●仏教系新宗教の発展と衰退
宗教学者の島田裕巳は、著書『宗教消滅』等で、仏教系新宗教の発展と衰退について、分析を行っている。島田の分析を基に、仏教系新宗教の発展と衰退の概略を記したい。
戦後、創価学会をはじめとする日蓮系・法華経系の新宗教団体が急成長した。日蓮正宗の在家集団である創価学会は、1950年代に入ってから、急速な拡大を始めた。それは、日本が高度経済成長に突入した時代に当たる。高度経済成長と創価学会の急成長には相関関係があることを、島田は明らかにした。
高度経済成長の時代には、産業構造の転換が起こり、第2次産業・第3次産業が発展する都市部では大量の労働力を必要とした。農村部が、その労働力の供給減となった。日本の農業は規模が小さく、兄弟で農地を分割すると経営が成り立たない。次男以下は、仕事を求めて、都市部に出ていかざるを得なかった。その典型が集団就職だった。彼らは、労働組合がしっかり組織されているような職場には就職できず、未組織労働者として寄る辺ない生活を送らざるを得なかった。「十分な学歴のない、高卒や中卒の人間たちを吸収したのが日蓮系新宗教団体であり、とりわけ創価学会だったのである」と、島田は書いている。
島田によると、都会に出てきて、地方での人間関係のネットワークを失って孤立している人たちが創価学会に入会すれば、仲間ができ、人間関係のネットワークが得られた。それによって、慣れない都会での生活の基盤を築くことができた。創価学会の2代会長・戸田城聖は、現世利益の実現を掲げ、創価学会を信仰して折伏を実践すれば、功徳を得ることができると宣伝した。その宣伝は、都会に出てきて貧しい暮らしを余儀なくされていた人たちに、強くアピールした。それによって、創価学会は、多くの会員を獲得することに成功し、巨大な組織に発展していった。
島田は、霊友会や立正佼成会といった、創価学会と同じ日蓮系・法華経系の新宗教団体も同じ高度経済成長期に多数の会員を増やし、巨大教団へと発展していったが、それも同じような経緯をたどったものだった、と分析している。
戦後日本では、日蓮系・法華経系以外の仏教系新宗教団体、また神道系、キリスト教系、諸教の新宗教団体も出現した。その中で、なぜ日蓮系・法華経系の新宗教団体が最も多くの信者を獲得したのか。そこには、日蓮系・法華経系に特有の原因があるはずである。鎌倉時代から、京都の町衆の間では法華経信仰が盛んだった。江戸時代にも町人に間に法華経信仰が流行した。日蓮宗の寺院には、在家信者による法華講がつくられた。島田は、法華経信仰が浄土信仰と異なり、現世における救いを強調したことが、町衆や町人に受け入れられた理由だとする。また、島田は、近代に入ると、こうした庶民の法華経信仰を基盤に日蓮主義の運動が高まったとし、「日本の近代社会には、日蓮系・法華系の新宗教が拡大する精神的な土壌が形成されていたのである」と述べている。
私見を述べると、浄土真宗は江戸時代には日蓮系・法華系よりもっと盛んだったし、明治時代以降も政府への政治的な影響力を発揮したり、いち早く教団の近代化を進めた。だが、浄土真宗の系統からは、戦後、有力な新宗教団体は現れていない。その理由の一つには、浄土真宗は組織的に強固であり、宗門とは別に新たな信徒団体が結成される余地がなかったこと、また、来世志向である反面、時代の政治に迎合的になっており、現実社会を変革しようという意欲が弱いことが考えられる。これに対し、日蓮系・法華経系には、世界大戦や敗戦後の混迷という危機において、日蓮が鎌倉時代に説いた危機意識や変革への情熱が継承され、戦後日本の民衆にアピールしたと考えられる。
さて、島田によると、高度経済成長期に急速に拡大した新宗教団体は、高度成長期が終わると、安定期に入り、新たに信者が入信してくることが少なくなっていく。新宗教は、時代のありようと深く連動し、その時代特有の社会問題への対応として生み出されてくるものであり、時代が変わると、魅力を失い、新しい信者を獲得できなくなる。そして、急速に拡大した時期に入信した信者たちが、そのまま年齢を重ねていくようになる。彼らの結びつきが強ければ強いほど、新しい信者はその中に入りにくくなる。その結果、教団全体が高齢化していく。
急拡大の時期に教団に加わるのは個人が単位だったが、安定期になると、信仰は信者から外部の人間に伝わるのではなく、家族の内部で継承されるようになる、と島田は言う。私見を述べると、この変化は、その信仰が親から子や孫に継承され、その家の信仰となることを意味する。ここでは、信仰が若い世代にとって魅力あるものであるかどうか、若い世代の求めるものに応えられるものであるかどうかが、教団の維持・発展のポイントになる。
