ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ユダヤ86~勝者による軍事裁判と日本弱体化政策

2017-08-12 09:18:24 | ユダヤ的価値観
 今回から、現代世界のユダヤ人について書きます。

●勝者による軍事裁判と日本弱体化政策
 
 第2次世界大戦の終結後、連合国は、占領行政の一つとして、敗戦国の戦争指導者を処分する国際軍事裁判を行った。ドイツに対しては、ニュルンベルグ裁判が、1945年(昭和20年)11月20日から46年10月1日にかけて行われた。続いて日本に対しては、極東国際軍事裁判(東京裁判)が、1946年(昭和21年)5月3日から48年11月12日にかけて行われた。
 基本的な枠組みは、ナチスの指導者を裁いたニュルンベルグ裁判で打ち出され、それをもとに東京裁判が行われた。これらの軍事裁判は、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くものであり、見せしめのためのリンチ、復讐劇だった。通常の戦争犯罪の他に、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という罪状が新たに作られ、過去にさかのぼって適用された。これは、罪刑法定主義という近代法の原則を無視したものだった。
 「平和に対する罪」は、侵攻戦争を計画・準備・開始・実行し、またはその目的で共同の計画や謀議に参加する行為をいう。第1次世界大戦後、不戦条約(1928年)に多くの国が調印した。しかし、ある国が起こした戦争が侵攻戦争であるか自衛戦争であるかの決定権は、その国にあるとされていた。また何をもって侵攻戦争・自衛戦争と規定するかの基準は、今なお整備されていない。そのような中で行われた国際軍事裁判は、勝者が敗者を侵略者と決め付け、断罪するものとなった。
 次に「人道に対する罪」は、一般人民に対する殺戮・虐待・追放その他の非人道的行為、及び政治的・人種的・宗教的理由に基づく迫害行為をいう。主にナチス・ドイツによるユダヤ人への迫害に関して裁くために作られた。ナチスの犯罪は、1932年(昭和7年)から1945年(昭和20年)に至るヒトラーが政権にあった期間を対象とし、戦争行為とは直接の関係を問わないとされた。
 ナチスによるユダヤ人の迫害は、アウシュヴィッツ等の「絶滅収容所」で毒ガスによる大量殺戮が行われたと断罪された。ナチスによるユダヤ人の迫害は類例のない規模と残虐さをもっていたから、その犯罪行為を明らかにし、再発を防ぐ必要はあった。しかし、そのために近代法の原則を曲げて裁判することが正当化されるものではない。
 わが国では、いわゆる東京裁判が行われた。勝者による国際軍事裁判は、その不公平・不公正によって、戦後世界に大きな歪みを生み出すものとなった。ユダヤ人への迫害は、ソ連でも行われた。一般市民の無差別殺戮は、アメリカもイギリスも行った。捕虜への虐待は、フランスやオランダも行った。 だが、勝者の側が犯した戦争犯罪や非人道的行為は、裁かれなかった
 勝者による国際軍事裁判の最大の欺瞞は、人類史上、最も残虐な兵器である核兵器を使用することの是非が問われなかったことである。「人道に対する罪」を問うならば、原爆の使用こそ、その最たるものと言わねばならない。
 先に書いたように米国が秘密裏に原爆製造を進めたマンハッタン計画には、多くのユダヤ人科学者が参加した。米国は独と原爆の開発を競ったが、独は米による原爆の完成前に降伏した。出来上がった原爆は、日本に投下された。
 わが国は敗戦後、1952年(昭和27年)4月28日に独立を回復するまで、事実上アメリカの占領下にあった。この約6年7ヶ月の間、GHQによって、日本弱体化政策が強行された。GHQの占領政策の立案・推進の中心となったのは、フランクリン・ルーズベルト政権でニューディール政策を進めたニューディーラーたちであり、共産主義の信奉者や同調者が多かった。
 マッカーサーは、GHQ民生局の職員を集めて、秘密裏に英文で憲法を起草させた。起草にあたった職員の一人、チャールズ・ケーディスはユダヤ人だった。ケーディスは、同じくユダヤ人の法学者イェリネックの弟子で、FDR政権の時代には、FDRの周りに多く集まったユダヤ人の一人だった。GHQの官僚となり、ニューディール政策を進めた。ケーディスは、マッカーサーの意図を受けて、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法第9条の草案を作った。
 また起草にあたった職員の一人に、ベアテ・シロタ・ゴードンがいた。ゴードンは、ロシア系ユダヤ人で、当時22歳だった。戦前、5歳から15歳の時まで日本に居住し、日本の男女観、特に見合い結婚に強い嫌悪感を持っていた。日本文化への無理解と偏見による彼女の考えが、日本国憲法第24条に反映された。それによって、日本の社会の基礎となる婚姻制度・家族制度が変えられてしまった。
 農地改革を進めた職員には、ウォルフ・ラデジンスキーがいた。ラデジンスキーはユダヤ系ロシア人で、ロシア革命後、アメリカに渡り帰化した。戦前は農務省に務め、大戦中に国務省のロバート・フィアリーと協力して日本の農地改革構想を検討した。GHQの天然資源局長顧問(農業担当)となり、わが国が松村謙三農相の下で進めいた第1次農地改革を批判し、米国主導の第2次農地改革案を立案し、推進した。
 なお、ユダヤ人が日本を戦争に誘導し、戦後は日本の弱体化を進めたとするモルデカイ・モーゼ著の『日本人に謝りたい』という本があるが、本書は原書の存在が確認されていない。またユダヤ人だとされる著者が実在の人物であることを示す証拠もない。ユダヤ人を騙って書かれた偽書である可能性が高く、内容も信憑性に疑いがある。

 次回に続く。