ほそかわ・かずひこの BLOG

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感染症の真の危機に備え法制度の整備を~百地章氏

2020-12-12 11:03:48 | 憲法
 中国・武漢発の新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。12月12日現在で、世界の感染者数は6987万人、死亡者数は158万人となった。米国での感染者増加が収まらない。ヨーロッパでは感染者が激増している。わが国は感染拡大の第3波が起こり、感染者が急増している。冬の寒さが進むにつれ、北半球での被害は一層深刻化すると見られる。
 そうした中、イギリスでファイザー製のワクチンの投与が始まった。米国が間もなくこれに続く。ワクチンは、どの程度、実効性があるかは数カ月たたないと分からない。やはり副作用の恐れはある。アレルギー反応を経験したことのある人が、接種後、強いアレルギーを起こした例が報告されている。
 わが国の対応を振り返ると、本年4月7日に安倍前首相が緊急事態宣言を発令し、外出の自粛や夜間営業の時間短縮等が求められた。法的強制力がなく、要請や指示に従わなくとも罰則はないという緩やかなものだったが、それでも多くの日本人は自主的に行動を慎んだので、緊急事態宣言は一定の効果を生んだ。感染者が減少したことから、5月26日に宣言が全面解除された。この間、社会経済活動が大幅に縮小したため、生活への影響が大きく、健康を守ることと経済を動かすことのバランスを取る必要が生じた。宣言の解除後、全国的に社会経済活動が一定程度、回復された。だが、規制を緩和すると7月から再びコロナウイルスの感染が拡大し、感染の第2波が生じた。わが国は、この第2波を抜け出すことが出来ぬまま、11月から第3波に突入した。第1波、第2波を遥かに上回る感染者・重症者・死亡者が出ており、かつ増加傾向にある。
 世界各地で感染拡大が続くと、そのうちウイルスが大きく変異し、強毒化する恐れもある。その場合は、このたび開発されたワクチンは効かないと予想されている。わが国は、今後、強毒化したウイルスが襲来する可能性も意識しておく必要がある。
 国士舘大学特任教授・日本大学名誉教授の百地章氏は、産経新聞令和2年5月4日付の記事で、感染症の真の危機に備え、憲法を含む法制度を整備することを提案している。
 安倍前首相が4月7日に発令した緊急事態宣言は、新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づくものだった。百地氏は、この特措法は「緊急事態に備えた法といいながら、実のところ危機管理の在り方に逆行した法構造になっている」と問題点を指摘する。
 百地氏は、第一の問題点として、「最悪の事態に備え先ず厳しく」ではなく、逆に「必要最小限度の規制から」という特措法の考え方を挙げる。必要最小限度の規制という考え方を示すのは、第5条である。「同条には『国民の自由と権利を制限する際には、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない』とある。それ故、この条文に忠実に従うならば、規制も徐々に行うのが自然となろう。例えば、先ず『外出の自粛要請』を行い、十分な効果が得られなければ次に『休業要請』ということになる」と百地氏は解説する。