創価学会では、信者数を個人単位ではなく、本尊を受けている世帯を単位として公表している。島田は、「その数はずっと827万世帯のまま」であり、「世帯数がここのところ全く増えていない」と言う。「数が増えていないということは、少なくとも、新しい信者を獲得できていないことを意味する」と解説する。このことから、公称の世帯数は、現在の実数ではなく、過去からの累積数と考えられる。
島田は、文化庁が発行する『宗教年鑑』をもとに、代表的な新宗教団体における信者の激減を指摘している。創価学会以外の日蓮系・法華経系団体では、霊友会は、平成2年版の316万5616人から26年版の136万9050人へと半分以下に縮小している。立正佼成会は、同じ期間に、633万6709人から308万9374人とほぼ半減した。この傾向は、仏教系に限らず、たとえば神道系のPL教団でも、『宗教年鑑』平成2年版では181万2384人となっていたのが、平成26年版では92万2367人と、この24年間にほぼ半減しているから、新宗教の多くに見られる傾向であることを島田は指摘している。
私見を述べると、ここには、単に高度成長期から安定成長期への経済の変化だけではなく、日本社会で世俗化・脱宗教化が進んでいることが関係している。ここ20年ほどの間に、人々の宗教離れが目立ってきている。これに関連する現象して、1990年代から経済のグローバル化や新自由主義の席捲によって、多くの人々が物質中心・経済中心の価値観に傾き、身心の感覚的・刹那的な快楽や満足を求める志向が強くなっている。また、日本経済がデフレに陥り、あまたそれが長期化したことによって、仕事に追われる人が増え、生活に余裕のない中で宗教への関心が低下している。大家族から核家族へと家族形態が変化したうえに、家族間の関係が希薄化し、個人中心の考え方、生き方が顕著になっている。個人の自由や人権の尊重が、個々人の選好を自由とする選好的リベラリズムに極端化し、人々が共通の精神的価値を持ちにくくなっている。その反面、こうした社会に危機を感じる人々の間で、家族や地域の絆や互いの思いやり、おもてなし等を大切にする風潮も現れてはいるが、その風潮は社会道徳的な範囲にとどまり、宗教的な方面にまで多くの人々の欲求は深まっていないように見える。
こうした現代日本の社会において、宗教はどうあるべきかが問われている。本稿が主題である仏教もまたこの問いを向けられている。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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宗教学者の島田裕巳は、著書『宗教消滅』等で、仏教系新宗教の発展と衰退について、分析を行っている。島田の分析を基に、仏教系新宗教の発展と衰退の概略を記したい。
戦後、創価学会をはじめとする日蓮系・法華経系の新宗教団体が急成長した。日蓮正宗の在家集団である創価学会は、1950年代に入ってから、急速な拡大を始めた。それは、日本が高度経済成長に突入した時代に当たる。高度経済成長と創価学会の急成長には相関関係があることを、島田は明らかにした。
高度経済成長の時代には、産業構造の転換が起こり、第2次産業・第3次産業が発展する都市部では大量の労働力を必要とした。農村部が、その労働力の供給減となった。日本の農業は規模が小さく、兄弟で農地を分割すると経営が成り立たない。次男以下は、仕事を求めて、都市部に出ていかざるを得なかった。その典型が集団就職だった。彼らは、労働組合がしっかり組織されているような職場には就職できず、未組織労働者として寄る辺ない生活を送らざるを得なかった。「十分な学歴のない、高卒や中卒の人間たちを吸収したのが日蓮系新宗教団体であり、とりわけ創価学会だったのである」と、島田は書いている。
島田によると、都会に出てきて、地方での人間関係のネットワークを失って孤立している人たちが創価学会に入会すれば、仲間ができ、人間関係のネットワークが得られた。それによって、慣れない都会での生活の基盤を築くことができた。創価学会の2代会長・戸田城聖は、現世利益の実現を掲げ、創価学会を信仰して折伏を実践すれば、功徳を得ることができると宣伝した。その宣伝は、都会に出てきて貧しい暮らしを余儀なくされていた人たちに、強くアピールした。それによって、創価学会は、多くの会員を獲得することに成功し、巨大な組織に発展していった。
島田は、霊友会や立正佼成会といった、創価学会と同じ日蓮系・法華経系の新宗教団体も同じ高度経済成長期に多数の会員を増やし、巨大教団へと発展していったが、それも同じような経緯をたどったものだった、と分析している。
