ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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キリスト教121~第1次世界大戦とその後の展開

2018-11-20 12:41:47 | 心と宗教
●第1次世界大戦とその後の展開

 アメリカは、広大な土地と資源と人口を持つ。ヨーロッパ諸国のように海外に植民地を求めなくとも、着実に発展することができた。
 ヨーロッパで第1次世界大戦が勃発した時、アメリカは中立の立場を取った。1917年4月、ドイツが中立国の商船をも警告なしに攻撃する無制限潜水艦作戦を宣言した。それをきっかけとしてアメリカがドイツに宣戦した。アメリカは強力な工業力と軍事力を発揮して、英仏をドイツに勝利せしめた。大戦後、戦いで疲弊した西欧諸国は、アメリカの経済力に頼らざるを得なくなった。これによって、近代世界システムの中核部で、覇権国家がイギリスからアメリカに移動した。世界的なキリスト教の歴史上、最大最強のキリスト教国家が誕生した。
 第1次世界大戦後の混乱を収拾するため、1919年1月から連合国によるパリ講和会議が開かれた。ウィルソン大統領は、国際連盟の設立、秘密外交の廃止、軍備縮小、民族自決等を唱える「14か条の平和原則」を提案した。しかし、英仏はドイツへの報復を主張し、平和原則は実現を阻まれた。採用されたのは、国際連盟の設立のみだった。その提案も、自国の議会の反対を受けたため、ウィルソンはアメリカの国際連盟加入を実現できなかった。ウィルソンは超国家・脱国家の思想を推進する勢力が擁立した政治家だった。
 だが、アメリカ国民の間では、伝統的なアイソレイショニズム(不干渉主義)が根強かった。議会はウィルソンの提案を退け、ヴェルサイユ条約の批准も、国際連盟の加盟も否決した。このため、国際連盟の構想は失敗した。アメリカを欠く国際組織は、基盤が脆弱だった。大戦後の平和は束の間のものとなり、1920年代に入ると、国際社会は不安定の度を増していった。
 さて、第1次世界大戦の前後に、アメリカのキリスト教徒とユダヤ人の関係において、重大なことが二つ起こった。一つは中央銀行制度の設立であり、もう一つは外交問題評議会のの創設である。
 1913年、アメリカで中央銀行制度が設立された。イギリスを始めヨーロッパでは、17~19世紀に各国に中央銀行が作られた。それらは、ロスチャイルド家の資金力によるものだった。アメリカでは、中央銀行の設立はアメリカがヨーロッパの資本家に従属することになるとして、建国以来、数度にわたって国家指導者が設立を阻止してきた。だが、遂にアメリカにも中央銀行制度が作られることになった。アメリカの中央銀行の名称は、連邦準備制度(FRS:Federal Reserve System)という。全国12箇所に存在する連邦準備銀行を統括する組織として、連邦準備制度理事会(FRB:Federal Reserve Board)を置く。
 アメリカ連邦準備銀行の設立当時、10大株主のうち7つまでが西欧の財閥や会社だった。またアメリカの新興財閥であるプロテスタント系のロックフェラー家を除くと、みなユダヤ系だった。いわばユダヤ系の巨大国際金融資本に、アメリカ政府が事実上金融面から乗っ取られた状態となったのである。また、アメリカに中央銀行制度が出来上がったことは、イギリスで17世紀後半から構築されてきたアングロ・サクソン=ユダヤ連合がアメリカで支配構造を確立したことを意味する。
 連邦準備制度は、設立当初から、その危険性を多くの政治家が何度も指摘した。1922年、セオドア・ルーズベルト元大統領は、ロックフェラー家と国際的銀行家を「陰の政府」と呼んだ。ニューヨーク市長ジョン・ハイランは、この元大統領の発言を受け、彼らが合衆国政府を事実上運営していると公言した。
 アメリカの連邦準備銀行は、民間団体でありながら通貨発行権を握っている。連銀は、その特権によって、連邦政府が印刷した紙幣を原価並みの値段で買い取る。それを政府は連銀から額面どおりの値段で借りる。その結果、利子の支払いが生じる。政府からほぼ原価で引き取った紙幣を、政府に額面どおりに売り、そのうえ利子を取るのだから、利益は莫大となる。
 連邦準備制度では、アメリカの連邦政府は、連銀から借りる紙幣の利子を支払うことになった。連邦準備制度が創設された際、巨額の利子の支払いのため、巨大国際金融資本は、政治家に働きかけ、国民の税金を支払いに当てることを同時に制度化しようとした。その目的で導入されたのが、個人の連邦所得税である。当時、連邦所得税は合衆国憲法に違反するという判決を最高裁が出していた。しかし、それにもかかわらず、連邦所得税が導入された。その徴税を担う役所が国税庁(IRS)であり、連銀と同じ1913年に設立された。以後、連邦所得税は、連銀への利子の支払いに当てられている。ユダヤ系金融資本家たちは、金融と税制の両面からアメリカを支配する体制を作った。アメリカのキリスト教徒資本家は、これに協力することで莫大な利益を得た。
 連邦準備制度の設立の後、1921年にアメリカで外交問題評議会(CFR:Council on Foreign Relations)が設立された。イギリスの円卓会議の指揮のもと、王立国際問題研究所(RIIA)のニューヨーク支部として造られたものである。CFRは、外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織である。設立後、CFRは、アメリカの政治、特に外交政策の決定に対し、著しい影響力を振るってきた。会員には、政界、財界、官界、学界、マスコミ、法曹界、教育界等、広範な分野のトップ・クラスの人材が集まっている。 CFRは超党派の組織であり、共和党・民主党の違いに関わらず、歴代大統領の多くがその会員であり、政府高官も多く輩出してきた。外交誌『フォーリン・アフェアーズ』を通じて、世界中の知識人にアメリカ的価値観や米英主導の世界政策を広めている。
 アメリカ合衆国は、伝統的にWASPが社会の主流を成してきた。上流階層の社交クラブでは、ユダヤ系アメリカ人の入会が認められない時代が続いた。しかし、CFRは、設立時から有力なユダヤ人を含み、WASPが支配する社会で、ユダヤ人が地位を築き、活躍していくのに、格好の場となった。キリスト教徒の支配集団に参入したユダヤ人は、その卓越した能力を発揮した。CFRが世界に広めるアメリカ的価値観とは、アメリカ・ユダヤ文化による価値観、ユダヤ的価値観でもある。また、米英主導の世界政策とは、アングロ・サクソン=ユダヤ連合による世界政策でもある。
 連邦準備制度と外交問題評議会によって、アメリカは金融と外交の両面から超国家的・脱国家的な思想を持つ集団の影響を強く受けるようになった。それはキリスト教徒がユダヤ人資本家を受け入れ、それと連携する体制が確立したことを意味する。こうした政治・経済の動きを論じることのない単なる宗教史としてのキリスト教史は、世界的なキリスト教史をひどく矮小化したものとなる。

 次回に続く。

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