ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教147~バルト:「神の言葉の神学」を探究

2019-01-15 12:43:09 | 心と宗教
●バルト~「神の言葉の神学」を探究

 1886年に生まれたカール・バルトは、神学生時代に、聖書の歴史的・批評的研究や自由主義神学、カント、シュライエルマハー等を学び、大学卒業後は、改革派教会の牧師を務めた。
 1919年に発表した『ローマ書講解』の第1版で、バルトは、シュライエルマハーに発しトレルチで頂点に達した自由主義神学を激しく批判した。自由主義神学では神学の主題が人間学に解消されているとして、神学の本来の主題を回復しようとし、「ことばにおける神の啓示」を主張した。その後、第1版に対する評価・批判に基づいて書き改めた第2版を、21年に出した。この間、キェルケゴール、ニーチェ、ドストエフキーを読んで実存の深淵について考察したことを反映させた。
バルトは、パウロのローマの信徒に宛てた手紙を、今生きているわれわれに宛てて書かれたものとしで読んで理解して本書を書いた。彼は、パウロの手紙の中に書かれている一つのことに注目する。「神は神であり、人間は人間である」。そして、神と人間の間には無限の質的差異がある、ということである。バルトは、この一つのことを徹底して繰り返した。
 19世紀の神学は、体験を重視するにせよ、価値判断を重視するにせよ、人間から神へという方向、下から上へ目指すものだった。そこには、人間中心の考え方があった。だが、バルトは「神の言葉」を強調する。その「神の言葉」は、神から人へ、上から下へ与えられる。ここには、近代の人間中心主義を乗り超えようとする姿勢が見られる。その姿勢は、神と人間の無限の質的差異を説く姿勢から出て来るものである。
 弁証法神学の機関誌『時の間』が刊行されたのは、その翌年である。新しい神学運動の旗手となったバルトは、同年から大学で教職に就いた。その後、アンセルムスの研究を通じて、神の本質から神の存在を導き出すスコラ神学的な神の存在論的証明に対して、神の啓示の出来事から神の存在と神の本質の両者を導き出す独自の神学的な立場を確立した。この立場から書いた著作を、1932年から出版し始めた。これが主著『教会教義学』である。
 バルトは、象牙の塔に閉じこもった神学者ではなかった。1934年には独裁者ヒトラーへの忠誠宣誓の署名を拒否したことにより、翌年大学を退職処分となった。同年、ナチスの政策に従うドイツ福音主義教会に対抗して結成された告白教会の理論的指導者となり、バルメン宣言を起草した。その宣言が、ドイツ教会闘争の神学的な支えとなった。ドイツのキリスト教徒は、ほとんどがヒトラーに服従し、ナチスの尖兵ともなった。その中で、バルトの勇気ある行動は、少数とはいえ、良心的なキリスト教徒の反ナチス運動を鼓舞するものとなった。だが、バルト自身はドイツに居られなくなり、35年にスイスのバーゼル大学に移った。39年には、ナチスを神学的に批判した。第2次大戦終結後も、ドイツを訪れてドイツ人の復興を支援したり、東西ドイツの和解について発言するなど、社会的な活動を行った。
 この間、『教会教義学』は30年以上書き続けられたが、未完に終わった。バルトは、自らの神学を「神の言葉の神学」と呼び、本書を「神の言葉についての教説」から書き起こした。彼のいう「神の言葉」は、第一に受肉した言葉、すなわちイエス=キリストを意味する。また第二に聖書、第三に説教において語られる言葉、第四に啓示された言葉を意味する。
 「神の言葉は、啓示された言葉である」とバルトが言う時、それは、一つの出来事を指し示している。すなわち、聖書が神の言葉の「証言」として読まれ、神が今ここで人に語りかけられたとき、まことに聖書は「神の言葉」となるというのである。宗教改革者やその後継者たちにとって、聖書が神の言葉であることは、当然の前提だった。だが、バルトは、聖書を主体的に読むその時に、聖書は初めて「神の言葉」となるという理解へと逆転している。
 本書の第1巻で、バルトはキリスト論に集中した。イエス=キリストによって実現された神の予定すなわち受肉と十字架上の死と復活、再臨を、バルトは過去・現在・将来の時の流れによる歴史を支えている「根源的歴史」と呼んだ。「根源的歴史」は、またイエスによって救済された人間が神の呼びかけに応答することによって展開する救済史としての歴史でもある。こうしたイエスの具体的な歴史的事実と、その事実によって変わった人間の生き方を合わせて、「キリストの出来事」という。
 バルト神学は、歴史の中に生起した「キリストの出来事」に基づく神学であり、その点で、聖書のみと説いた宗教改革者の神学を継承したものである。アリストテレスの形而上学に基づくスコラ神学とは対照的であり、カトリック教会における自然神学を徹底的に否定した。
 バルトは、「キリストの出来事」にのみ神の臨在を認める。その神は、キリスト教の主流が信奉する三位一体の神である。バルトの神学は、伝統的な三位一体論の中心にキリスト論を置くものである。ただし、『教会教義学』の第3巻では聖霊に注目しており、思想的な変化が指摘されている。
 バルトは、1968年に亡くなった。前年の67年には、ローマに招待され、教皇パウロ6世らと語り合った。だが、神学上の対立は何ら融和に向かうことがなかった。
 彼はプロテスタント神学においては、ブルトマン、ティリッヒと並ぶ20世紀を代表する神学者と位置づけられている。彼らのうちバルトの神学は、聖書に基づくプロテスタンティズムを徹底するものであり、キリスト教の教義を「神の言葉」に純化しようと試みたものである。それゆえ、キリスト教と他宗教との対話を可能にする神学ではなく、キリスト教がより高度なものへと発展する方向への道は絶たれている。

 次回に続く。

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