ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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キリスト教183~台湾・朝鮮とキリスト教

2019-04-08 13:43:04 | 心と宗教
●台湾とキリスト教

 台湾は、シナ大陸の一部ではなく、歴史的にシナの支配を受けたこともない。日本が日清戦争後に割譲を受ける前、シナでは「化外の地」一つとされていた。
 1895年から1945年まで日本が統治した50年間、日本は欧米の植民地政策と異なり、一視同仁の精神で、台湾のために教育・衛生・建設などさまざまな面で貢献した。日本人がダムを造り、農業を指導し、治安を整えたことで、台湾人の生活は大きく向上した。庶民の多くはそれを喜んだ。統治時代を知る台湾人は、日本人が伝えた日本精神(リップンチェンシン)は、勤勉、向学心、滅私奉公、真面目、約束事を守る、時間を守るといった諸々の価値を包括するもとのとして大切にしている。
 日本の統治下に入る前、台湾の人民が最も多く信仰していたのは、シナ伝来の道教だった。基本的には、現在も変わらない。五斗米道の流れを汲む南方の正一教が広がって、土着化している。民間信仰のシャーマニズム、先祖崇拝、動物崇拝等と融合しているといわれる。
 日本は台湾の統治を始めた時、神道ではなく仏教を宗教政策の基本とした。台湾では、18世紀から大陸から来た観音信仰が隆盛し、観音像が道教廟に祀られるなど、仏教・道教・儒教の融合が進行していた。日本の台湾統治が本格化すると、日本本土から仏教の伝道師が多数渡来し、浄土真宗本願寺派をはじめ、曹洞宗・日蓮宗・浄土宗などが活動した。ただし、1941年の時点で台湾の人口のうち、日本仏教を信仰する者は1.6%に過ぎなかった。
 台湾にキリスト教が伝わったのは17世紀初頭で、オランダ東インド会社の到来とともに宣教が開始された。その後、イギリス・プロテスタントの熱心な活動によって、本省人や原住民の間でプロテスタントへの改宗が増えた。各教派の中では、長老派教会が最大勢力となった。
 日本が大東亜戦争で敗北すると、シナ大陸で国共内戦が起った。形勢不利となった蒋介石は、大陸を脱して台湾に移り、中華民国政府を台北に置いた。国民党は台湾人を一方的に搾取し、殺戮し、暴虐の限りを尽くした。外来のシナ人(外省人)による支配は、台湾人を抑圧し、民族的アイデンティティを奪うものだった。大陸で中華人民共和国が建国されると、共産党の宗教弾圧を逃れたシナ人カトリック教徒が台湾に移住した。それによって、カトリックが増えた。
 2009年の台湾政府内政部の統計報告によると、人口のうち、道教34.3%、キリスト教24.3%、仏教7.3%で、キリスト教の内訳は、プロテスタント(漢語で基督教)が約7割、カトリック(同じく天主教)が約3割となっている。 

