ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ7~聖地・宗派・選民思想

2017-02-01 08:43:40 | ユダヤ的価値観
●聖地

 ユダヤ教は、エルサレムを聖地とする。紀元前10世紀にソロモン王は、エルサレムのシオンの丘に神殿を建立した。その神殿は、約1000年後の紀元70年にローマ帝国によって破壊された。国を失い、離散民となったユダヤ人にとって、エルサレムは帰るべき場所となった。その後、エルサレムは、キリスト教、イスラーム教の聖地ないし重要な場所ともなった。
 第2次世界大戦後、国際連合(連合国)でエルサレムを国連永久信託統治区とする決議がされた。だが、イスラエルはこの決議を無視して、エルサレムを含む地域を軍事占領し、エルサレムを首都としている。そのため、世界の多くの国は、エルサレムを首都と認めず、大公使館をティルアビブに置いている。

●宗派
  
 ユダヤ教には4つの宗派がある。戒律の厳しい順に、超正統派、正統派、保守派、改革派である。各派はそれぞれ独自の教義解釈を行い、儀式・習俗も異なっている。
 中心的な集団は、正統派である。正統派は、伝統的戒律を文字どおり熱心に順守する信徒たちである。
 正統派よりもさらに熱心な信徒がおり、超正統派と呼ばれる。超正統派は、近代化の波に頑なに背を向け、世俗社会と交流を遮断し、ユダヤ教信仰の再活性化を進める運動を行っている。男は教典研究に没頭し、女が家事・育児・仕事をする。そのため、所得は、ずば抜けて低い。
 改革派は、西欧の世俗社会との共生のために生み出された。倫理的戒律と生活的戒律を区別し、後者は精神的解釈にとどめる。時代遅れの戒律を廃止し、礼拝はその土地の言葉で行う。礼拝時のキッパ(頭に載せるもの)やタリート(肩掛け)を廃止している。
 保守派は、正統派と改革派の中間的立場にあって、戒律の歴史的発展を主張する。
 イスラエルでは、正統派と超正統派が、絶大な権力を振るっている。会堂の98%は、正統派・超正統派である。アメリカでは、改革派と保守派がそれぞれユダヤ人の3割を占め、最も裕福なビジネス・エリートが属する。

●ユダヤ教が広まらなかったわけ
 
 ユダヤ教を母体とするキリスト教とイスラーム教は、世界宗教となった。それらの信徒は、合わせて世界の宗教人口の約54%を占める。一方、それらの元になったユダヤ教の信徒数は、世界の宗教人口の約0.2%である。だが、ユダヤ教は、信徒が世界各地に離散したが、ユダヤ人以外の信徒を多く獲得していない。キリスト教とイスラーム教のように、各地で他宗教の信徒を改宗させて、世界宗教に発展し得ていない。その最大の理由は、ユダヤ教は排他的な選民思想を持つことである。それゆえに、ユダヤ民族以外にはほとんど広まっていない、と私は考える。
 わが国の優れたユダヤ教・ユダヤ人の研究者である佐藤唯行は、著書『日本人が知らないユダヤの秘密』で、ユダヤ教が広まらなかった理由として、次の3点を挙げている。
 (1)異教徒に向かって積極的に布教し、信徒を獲得する伝道宗教ではない。(2)西洋キリスト教社会ではユダヤ教徒であることは圧倒的に不利ゆえ、他の宗教からユダヤ教に入信する者は極めて少なかった。(3)教典学習中心の宗教に変容したので、知力に恵まれない学習不適格者には向かない宗教だった。
 私は、先に書いた最大の理由を前提として、これら3点に同意する。私見を以て補足すると、(1)はキリスト教やイスラーム教との違いである。(2)はユダヤ教への改宗は差別と迫害にさらされることを意味した。(3)はユダヤ人の中で学習能力の低い者は、ユダヤ教から離脱していった。
 私は、これらにもう一点加えたい。ユダヤ教への改宗は、厳しい律法と多数の戒律を守る生活への切り替えゆえ、容易な過程ではないことである。これもまたユダヤ教が広まらない理由の一つと考える。

●選民思想とユダヤ的価値観

 ユダヤ教の特徴である選民思想は、非選民の存在を必要とする。非選民を救済することは、目的としない。選民が救済されるには、非選民が救済されないことを要件とする。そのため、人類の間の対立・闘争がユダヤ教の存立に不可欠の条件となっている。キリスト教とイスラーム教は、ユダヤ教と同じように唯一の神を仰ぎながら、選民思想を否定した。それによって、世界宗教となった。ユダヤ教は、民族宗教にとどまった。これは、ユダヤ教の本質による。
 ユダヤ教は、その教義に基づくユダヤ的価値観を生み出した。それが世界に広まり、人類に広く深く浸透している。ユダヤ教は選民と非選民を分けるから、ユダヤ的価値観は人類を二分し、その間に対立・闘争があることを前提とする。ユダヤ的価値観を持つ者は、ユダヤ人に限らない。非ユダヤ人であって、ユダヤ的価値観を持つ者が近現代の世界史を通じて、増加してきている。そして、ユダヤ的価値観を持つ集団の中核には、選民思想を持つユダヤ教が存在する。人類がユダヤ的価値観を超克するとともに、ユダヤ教が排他的・闘争的な選民思想から脱却することができなければ、人類の対立・闘争は続き、地球に共存共栄・物心調和の新文明を実現することは困難である、と私は考える。ユダヤ教の改革はユダヤ教徒の課題であるが、ユダヤ的価値観の超克は人類の課題である。本稿は、このような課題認識のもとに書いているものである。

 次回に続く。