●仏教の密教化
◆『華厳経』
大乗仏教は、段々密教化していった。密教化は、仏教の根本的な有神教化の帰結である。仏ヒンドゥー教のヴィシュヌを連想させる。仏教の概念を用いてはいるが、毘盧遮那仏は一種の宇宙神と見ることができる。太陽の光明を神格化した自然神を宇宙神に高めたものである。教の有神教化をよく表す経典に、『華厳経』がある。
『華厳経』は『大方広仏華厳経』の略称である。小さな経典を集成したもので、最古の部分は1~2世紀頃に作られ、全体は4世紀頃中央アジアで成立したものと見られる。
釈迦が悟りの内容を表した経典とされ、全世界を毘盧遮那仏(びるしやなぶつ)の顕現とする。毘盧遮那とは、「輝きわたるもの」を意味する言葉であるヴァイロチャーナの音訳である。元は太陽の光明のことだったが、仏教では法身仏の名称の一つとなった。原義から光明遍照とも意訳された。毘盧遮那仏は宇宙に遍満し、光明で宇宙を照らす仏とされる。太陽神から最高神になった
『華厳経』は、有神教的な世界観を示しつつ、空の思想を以って縁起の理法を説く。その縁起説は、法界縁起と呼ばれる高度なものである。あらゆる個々の事象に一切が含まれ、すべてのものが互いに関連し合って尽きることなく生起し合う世界を表す。そして、一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠があるという、一即一切、一切即一の世界構造を示している。
『華厳経』は、シナで法順が設立した華厳宗において、根本経典とされた。この宗派の寺院である東大寺の大仏は、毘盧遮那仏を造形したものである。シナで智顗が開創した天台宗は、『法華経』を中心とするが、『華厳経』も重んじる。ヒンドゥー教の影響を強く受けて出現した密教もまた『華厳経』を重視する。
◆密教
・グプタ朝と密教化
仏教は、クシャーナ朝の時代にはインド北西部を中心に栄えた。だが、クシャーナ朝が3世紀後半から衰退してササン朝ペルシャに滅ぼされると、教勢は大きく減衰した。4世紀には、グプタ朝がガンガー中流域に登場し、インドのほぼ全域の統一支配を回復した。そして、6世紀にかけてインド古典文化の黄金期が展開された。グプタ朝では、ヴェーダ文献とバラモンの権威が重んじられた。ヴィシュヌ・シヴァ等への信仰や非アーリヤ系諸民族の慣習を吸収したヒンドゥー教が、民衆に定着した。ヒンドゥー教が国教のように遇され、仏教は劣勢に転じた。
仏教は、西方貿易で利益を得る豪商階級の保護を受けていた。だが、476年に西ローマ帝国が滅ぶと、富裕な商人たちが没落し、彼らの援助を失った。そのため仏教は、5世紀末から急速に衰えていった。主に商業者が信奉するジャイナ教も同様だった。
当時仏教は如来・菩薩等の多くの信仰対象を持つ多神教の様相を呈していた。ヒンドゥー教が盛んになると、仏教はヒンドゥー教の神々を採り入れて、一層ヒンドゥー化した。ヒンドゥー化の進行で、それまで仏教に入り込んでいた呪術や密法をより積極的に行うようになった。こうして現れた宗派を密教という。密教は、やがて中観派・唯識派等を押しのけ、インド仏教の主流になっていった。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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◆『華厳経』
大乗仏教は、段々密教化していった。密教化は、仏教の根本的な有神教化の帰結である。仏ヒンドゥー教のヴィシュヌを連想させる。仏教の概念を用いてはいるが、毘盧遮那仏は一種の宇宙神と見ることができる。太陽の光明を神格化した自然神を宇宙神に高めたものである。教の有神教化をよく表す経典に、『華厳経』がある。
『華厳経』は『大方広仏華厳経』の略称である。小さな経典を集成したもので、最古の部分は1~2世紀頃に作られ、全体は4世紀頃中央アジアで成立したものと見られる。
釈迦が悟りの内容を表した経典とされ、全世界を毘盧遮那仏(びるしやなぶつ)の顕現とする。毘盧遮那とは、「輝きわたるもの」を意味する言葉であるヴァイロチャーナの音訳である。元は太陽の光明のことだったが、仏教では法身仏の名称の一つとなった。原義から光明遍照とも意訳された。毘盧遮那仏は宇宙に遍満し、光明で宇宙を照らす仏とされる。太陽神から最高神になった
『華厳経』は、有神教的な世界観を示しつつ、空の思想を以って縁起の理法を説く。その縁起説は、法界縁起と呼ばれる高度なものである。あらゆる個々の事象に一切が含まれ、すべてのものが互いに関連し合って尽きることなく生起し合う世界を表す。そして、一塵の中に全世界が宿り、一瞬の中に永遠があるという、一即一切、一切即一の世界構造を示している。
『華厳経』は、シナで法順が設立した華厳宗において、根本経典とされた。この宗派の寺院である東大寺の大仏は、毘盧遮那仏を造形したものである。シナで智顗が開創した天台宗は、『法華経』を中心とするが、『華厳経』も重んじる。ヒンドゥー教の影響を強く受けて出現した密教もまた『華厳経』を重視する。
◆密教
・グプタ朝と密教化
仏教は、クシャーナ朝の時代にはインド北西部を中心に栄えた。だが、クシャーナ朝が3世紀後半から衰退してササン朝ペルシャに滅ぼされると、教勢は大きく減衰した。4世紀には、グプタ朝がガンガー中流域に登場し、インドのほぼ全域の統一支配を回復した。そして、6世紀にかけてインド古典文化の黄金期が展開された。グプタ朝では、ヴェーダ文献とバラモンの権威が重んじられた。ヴィシュヌ・シヴァ等への信仰や非アーリヤ系諸民族の慣習を吸収したヒンドゥー教が、民衆に定着した。ヒンドゥー教が国教のように遇され、仏教は劣勢に転じた。
仏教は、西方貿易で利益を得る豪商階級の保護を受けていた。だが、476年に西ローマ帝国が滅ぶと、富裕な商人たちが没落し、彼らの援助を失った。そのため仏教は、5世紀末から急速に衰えていった。主に商業者が信奉するジャイナ教も同様だった。
当時仏教は如来・菩薩等の多くの信仰対象を持つ多神教の様相を呈していた。ヒンドゥー教が盛んになると、仏教はヒンドゥー教の神々を採り入れて、一層ヒンドゥー化した。ヒンドゥー化の進行で、それまで仏教に入り込んでいた呪術や密法をより積極的に行うようになった。こうして現れた宗派を密教という。密教は、やがて中観派・唯識派等を押しのけ、インド仏教の主流になっていった。
次回に続く。
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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