 次に、百地氏は、第二の問題点として、「権力の所在が国と地方に分散し、しかも、地方に比重が置かれていること」を挙げる。「緊急事態宣言の発出は首相の権限だが、実際に緊急措置権を行使するのは都道府県知事とされている。『地域主権』を掲げた民主党政権の発想によるものだが、これでは緊急事態において大統領や首相に権限を集中している諸外国の憲法とは発想が逆だ。特措法上、国ができるのはせいぜい『基本的対処方針』を定めた上で各県知事らと総合調整を行うくらいのもので、首相は陣頭指揮に立てない。これでは、外出の自粛要請や休業要請など様々な権限を持ち、前面に立って指揮を執る知事に、敵うはずがない」と百地氏は解説する。
 これら2つの問題点を指摘したうえで、百地氏は「特措法は軍隊でいう『逐次投入』のような拙劣な構造になっている」と指摘する。軍事における戦力の逐次投入は、最悪の戦術とされる。危機管理における資源の投入においても、逐次投入は下手な対応の代表例とされる。「しかも」と百地氏は、追記する。「首相には実質的な権限は与えられていない。そのうえ『必要最小限』の縛りがあるため、外出の制限にしても『禁止』ではなく、あくまで『自粛要請』しかできない」と。
 こうした特措法の問題点を理解する時、武漢ウイルス感染拡大への政府の対応が遅く、また中途半端となっているのは、特措法の欠陥に大きな原因があることが分かる。現行の特措法は新型インフルエンザ等への対策を規定したものであって、武漢ウイルスのような新型インフルエンザとは比べものにならないほど強力な病毒に対応できるものとなっていないのである。
 百地氏は、言う。「今後、感染の蔓延が収束したとしても、第二波、第三波の襲来が予想される。今回よりもさらに悪質で感染力の強い感染症がいつ又発生するかも分からない。であれば、特措法を抜本的に見直し、真の危機に対処できるよう法整備を行うべきであろう」と。百地氏は「取りあえず、外出の制限については、場合によっては外出禁止命令を出して厳しく規制することなども考えなければなるまい」と書いているが、外出以外についても要請や指示ではなく命令が出せるようにし、また命令に従わない場合は罰則を科す規定に改める必要があると私は思う。
 百地氏は、特措法の改正と共に、「今こそ、諸外国並みに憲法に緊急事態条項を定めておく必要があると思われる」と主張する。「例えば感染症の蔓延により国会が集会できない場合の内閣による緊急政令権や定足数の特例、さらに国政選挙が実施できないときに備えた国会議員の任期延長などは、憲法に根拠を定めておくしかない。あるべき憲法を目指して、まずできるところから取り組もうではないか」と呼びかけている。憲法の緊急事態条項に何を盛り込み、関連する法律に何を盛り込むかには、いろいろな考え方があるだろう。だが、個々の法律だけでは、仮にそれが罰則による強制力を伴うものであったとしても、定め得ないのが、百地氏が例示する内閣や国会に関する事項である。
 百地氏は、この記事の冒頭部分で、国会において衆参憲法審査会が開催されていないことについて、「2年以上も野党の横暴が抑えられず、譲歩に譲歩を重ねてきた自民党の責任は重い。今こそ審査会長は、審査会規程に従って職権で審査会を開き、目下の急務である緊急事態法制について積極的な論議を開始すべきだ」と主張した。残念ながらその後、今日まで憲法審査会で本件課題について実質的な議論はされていない。何も議論されないまま通常国会は閉会した。緊急事態が発生した時、国権の最高機関である国会をどうするのかを検討し、必要なことを決めておくのは、他でもない国会議員の責任である。その議論すらしようとしない国会議員は、国民が選挙で国会から駆除するのみである。
 以下は、百地氏の記事の全文。

