ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ15~ユダヤ人の定義・系統

2017-02-21 09:43:46 | ユダヤ的価値観
 前回でユダヤ教に関する記述を終えた。今回からユダヤ人について書く。

(1)ユダヤ人

●定義
 
 ユダヤ人の定義はユダヤ教徒の定義と一部重複するが、あらためて書くと、ユダヤ人は身体的特徴を有する人種ではない。またユダヤ人には宗教的定義と民族的定義がある。前者は狭義、後者は広義の規定となる。
 狭義のユダヤ人は、宗教的定義によるものであり、ユダヤ教徒のことである。これに対し、広義のユダヤ人は、民族的定義によるものであり、ユダヤ民族のことである。キリスト教等の他宗教に改宗した者や、ユダヤ教を棄教し宗教を否定する無神論者・唯物論者等も含む。前者はイスラエルの法律の規定に基づくものであり、後者は、社会科学的なとらえ方である。歴史的・文化的な記述の場合は、主に後者による。

●人口

 ユダヤ人の人口は、2010年現在の数字によると、全世界に約1358万人である。うちイスラエルに570.4万人、アメリカ合衆国に527.5万いる。これら2国のユダヤ人を合わせると、世界のユダヤ人の約81%を占める。第3位はフランスの48.4万人、第4位はカナダの37.5万人、第5位はイギリスの29.2万人、第6位はロシアで20.5万人とされる。
 ユダヤ人は、人類の人口のわずか0.20%を占めるに過ぎない。だが、世界の歴史を通じても、また現代の世界においても、際立った存在感を示している。このような比較的少数の民族が、これほど人類の文明や運命に大きな影響を与えている例は、他にない。

●ユダヤ人の系統
 
 ユダヤ人には、三つの系統がある。
 イベリア半島系のセファルディム、中東・北アフリカ系のミズラヒム、中欧・東欧系のアシュケナジムである。
 セファルディムは、セファルディともいう。紀元前1世紀にスペインに移り住んだ者たちである。ヘブライ語でスペインを意味するセファルドに由来する。15世紀末にイベリア半島を追放され、オランダ等の北海低地帯、北アフリカ、パレスチナを含むイスラーム文明のオスマン帝国領に移住した。特にオスマン帝国領への流入が多かった。さらに東に向かった者たちは、バグダード、シンガポール、香港、上海へ向かった。セファルディムは、商人、医者、哲学者、王やキリスト教司祭のアドバイザー等として活躍した。スペイン語を基本にしたラディノ語を創って共通語としている。
 ミズラヒムは、ミズラヒともいう。ヘブライ語で東を意味する。セファルディムがさらに中東・北アフリカに拡散したもので、アラブ諸国、イラン、トルコ等のイスラーム教圏に居住した。東洋系ユダヤ人、オリエント系ユダヤ人とも言われる。主に移住地の言語を使用した。イスラエル建国後、居住国で迫害を受け、多数がイスラエルに亡命した。ミズラヒムをセファルディムに含むこともある。
 アシュケナジムは、アシュケナジともいう。ヘブライ語でドイツを意味する。9~10世紀に大挙して西欧・中欧へ移住した。14世紀以降、東欧へ居住地を拡大し、ロシアにも移住した。19世紀半ば以降は北米に進出した。律法(トーラー)とタルムードを中心とした生活を送る。行商人、農奴、下層労働者が多い。言語はドイツ語を基本としたイディッシュ語を創り出した。シオニズムを推進し、イスラエルの建国では中心勢力となった。
 これら三つの系統の人口比では、アシュケナジムが多数を占め、ついでミズラヒム、セファルディムの順となる。第2次世界大戦前はアシュケナジムがユダヤ人の人口全体の約9割を占めたが、ナチスによるいわゆるホロコーストでアシュケナジムが多数殺害されたため、比率が変わったとされる。ただし、イスラエルでは、セファルディムとミズラヒムを合わせた人口とアシュケナジムの数は拮抗しているといわれる。
 パレスチナにはセファルディムが先住していたが、イスラエルの建国後に移住したアシュケナジムが指導的役割を担っている。アシュケナジムは一般に教育・文化の水準が高く、政治支配者や各界のエリートが多い。セファルディムはミズラヒムとともに社会の下層にある。
 アシュケナジムはアメリカでも活躍しており、ウォール街を牛耳っているのも、主にその末裔である。

●アシュケナジムのハザール起源説
 
 アシュケナジムは、ユダヤ教に集団改宗したハザール人の末裔だとする説がある。代表的なのは、ユダヤ人ジャーナリストのアーサー・ケストラーが著書『第13支族』に書いたものである。
 ハザール人は、7~10世紀にカスピ海の北部からコーカサス地方、黒海沿いに栄えた遊牧民族である。9世紀に支配者層がユダヤ教に改宗し、一部の一般住民もそれに続いた。改宗は、周囲の二大勢力、イスラーム教のアッバース朝とキリスト教東方正教会の東ローマ帝国の双方に等距離の関係を図るための選択だったと考えられる。
 アシュケナジムがハザール系ユダヤ教徒の子孫だとする説を推し進めると、彼らはパレスチナ出身のユダヤ人の子孫ではなく、パレスチナに移住する権利を持っていないということになる。
 だが、ハザール起源説には大きな疑問がある。中世のラビ文学にハザール人に関する記述が全くない。また、ハザール人の言語はトルコ語が属するテュルク諸語の系統と考えられるが、アシュケナジムのイディッシュ語にはテュルク諸語との類縁関係が全くないとされる。今日では、歴史遺伝学の発達によって、ハザール起源説は完全に否定されている。父系祖先をたどるY染色体と母系祖先をたどるミトコンドリアDNAに含まれる特定遺伝子の変異を調べて、約1000人のアシュケナジムの系譜をたどった調査では、全員が14世紀ドイツのラインラント地方と東欧に居住していた1500家族にたどり着いた。また、中東から各地に離散したユダヤ人は、ヨーロッパでも北アフリカでも中東でも遺伝子レベルでは大きな違いがないことがわかっている。それぞれの地域で周囲の非ユダヤ人集団から相対的に隔離されてきた証であるとともに、アシュケナジムがセファルディム、ミズラヒムと同じ先祖を持つことの裏付けとなっている。

 次回に続く。