ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

スーパースター・大谷翔平の愛読書は、渋沢栄一の『論語と算盤』

2021-07-16 10:06:48 | 日本精神

 大谷翔平選手が 7月13日 MLB オールスター戦に史上初めて二刀流で出場。1番・DHでスタメン入りし、先発投手として1回を三者凡退に打ち取り、見事勝利投手に。打者としては2打席無安打に終わったとはいえ、前日のホームランダービーではトーナメント初戦で再延長まで打ち合う激闘。敗れはしたものの大活躍しました。
 この大谷選手の愛読書が、現在NHK大河ドラマの主人公となっている渋沢栄一の名著『論語と算盤』なのだそうです。日本ハムの栗山英樹監督に勧められたとのことです。渋沢栄一の玄孫、渋沢健氏が AERA の記事でこれにまつわる秘話を語っています。
https://dot.asahi.com/dot/2021070900085.html?page=1




 以下は、マイサイトに掲示している拙稿「私利を超え、公益を追求した渋沢栄一」2002.5.1 です。
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 生涯に関与した事業は実に千を数え、さらに千あまりの社会事業・文化事業に貢献した巨人。それが渋沢栄一です。渋沢は、日本資本主義の草創期に、その基盤づくりを強力に推し進めました。日本最初の銀行を設立し、近代的な金融制度を実現したことをはじめ、紡績、保険、製紙、鉄道、郵船等々、彼が創設・経営した事業は、枚挙にいとまがありません。もし明治の日本に、渋沢というたぐい希な人物が出なかったら、日本の近代化は、これほどの成功をみなかったでしょう。
 渋沢栄一は、天保11年(1840)現在の埼玉県深谷市に、豪農の長男として生まれました。彼は7歳から儒学を学びました。そこで出会った『論語』が、彼の人生の規範となりました。
 元治元年(1864)、24歳の渋沢はその非凡な能力を見出され、一橋慶喜の家臣に取り立てられました。農民から武士になった渋沢は、一橋家の立て直しを成し遂げます。また慶喜が将軍となると、ブレーンとして将軍を支えました。慶応3年(1867)には慶喜の弟・昭武について、パリの万国博覧会に派遣されました。そしてヨーロッパ諸国で約1年間、近代資本主義の実態を徹底的に見聞しました。
 滞欧中に明治維新が起こり、帰国を余儀なくされた渋沢は、維新の元勲たちに請われて、新政府の大蔵省に任官しました。当時、新政府は深刻な財政危機にありました。渋沢はこれを解決するため、欧州仕込みの新知識に基づく、大胆・斬新な財政改革を提言しました。しかし、その提言は用いられず、明治6年(1873)、渋沢は約3年半いた政府を去ることを決意しました。
 このとき辞職をとめようとした友人に対し、渋沢は次のように答えました。
 「元より金を溜める為に辞官はしない。一体実業家が今日の如く卑劣で、全く社会の尊敬を受けぬと云ふのが抑々(そもそも)間違って居る。欧米では決して官商の懸隔が斯(かく)の如きではない。日本を早く官商同等の地位に進めなくては、到底実業の進歩する見込みがない。日本の商人が今日の如く社会の軽蔑を受けるのは、一つは封建の余弊でもあらうが、一つはまた商人の仕打ちが、甚だ宜しくないからである。予不肖ながらこの此風矯正のために一身を捧げたい。
 宋の趙普は論語の半部を以て天子を輔(たす)け半部を以て身を修めといって居るが、予は論語の半部を以て身を修め、半部を以て実業界を救ひたい覚悟で居る。どうか先を永く見てゐて呉れ。……
 その時、論語と云ふことを固く云ったのを今も能(よ)く記憶して居る。予が行往坐臥、事業を経営するも、事を処するも、是非論語に拠(よ)ろうと堅く決心を起こしたのは、此時の事である」と、渋沢は記しています。
 こうして、渋沢の新たな挑戦が始まりました。その後、約60年間、民間にあって彼が成し遂げた偉業は、前代未聞・空前絶後のものでした。
 彼の超人的な活動を支えた思想を一言でいうと、「論語と算盤(そろばん)」です。『論語』は東洋の伝統的な道徳を説くものです。これと「算盤」つまり経済的な利益とは一見、無縁です。しかし、渋沢は『論語』にある経世済民の考え方を、近代的な経営に生かし、道徳と経済は常に一体であると唱えました。
 渋沢は「利益を棄てたる道徳は真正の道徳でなく、又完全な富、正当な殖益には必ず道徳が伴はなければならぬ筈のものである」としました。資本は利潤の追求を目的とします。しかし、渋沢は、私的な利益は「公益」の追求の結果でなければならないと考えました。
 「勿論(もちろん)、当該会社の利益を謀(はか)らねばならぬが、同時に之によって国家の利益即ち公益をも謀らねばならぬ」「社会に利益を与へ、国家を富強するは、やがて個人的にも利益を来す」「私利私欲の観念を超越し、国家社会に尽くす誠意を以て得たる利は、是れ真の利と謂ふを得べく」と渋沢は、説いています。
 渋沢は、自分の言葉を文字通りに実行しました。第一国立銀行(現在はみずほグループ)、東洋紡、東京海上火災、王子製紙、日本鉄道会社、日本郵船会社等、彼が創設・経営・支援した企業は、彼の公共精神によって起こされたものです。渋沢はまた、今日の商工会議所をつくり、企業家が協力して社会に貢献する仕組みをつくりました。そして、渋沢は、事業によって得た利益を社会に還元しました。帝国劇場・日仏会館・一橋大学・日本女子大学など、渋沢の寄与は幅広く、文化・教育にも及んでいます。また、浮浪者の施設である東京養育院の院長も50余年務め、そこに私財を投じています。
 こうした彼の姿勢は、彼が渋沢の名をもつ財閥や企業グループをつくらなかったことにも、よく表れています。
 渋沢が実践した、私を超えて公に尽くす奉仕の精神は、日本人の精神の特徴です。それゆえ、私たちは、伝統的な日本精神を近代社会に応用した見事な実例を、渋沢栄一に見ることができるのです。
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