生するとも思えない」と述べている。
 佐伯氏は「アメリカが掲げてきた諸価値の普遍性という神話は崩れ去った」と断じ、日本は「日米の価値観の共有などというより前に、日本はまずは、自らの価値の基軸をどこに置くのか、それを改めて自問すべきなのではなかろうか」と述べている。
 私は、拙稿「人権――その起源と目標」第10章で、佐伯氏が自由主義を根底的に批判していることについて論じた。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm
 佐伯氏は、20世紀末以降の世界はグローバリズムの拡大によって、各国の経済・社会が不安定になっているとし、「金融の経済」であるグローバル・エコノミーに対して、「労働・生産の経済」であるナショナル・エコノミーの強化が必要であると説く。グローバリズムの進行で人間が大地から切り離され、また家庭・地域・民族・国家が解体されていくのに抗するために、「善い生き方」とは何かを再考し、各国の伝統・文化を重視することを呼びかける。
 佐伯氏は、現在のわが国はデフレ脱却や大規模自然災害への備えを課題とするゆえに、特にナショナル・エコノミーの強化が必要だと強調する。そして、この点から、「日本的価値」の回復を訴えている。「日本的価値」の中核には、「日本的精神」があると説く。
 先のトランプ現象に関する論考で佐伯氏は、「日本はまずは、自らの価値の基軸をどこに置くのか、それを改めて自問すべきなのではなかろうか」と書いているが、その「価値の基軸」は、ここに引いた「日本的価値」であり、その中核には「日本的精神」があるというのが、佐伯氏の主張だと理解される。
 グローバリズムの克服は世界的な課題である。その克服のための道の一つは、それぞれの社会における伝統的な価値の回復である。欧米で起こってるナショナリズムの復権は、伝統的な価値を回復しようとする運動である。だが、伝統的な価値の回復は、超越的な義の信奉を硬直化し、非妥協的なものともなり得る。この点において、わが国に伝わる日本精神は、「和の精神」であり、共存共栄の理法であるから、ナショナルな価値の回復が国際的な正義の構築に貢献できるものとなるだろう。私は、日本精神には、世界的な経済格差の是正、文化的な多様性の尊重、自然環境との調和による共存共栄の世界を実現する原理が潜在していると考えている。
 以下は、佐伯氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成28年12月6日

http://www.sankei.com/column/news/161206/clm1612060008-n1.html
2016.12.6 14:00更新
【正論】
米国の「価値」の神話は崩れた 日本は価値の機軸を自問すべきだ 京都大学名誉教授・佐伯啓思

 「トランプ・ショック」から約1カ月がたった。いまだに米国内では反トランプ運動がみられるが、株式市場は予想外の高騰となり(投資家は彼の経済政策に期待する、いわば「隠れトランプ」だったということである)、しばらくは様子見といった状態である。
 トランプ現象の解読や今後の展望は多数発表されているが、ここでは、この現象のもっとも根底にあるものを取り出してみたい。すなわち、アメリカがこの20~30年掲げてきた価値の欺瞞(ぎまん)があらわになったということである。

≪グローバリズムの問題が顕在化≫
 まず、この現象のもっとも基底にあるものは、経済的なグローバリズムと民主的な国家体制の間の矛盾である。経済的グローバリズムは、過剰なまでに自由な資本移動や技術移転、利益をめぐる激しい競争によって、国家間においても、地域間においても、また、国内においても格差を生み出した。
 成長にのれない不満層は、民主政治を通して政府に不満をぶつける。その結果、既存の政治は批判され、政治は不安定化する。
 この場合、不満層の矛先はグローバル化を推進するエリート層や、仕事が競合する移民へと向けられる。そこでこの不満をすくい上げた政治家は大衆(不満層)の歓呼をもって迎えられるだろう。英国の欧州連合(EU)離脱でも同じ構図が見られ、フランスにおける近年の国民戦線とルペン氏への支持も同じ事情が背後にある。
 そして、経済的グローバリズムはまさにアメリカ主導で作り出されたものであった。皮肉なことに、グローバリズムのもつ問題が、アメリカに深く内在する大衆的民主主義によって一気に顕在化したのである。

≪「本音」に火をつけたトランプ氏≫
 もうひとつの背景は、いわゆるアメリカ民主主義のもつ欺瞞性が身も蓋もなく露呈してしまった、ということである。アメリカの民主主義は、徹底した平等主義と人権主義によって支えられてきた。
 にもかかわらず、実際には、エリート白人層と人種的マイノリティーの間の社会的な境遇は大きく異なっていた。事実上の差別といってもよい。そのことに目をつむりつつ、他方では、逆に「ポリティカル・コレクトネス」が強く唱えられ、表現の自由などといいつつも、差別的発言などは政治的悪としてタブーになってきた。アメリカの民主主義がはらむ、この二重の欺瞞がほとんど限界まできていた、ということである。
 トランプ氏は他にあまり類をみない野蛮さをもって、アメリカ人のもっているある種の「本音」に火をつけたのである。経済がうまくいっておればよいが、ひとたび経済的に不遇を感じる大衆が出現すると、彼らは「ポリティカル・コレクトネス」の背後に隠されてきた移民やイスラム教徒への不信を一気に露(あら)わにしたわけである。そもそも「隠れトランプ」ということ自体が奇妙なことである。
 アメリカを支えてきたものは、自由な資本主義と人権主義にもとづく民主主義であった。こうしたものをアメリカは普遍的価値とみなして、その世界化をはかってきた。これらの普遍的価値の世界化が同時にアメリカの国益だとされたのである。そして、しばしば、トランプ氏の登場は、このアメリカ的普遍主義に対して大きな打撃を与えかねないといわれる。
 しかしそうではなく、そもそもアメリカ的普遍主義がうまくいかないがゆえに、トランプ氏が登場したのである。自由な資本主義は、科学技術上のイノベーションと結合してグローバル資本主義を生み出した。人権主義や民主主義の普遍化は、アメリカの国益と結び付きつつ、中東への無謀な介入を生み出した。そして、前者は、中国の経済成長を助けはしたが、アメリカ国内の中間層の没落を招き、後者は、結果として「イスラム国」(IS)を生み出し、中東の混乱はいっこうに収まらない。

≪日本は基軸をどこに置くか≫
 これが現実なのである。自由な資本主義、科学技術の合理主義、人権主義と民主主義、そして、その普遍性というアメリカが高々と掲げた価値がどれもうまく機能しなくなっているのである。
したがって、トランプ氏が「アメリカ・ファースト」を唱えて、アメリカの世界への関与を制限し、国内回帰へと向かうのはわからなくはない。しかし、それで問題が解決するとは思えず、アメリカが再生するとも思えないのだ。
 トランプ氏は、大規模な公共投資や減税、金融市場の規制緩和などで経済を成長させる、というが、それはまったく未知数である。世界から撤退するかのようにいいながら、ISの殲滅(せんめつ)や軍事力の増強を主張し、強いアメリカの構築という。現状では、彼の信条がどこにあるのかは不明である。
 確かなことは、アメリカが掲げてきた諸価値の普遍性という神話は崩れ去ったということだ。ということは、日米の価値観の共有などというより前に、日本はまずは、自らの価値の基軸をどこに置くのか、それを改めて自問すべきなのではなかろうか。(京都大学名誉教授・佐伯啓思 さえきけいし)
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関連掲示
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http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion04.htm