ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド54~ヒンドゥー教の起源と発展

2020-02-28 13:57:19 | 心と宗教
●ヒンドゥー教の起源

 ヒンドゥー教の起源について、インダス文明にまでさかのぼるとする説がある。確かにインダス文明の遺跡や遺物には、神像、大地母神等の女神崇拝、ヨーガ行者、リンガ崇拝、牛等の動物崇拝、祭儀での水の使用、火葬、卍等、後代のヒンドゥー教の習俗を思わせる宗教的な要素がある。また、ヒンドゥー教の起源を、アーリヤ人がインド亜大陸に侵入し、ヴェーダ文献が成立した時期に求める説もある。確かにヴェーダ文献はヒンドゥー教の聖典となっており、またヴェーダの宗教の祭官だったバラモン階級が、ヒンドゥー教においても祭儀を執り行っている。これらの点を重視すると、ヒンドゥー教は、インダス文明の宗教ないしヴェーダの宗教から連続するものであり、インダス文明の宗教ないしヴェーダの宗教を含めて、広義のヒンドゥー教と呼ぶ考え方が成り立つ。
 しかし、多数の学者は、ヒンドゥー教をそれ以前のインドの宗教と区別し、紀元前5世紀頃以降に成立したものという見方をしている。私は、この見方が妥当と考える。連続性を強調しすぎると、変化の重要性を見逃す。ヒンドゥー教は、インダス文明の宗教ないしヴェーダの宗教との連続性を認めつつ、独自性を持った宗教として、狭義で用いるべきと思う。
 それゆえ、本稿において、ヒンドゥー教とは、インド文明において、紀元前5世紀頃以降にヴェーダの宗教が先住民族の宗教との融合を通じて発達したものをいう。紀元前5世紀頃、ジャイナ教や仏教が興り、これらの新宗教に帰依する人々が増えると、ヴェーダの宗教は、支配者であるバラモンの宗教からの変化を迫られ、先住民族の土着信仰を吸収・同化しながら、しだいに新しい民衆宗教へと変化していった。こうして独自性を以って成立したインド文明の宗教が本稿にいうヒンドゥー教である。

●発展と隆盛

 ヒンドゥー教の成立後、紀元4~6世紀のグプタ朝の時代にインド亜大陸全体に伝播し、インドの民族宗教となった。この間、約1000年の歳月が経過している。
 グプタ朝は、320年にチャンドラグプタ1世がガンディース川中流域において創始した王朝である。その子サムドラグプタと孫チャンドラグプタ2世は、インドの大部分を征服し、マウリヤ王朝以後初めての統一国家を形成した。
 グプタ朝は、インドの伝統を重んじる民族主義的な王朝だった。この時代にインド古典文化は完成の域に達した。グプタ朝は、ヴェーダ聖典を尊び、ヒンドゥー教を国教のように遇した。また、バラモンの間の伝統的言語であるサンスクリット語を公用語とし、それによってインド全体の統一を図った。
 この時代に、文学では、サンスクリット詩人のカーリダーサが現れた。美術では、ヘレニズムの影響を脱したグプタ様式による仏像や神像が盛んに造られた。アジャンタの石窟寺院やサールナートの仏像彫刻等が有名である。そして、何より重要なことは、ヒンドゥー教が民衆に定着したことである。これは、ヴェーダの宗教がヴィシュヌ・シヴァ等への信仰や非アーリヤ系諸民族の慣習を吸収して、発展したものである。グプタ朝では仏教やジャイナ教も王によって保護されていたが、これらは無神教であり、自らの厳しい修行によって解脱を目指すものである。だが、民衆にとっては、その道を進むことは難しい。民衆は、姿形を持った神々を頼り、自らの願望を祈念して、現世的な利益を得ようとした。そうした民衆の心をとらえたヒンドゥー教は勢いを増し、仏教やジャイナ教より優位に立った。そして、インドの民族宗教となって、今日まで民衆に信仰されてきている。

 次回に続く。

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