ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ8~教義の形成と内容

2017-02-03 09:28:23 | ユダヤ的価値観
(2)教義

●教義の形成

 宗教は、それぞれ独自の教義を持つ。教義は、主に言語によって説術されるが、象徴によって暗示されたり、儀式によって表現される場合もある。
 古代から続く宗教には、神話の人間観・世界観に基づき、独自の教義を発達させたものが多い。ユダヤ教はその一つである。
 神話は、神々や先祖、英雄、動物などの活躍を描く物語である。共同体の祭儀において語られ、また演じられた。象徴的な表現が多く、体系的・論理的に整ってはいないが、人間や世界に関する認識を示すものであり、神話を通じて、人々は世界を理解し、人生の意味を学んだ。
 神話は、先祖から伝承された物語であり、先祖の体験や自覚の反復的な再現である。だが、集団は、新たな環境、初めての事態に直面する。共同体の指導者は、その現実の諸課題に対処するため、神話に基づきつつ独自の思想や体験を語って、集団を導く。その指導者が示したものは、やがて共同体の構成員が従うべき規範となる。
 特定の創唱者を持つ創唱宗教では、その創唱者の説いた思想が教説となり、教説がもとになって教義が形成される。教説は、創唱者がその場その場で説いた言葉やその時その時に行った行為の記憶や記録を主とする。そのため、十分に体系化されていないことが多い。そうした創唱者の教説を継承者や弟子が体系化・組織化したものが、教義となる。
 特定の創唱者を持たない自然宗教では、幾世代もの間に様々な精神的指導者の説いたことが、部族や民族の知恵として蓄積されて教義が形成される。
 教義は、宗教的な共同体である民族や教団が存続し、発達していくにつれて、制度的に明確に規定されていき、信仰や生活の規範として確立される。
 ユダヤ教には、特定の創唱者はいない。民族の神話がそのまま教義の一部となっており、それに加えて先祖や預言者などの精神的指導者たちの言葉が教説となり、教義が形成・確立された。

●教義の内容

 宗教の教義は、人間観・世界観・実在観を含む。言い換えれば、人間とは何か、世界とは何か、究極的な実在とは何かという問いへの何らかの答えである。
 人間観とは、「人間とは何か」という問いへの説明である。神話には、人間はどこから来たのか、人間の存在のもとは何か、という問いに関する人類の起源神話がある。人類の起源神話は、多くの場合、人間の生と死の起源神話にもなっている。また、世界の起源神話の一部ともなっている。
 世界観とは、人間と人間を取り巻く世界の全体についての見方である。世界には、天地自然や動植物を含む環境などの空間的側面と、始源から現在、さらに終末までの時間的な側面がある。それゆえ、世界観は、宇宙論や空間論・時間論を含む。またこの世界だけでなく他界や来世に関する考え方も含む。
 宗教の人間観と世界観は、実在観と相関的に成立する。人間と世界の根拠は、究極的な実在に求められる。実在観は、「本当にあるもの」「本当であるもの」についての考え方である。それぞれの宗教は、なんらかの実在を人間と世界の究極的な根拠としている。実在をどのように捉えるかによって、「神を立てる宗教」と「神を立てない宗教」が分れる。神を立てる場合、人格的か非人格的か、一元的か二元的か多元的か、人間に親近的か疎遠的かに分かれる。神を立てない場合、実在は力、法、道、理などの抽象的な原理となる。原理を人格的に捉える場合は、その原理は神の観念に近づく。
 ユダヤ教においては、教義は聖書という啓典に表現されている。啓典の中に、人間観・世界観・実在観が示されており、主に『創世記』に描かれている。『創世記』はユダヤ民族の神話ないし神話に基づく物語であり、ユダヤ教の教義は神話に基づくものとなっている。聖書の続く諸書には、先祖や預言者などの精神的指導者たちによる教説が記されており、それらが教義の内容を構成している。

 次回に続く。