戦後日本では、日蓮系・法華経系以外の仏教系新宗教団体、また神道系、キリスト教系、諸教の新宗教団体も出現した。その中で、なぜ日蓮系・法華経系の新宗教団体が最も多くの信者を獲得したのか。そこには、日蓮系・法華経系に特有の原因があるはずである。鎌倉時代から、京都の町衆の間では法華経信仰が盛んだった。江戸時代にも町人に間に法華経信仰が流行した。日蓮宗の寺院には、在家信者による法華講がつくられた。島田は、法華経信仰が浄土信仰と異なり、現世における救いを強調したことが、町衆や町人に受け入れられた理由だとする。また、島田は、近代に入ると、こうした庶民の法華経信仰を基盤に日蓮主義の運動が高まったとし、「日本の近代社会には、日蓮系・法華系の新宗教が拡大する精神的な土壌が形成されていたのである」と述べている。
私見を述べると、浄土真宗は江戸時代には日蓮系・法華系よりもっと盛んだったし、明治時代以降も政府への政治的な影響力を発揮したり、いち早く教団の近代化を進めた。だが、浄土真宗の系統からは、戦後、有力な新宗教団体は現れていない。その理由の一つには、浄土真宗は組織的に強固であり、宗門とは別に新たな信徒団体が結成される余地がなかったこと、また、来世志向である反面、時代の政治に迎合的になっており、現実社会を変革しようという意欲が弱いことが考えられる。これに対し、日蓮系・法華経系には、世界大戦や敗戦後の混迷という危機において、日蓮が鎌倉時代に説いた危機意識や変革への情熱が継承され、戦後日本の民衆にアピールしたと考えられる。
さて、島田によると、高度経済成長期に急速に拡大した新宗教団体は、高度成長期が終わると、安定期に入り、新たに信者が入信してくることが少なくなっていく。新宗教は、時代のありようと深く連動し、その時代特有の社会問題への対応として生み出されてくるものであり、時代が変わると、魅力を失い、新しい信者を獲得できなくなる。そして、急速に拡大した時期に入信した信者たちが、そのまま年齢を重ねていくようになる。彼らの結びつきが強ければ強いほど、新しい信者はその中に入りにくくなる。その結果、教団全体が高齢化していく。
急拡大の時期に教団に加わるのは個人が単位だったが、安定期になると、信仰は信者から外部の人間に伝わるのではなく、家族の内部で継承されるようになる、と島田は言う。私見を述べると、この変化は、その信仰が親から子や孫に継承され、その家の信仰となることを意味する。ここでは、信仰が若い世代にとって魅力あるものであるかどうか、若い世代の求めるものに応えられるものであるかどうかが、教団の維持・発展のポイントになる。
創価学会では、信者数を個人単位ではなく、本尊を受けている世帯を単位として公表している。島田は、「その数はずっと827万世帯のまま」であり、「世帯数がここのところ全く増えていない」と言う。「数が増えていないということは、少なくとも、新しい信者を獲得できていないことを意味する」と解説する。このことから、公称の世帯数は、現在の実数ではなく、過去からの累積数と考えられる。
島田は、文化庁が発行する『宗教年鑑』をもとに、代表的な新宗教団体における信者の激減を指摘している。創価学会以外の日蓮系・法華経系団体では、霊友会は、平成2年版の316万5616人から26年版の136万9050人へと半分以下に縮小している。立正佼成会は、同じ期間に、633万6709人から308万9374人とほぼ半減した。この傾向は、仏教系に限らず、たとえば神道系のPL教団でも、『宗教年鑑』平成2年版では181万2384人となっていたのが、平成26年版では92万2367人と、この24年間にほぼ半減しているから、新宗教の多くに見られる傾向であることを島田は指摘している。
私見を述べると、ここには、単に高度成長期から安定成長期への経済の変化だけではなく、日本社会で世俗化・脱宗教化が進んでいることが関係している。ここ20年ほどの間に、人々の宗教離れが目立ってきている。これに関連する現象して、1990年代から経済のグローバル化や新自由主義の席捲によって、多くの人々が物質中心・経済中心の価値観に傾き、身心の感覚的・刹那的な快楽や満足を求める志向が強くなっている。また、日本経済がデフレに陥り、あまたそれが長期化したことによって、仕事に追われる人が増え、生活に余裕のない中で宗教への関心が低下している。大家族から核家族へと家族形態が変化したうえに、家族間の関係が希薄化し、個人中心の考え方、生き方が顕著になっている。個人の自由や人権の尊重が、個々人の選好を自由とする選好的リベラリズムに極端化し、人々が共通の精神的価値を持ちにくくなっている。その反面、こうした社会に危機を感じる人々の間で、家族や地域の絆や互いの思いやり、おもてなし等を大切にする風潮も現れてはいるが、その風潮は社会道徳的な範囲にとどまり、宗教的な方面にまで多くの人々の欲求は深まっていないように見える。
こうした現代日本の社会において、宗教はどうあるべきかが問われている。本稿が主題である仏教もまたこの問いを向けられている。
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
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