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●産経新聞 令和2年5月4日

真の危機に備え法制度の整備を 国士舘大学特任教授 日本大学名誉教授・百地章
2020.5.4

≪職権で憲法審査会の開催を≫
 3月27日、令和2年度予算が成立し、国会では各委員会で本格的な審議が始まった。しかし日本維新の会を除く野党の反対で一度も開かれていないのが、衆参憲法審査会である。それどころか衆議院では開催の日程を決める与野党の幹事懇談会さえ、野党の反対で目途が立っていない。
 野党筆頭幹事(立憲民主党)のいう反対理由は「コロナ対策があるので今は応じられない」という胡乱(うろん)なものだ。これが武漢肺炎問題が本格化してからも桜を見る会や森友問題にうつつを抜かしてきた党のいう言葉か。
 他方、2年以上も野党の横暴が抑えられず、譲歩に譲歩を重ねてきた自民党の責任は重い。今こそ審査会長は、審査会規程に従って職権で審査会を開き、目下の急務である緊急事態法制について積極的な論議を開始すべきだ。
 新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)に基づく安倍晋三首相の緊急事態宣言については、多くの国民が評価した。しかし宣言の遅れに対して、国民の目は厳しい。また宣言と同時に政府が国民に要請したのは「外出の自粛」だけで、「休業要請」は含まれなかった。
 これに対して、東京都知事は首相の宣言に先立って「外出の自粛要請」だけでなく大幅な「休業要請」まで打ち出した。それどころか、法的根拠のない東京都のロックダウン(都市封鎖)まで口走った。知事の行動に対しては、都知事選向けのパフォーマンスだとの批判も少なくない。しかし「最悪の事態に備えて先ず厳しく」というのが危機管理の要諦だから、武漢肺炎の蔓延(まんえん)に不安を抱く国民が都知事の行動を高く評価したことは、理解できなくもない。
 とはいうものの、わが国は法治国家である。それゆえ都知事も当然、特措法に従って行動しなければならない。それを無視した行動を手放しで称えて良いのか。

≪危機管理に逆行する特措法≫
 初動をめぐる混乱の原因はさまざまだろうが、一つは、特措法にある。というのは、特措法は緊急事態に備えた法といいながら、実のところ危機管理の在り方に逆行した法構造になっているからである。その第一が、「最悪の事態に備え先ず厳しく」ではなく、逆に「必要最小限度の規制から」という特措法の考え方である。これを示すのが第5条だ。
 同条には「国民の自由と権利を制限する際には、その制限は対策を実施するため必要最小限のものでなければならない」とある。それ故、この条文に忠実に従うならば、規制も徐々に行うのが自然となろう。例えば、先ず「外出の自粛要請」を行い、十分な効果が得られなければ次に「休業要請」ということになる。
 とすれば、先ず2週間の自粛要請を行い、その後休業要請を行おうとした政府こそ、特措法を忠実に適用したことにならないか。逆に、「外出」と「休業」の要請を同時に行い、しかも休業対象を国より拡大しようとした都知事のやり方こそ、特措法と矛盾することになろう。
 特措法の第二の問題点は、権力の所在が国と地方に分散し、しかも、地方に比重が置かれていることだ。緊急事態宣言の発出は首相の権限だが、実際に緊急措置権を行使するのは都道府県知事とされている。「地域主権」を掲げた民主党政権の発想によるものだが、これでは緊急事態において大統領や首相に権限を集中している諸外国の憲法とは発想が逆だ。
 特措法上、国ができるのはせいぜい「基本的対処方針」を定めた上で各県知事らと総合調整を行うくらいのもので、首相は陣頭指揮に立てない。これでは、外出の自粛要請や休業要請など様々な権限を持ち、前面に立って指揮を執る知事に、敵(かな)うはずがない。

≪憲法に緊急事態条項を≫
 このように、特措法は軍隊でいう「逐次投入」のような拙劣な構造になっている。しかも首相には実質的な権限は与えられていない。そのうえ「必要最小限」の縛りがあるため、外出の制限にしても「禁止」ではなく、あくまで「自粛要請」しかできない。
 今後、感染の蔓延が収束したとしても、第二波、第三波の襲来が予想される。今回よりもさらに悪質で感染力の強い感染症がいつ又発生するかも分からない。
 であれば、特措法を抜本的に見直し、真の危機に対処できるよう法整備を行うべきであろう。取りあえず、外出の制限については、場合によっては外出禁止命令を出して厳しく規制することなども考えなければなるまい。
 それと共に、今こそ、諸外国並みに憲法に緊急事態条項を定めておく必要があると思われる。
 例えば感染症の蔓延により国会が集会できない場合の内閣による緊急政令権や定足数の特例、さらに国政選挙が実施できないときに備えた国会議員の任期延長などは、憲法に根拠を定めておくしかない。あるべき憲法を目指して、まずできるところから取り組もうではないか。(ももち あきら)
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