●朝鮮とキリスト教

 朝鮮半島は、古代からシナ文明の強い影響下にあった。特に1392年から1910年まで500年以上続いた李氏朝鮮が儒教を公式の制度・思想としたことが、朝鮮文化を性格づけた。朝鮮南部の韓国では、今でも年間を通じて儒教の儀式が様々な行事で行われている。なかでもソウルの孔子廟で行われる年1回の儀式が知られる。ただし、現代の韓国において、儒教を自分の宗教であるとする人は、韓国統計庁の2005年の発表によると、人口の0.2%に過ぎない。
 儒教に比べ、仏教は人口の22.8%を占める。仏教は4世紀より三国時代のシナから朝鮮に入ってきた。7~10世紀の新羅や10~14世紀の高麗の時代に、大きな文化的影響力を発揮した。しかし、李氏朝鮮の時代には、弾圧を受けた。韓国仏教の最大勢力は、禅の系統の曹渓宗で、約9割の寺院がこの宗派に属する。朝鮮半島では、民俗信仰のシャーマニズムが根強く、多くの仏教徒は仏教の実践とシャーマニズムを結び付けているといわれる。
 こうした儒教・仏教が根付く朝鮮社会に、キリスト教が伝わったのは、1631年だった。シナへの朝貢使節団員がイエズス会士から布教をされ、キリスト教関係の書籍を輸入したことが始めである。1785年に、カトリックの宣教師が来て布教を始めたが、キリスト教徒は儒教が義務とする祖先崇拝の儀式を行うことを拒否したため、朝鮮政府から邪教として弾圧を受けた。
 李氏朝鮮は1860年代から欧米列強に対して鎖国政策を採っていたが、圧力に押されて1882年に開国した。その後、カトリックとともに、新たにやって来たプロテスタント諸派が、信者を獲得した。特に成功したのは、メソディストと長老派である。それらの教派は、学校、大学、病院、孤児院等を建て、朝鮮の近代化に一定の役割を果たしたとされる。
 1910年日韓併合が行われた。併合は、国内の腐敗した事態に手をやいた当時の朝鮮の指導者層と日本の指導者たちが合意して行なったものだった。日本は決して武力で朝鮮を侵略したのではない。そして台湾におけるのと同様、朝鮮のために学校をつくり、河川工事をし、植林等を行なった。そのため、併合前と比べて朝鮮では生活が大きく向上した。
 キリスト教に関しては、朝鮮総督府は、日本基督教会の植村正久に朝鮮宣教を要請した。植村は日韓併合には賛成だったが、朝鮮宣教は断ったので、総督府は日本組合基督教会の海老名弾正に宣教を命じた。海老名は日露戦争や日韓併合をキリスト教精神の現れとして支持していた。彼の教え子の渡瀬常吉が、総督府から莫大な資金援助を受けて朝鮮伝道を行った。だが、このキリスト教による教化政策は裏目に出た。日本の統治下の朝鮮で、プロテスタントを中心とするキリスト教徒が抗日運動を行ったからである。背後には、欧米の反日的な勢力があった。1919年の三・一独立運動でキリスト教徒は主要な役割を担った。独立運動家で大韓民国初代大統領となった親米派の李承晩は、メソディストだった。
 日本の敗戦後、朝鮮半島は米ソの占領下で南部は韓国、北部は北朝鮮として独立した。20世紀前半の朝鮮では、平壌がキリスト教の中心地で、その人口の13%をキリスト教徒が占め、「東洋のエルサレム」と呼ばれるほどだった。北朝鮮の建国後、朝鮮戦争が勃発し、その休戦時まで、多数のキリスト教徒が韓国に逃亡した。韓国では、1970年代からキリスト教徒が急増し、仏教徒を上回るほどになった。2005年の韓国統計庁の発表によると、人口のうちキリスト教が最も多く、29.2%で、仏教が22.8%である。キリスト教の中での割合は、プロテスタントが約6割、カトリックが約4割である。
 韓国のキリスト教は、伝統的な儒教と土俗的なシャーマニズムの影響を強く受けている。日本ではキリスト教は知識人を中心とする傾向があるのに比し、韓国ではシャーマニズムと習合することによって、庶民にまで広がった。特にプロテスタントの教会では、しばしば宣教師が説教壇で神憑りとなったり、宣教師の熱狂的な説教によって信者たちが神憑り状態に陥ったりすることがあると伝えられる。シャーマニズムと習合した福音派が、病気治癒などの現世利益によって庶民を引き付けていったものと見られる。
 東アジア及び東南アジアの国々の中で、韓国のキリスト教信者は、絶対数では第5位、国民全体に占めるキリスト教信者の割合では第3位である。韓国には、キリスト教、仏教のほかに、儒教、道教、シャーマニズムの系統の土俗的な宗教の信者もいる。一方、北朝鮮は国家無神論を標榜し、国民のほとんどは無宗教ということになっているが、民俗信仰、天道教、仏教等の信仰者がおり、キリスト教徒が人口の1.7%というデータもある。
 現代の朝鮮半島のキリスト教については、別途現代の項目において、共産主義との関係を中心に書く。

 次回に続く。

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