ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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インド文明のダルマ~ヒンドゥー教を中心に1

2019-09-27 09:33:22 | 心と宗教
 インド亜大陸に展開するインド文明は、現代世界の主要文明の一つである。インド文明は、古代インダス文明の滅亡後、インドに侵入したアーリヤ人が主体となり、先住民族の文化を摂取しながら創造した文明である。インド文明においては、ヴェーダの宗教、ジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教等の宗教が発達し、また他の文明からイスラーム教やキリスト教が流入した。それらの中で文明の宗教的中核となっているのは、ヒンドゥー教である。
 本稿は、ヒンドゥー教を中心にインド文明の諸宗教を概説するものである。70回ほどの予定である。私の個別宗教論の一環を成すもので、神道、イスラーム教、ユダヤ教、キリスト教に続く5作目となる。本稿の後に、別途仏教について掲載する。本稿は、その前段となるものでもある。

●ヒンドゥー教とは

 ヒンドゥー教は、アーリヤ人の文化と先住民族の文化が混淆することによって生まれた宗教である。アーリヤ人は、ヴェーダ(Veda)という聖典を持っていた。その聖典に基づく宗教的な思想や祭儀・慣習・制度等の体系を、欧米ではヴェーディズム(Vedism)と名づける。本稿では、これをヴェーダの宗教と呼ぶ。ヴェーダの宗教は、バラモン(Brahman)が祭儀を執り行ったことから、ブラーフマニズム(Brahmanism)とも呼ばれる。わが国では、バラモン教と訳す。バラモンは、祭官、祭司、司祭等と訳されるが、本稿では、祭官とする。
 アーリヤ人の宗教について、最古の時代のものをヴェーダの宗教とし、それを基礎に発展したものをバラモン教と分ける考え方もあるが、本稿では、これらを時代によって区別せずに、ヴェーダの宗教と呼ぶ。
 インド文明では、紀元前5世紀頃、形式化したヴェーダの宗教を批判して、ジャイナ教や仏教が興った。ヴェーダの宗教は、これらの宗教に対抗するため、先住民族の宗教との融合を進めた。本稿では、それによって生まれたものをヒンドゥー教と呼ぶ。すなわち、ヒンドゥー教とは、インド文明において、紀元前5世紀頃以降にヴェーダの宗教が先住民族の宗教との融合を通じて発達したものをいう。
 学者の中には、ヒンドゥー教の母胎となったヴェーダの宗教と、ヒンドゥー教を分けることなく、古代からのインドの宗教を一貫してヒンドゥー教ととらえる見方もある。この場合は、ヴェーダの宗教及びバラモン教は、原始ヒンドゥー教ないし初期ヒンドゥー教と呼ばれる。それゆえ、ヒンドゥー教という語は、狭義の場合はヴェーダの宗教と区別して使用され、広義の場合にはヴェーダの宗教を含めて使用される。この点に注意を要する。
 本稿では、アーリヤ人のもともとの宗教については、時代によってヴェーダの宗教とバラモン教と区別することなくヴェーダの宗教と呼ぶ。またヒンドゥー教の語は狭義で用い、ジャイナ教や仏教の出現後にヴェーダの宗教が先住民族の宗教と融合して発展したものを意味する。

●宗教とダルマ

 ここまでの記述で、宗教という言葉を断りなく、使ってきたが、実はインドの諸言語には、西洋文明における「宗教(religion)」に対応する言葉がない。インド人は、近代になって西洋文明が入ってくると、religionに dharma(ダルマ)という語を当てた。そして、インド文明の固有の宗教にあたるものを「ヒンドゥー・ダルマ」と呼ぶようになった。
 「ヒンドゥー」は、インド人やヒンドゥー教徒を意味する言葉である。もとは、インダス河を意味するサンスクリット語の「スィンドゥ」が、ペルシャに入って「ヒンドフ」となり、これがインドに逆輸入されて「ヒンドゥー」になったものとされる。インドより西方の人々が、インダス河以東に住む人々を「ヒンドゥー」と呼んだものを、インド人が自らの呼称にしたのである。インド人のいう「ダルマ」は、religionより意味が広い。宗教だけでなく、文化的な慣習や社会制度など多くの意味を持つ。これらの「ヒンドゥー」と「ダルマ」を結合した言葉が、「ヒンドゥー・ダルマ」である。
 インドでは、キリスト教を「クリスティ・ダルマ」と呼んでいる。これは、西洋的な宗教(religion)をインドの側からダルマ(dharma)と呼ぶものである。このことから、ダルマの核心的部分は宗教であり、宗教を核とする文化的・社会的複合体がダルマであると見ることができる。そこで本稿では、ヒンドゥー・ダルマをヒンドゥー教というインド的な宗教として扱う。
 ヒンドゥー・ダルマは、西洋的な宗教が持つ教義や儀礼、信仰の体系だけでなく、文化的な慣習や社会制度等を含む。欧米人は、ヒンドゥー・ダルマを呼ぶために、ヒンドゥーにイズムをつけて、ヒンドゥイズム(Hinduism)という語を作った。「イズム(ism)」は、主義・思想・学説・宗教等を幅広く表す接尾語である。仏教はブッディズム、神道はシントウイズム、資本主義はキャピタリズム、共産主義はコミュニズムなどという具合である。ヒンドゥイズムは、単にヒンドゥーの宗教だけでなく、インド文明の文化的・社会的な諸要素を一括して総称する言葉である。
 わが国では、ヒンドゥー・ダルマとヒンドゥイズムをともに、ヒンドゥー教と訳している。これが通例なので、本稿でもこれに従う。
 なお、現在のインドという国家の英語名は、Republic of Indiaであり、日本ではインド共和国と呼ぶ。だが、ヒンディー語によるインドの正式な国名は、バーラト・ガナラージヤという。バーラトは、聖典『マハーバーラタ』に出てくるバーラタ族に由来する。本稿では、現在のインド共和国をインドと呼び、歴史的にインド亜大陸に発生・発展した文明をインド文明と呼ぶ。インド文明は、ヒンドゥー教を宗教的な中核とする文明である。

●ダルマと生き方

 ダルマという言葉について先に簡単に述べたが、ダルマは「保つ」「支える」を意味する動詞の語根から作られた名詞である。わが国では「法」と訳すが、ダルマは極めて多義的な言葉である。宗教、慣習、社会制度、真理、教説、事物の本質・特性など多くの意味をもつ。また、宇宙を保ち、支える秩序や原理、理法、その理法に沿った生き方、さらにその生き方における行為の規範や義務、道徳等をも意味する。
 東洋思想研究の泰斗・中村元は、「ダルマは必ずしも宗教ではなくて、人間の道なのである」(『ヒンドゥー教史』)と述べている。ここで「道」とは、東アジアの精神文化の核心を表す言葉である。シナでは「タオ」、日本では「みち」という。「道」もまた真理、理法、生き方、道徳等を幅広く意味する言葉である。宗教を意味することもあり、仏教を仏道といったり、神道を神教ではなく神道といったりする。それゆえ、ヒンドゥー・ダルマは、インドの「道」と考えることができる。
 ヒンドゥー教に特徴的なのは、身分や職業に関するカーストの制度や、人生の諸段階を定めるアーシュラマの制度など、人間生活の全般を規定する制度が高度に組織化されていることである。
 それゆえ、ヒンドゥー教は、狭い意味の宗教というより、民族に特有の生き方であり、宗教・文化・制度等を含む総合的な生活様式と見ることができる。

 次回に続く。

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