ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権82~政府と国民

2014-02-09 06:52:28 | 人権
●政府と国民の相互関係

 国家の主権と個人の人権は対をなすものであり、人権は主権国家の政府が国民に保障するものである。その政府を作り、支えるのは国民である。国家の主権と独立を獲得・維持するのは、国民の意思と行動である。人権と呼ばれる権利は、主権と独立の維持に努力する国民のみが享受できる権利である。他国の支配下にある国は、主権と独立を制限または剥奪される。そのため、国民は自由と権利を制限または剥奪される。
 国家間に大小・強弱の関係がある場合は、支配的・抑圧的な関係になりやすい。国家間の支配的・抑圧的な関係によって、小国・弱国は大国・強国によって、政府は主権を制限され、国民は自由と権利に制限を受けることがある。例えば、旧ソ連政府と東欧諸国がそうだった。ソ連共産党は、これを正当化するために、社会主義大家族制という理念を打ち出した。ソ連による物的・人的資源の収奪が行われた。この体制を維持するため、ソ連による東欧諸国の国民の権利の制限が行われた。これは、ソ連という連邦国家における各共和国の間においても同様だった。その典型的な例が、スターリンによるチェチェン人民への民族的な差別と強制移住である。それが 今日のロシアにおけるチェチェン紛争のもとになっている。
 植民地の社会は、当然のこととして、主権と独立を持たない。植民地の人民は、自由と権利を制約される。自由と権利を得るためには、集団として能力を結集して戦い、主権と実力を確保しなければならない。
 この点は、植民地を支配する本国と植民地の関係で考えると明確になる。アメリカを例を見ると、18世紀後半、植民地アメリカの人民は、本国のイギリス政府と戦って独立を勝ち取った。人民が国王から植民地における主権を奪取した。だから、連邦政府は国民に自由と権利を保障できた。もし独立戦争に負けていれば、アメリカは植民地としてイギリスに支配され、収奪され続けていただろう。宗主国イギリスと植民地アメリカの関係は、白人種の間、また同国民の間の出来事だったが、その後の有色人種の白色人種支配からの独立の目標となる出来事だった。アメリカ人民は自らの政府を作った。その政府は国民に自由と権利を保障する。そそしてその政府を働かしめるものは、国民である。国民の力の合成によって、政府を存立・機能せしめなければ、国民の権利を保障するものがなくなってしまう。
 他国の侵攻・略奪に対して、自国を防衛・守備するためには、国家の成員の権利は、協同的に行使されねばならない。集団は生命と運命を共有する共同体として、外部の干渉から集団の権利を守る。そのために、国民は協力・団結し、それによって全体及び相互の権利を守る必要がある。集団としての権利が確保されて、初めて成員個々の権利が保障される。集団の統治のための機構が政府であり、自らの政府を持つ集団のみが、自由と権利を享受することができる。

●国民の権利と義務
 
 国民の権利には、義務が伴う。国民が相互に生命・自由・財産を守るという義務である。自由について、他者の権利を侵害しない限り、何をしてもよいという考え方があるが、そもそも一個の国家内、政府が機能し法秩序が守られている社会、他国の侵攻・支配から自衛できている社会においてのみ、自由を言い得る。人間として生まれた者が等しく生まれながらに持つ権利といっても、それを保障するのは、人間相互以外にはない。他者の権利を侵害しない限り、何をしてもよいのではなく、他者の権利を保護する限り、自分も他者から保護されるという互恵的なものである。
 近代西欧から広がった国民国家には、アメリカ・フランスのような共和制の国、イギリス・日本のような君民共治制の国がある。国民国家において、本来国民は他国の侵攻・支配に対して、国防の義務を担って祖国を防衛する。共同防衛の行動によって、国民は団結して主権・独立、領土・権益、生命・財産を守る。国民の権利を保護するのは、政府の官僚だけではなく、彼らを含む国民の全体であり、国民自身である。国民自ら国家の主権と独立を守るために、国防の義務を負い、命を懸けるのでなければならない。集団としての権利を守り得てこそ、国民個々の権利を互いに共同で守り得るからである。
 近代西洋の論理では、この時、個人を単位に考えがちだが、保護の対象はその個人の自身だけでなく、家族、妻や子供、親、恋人等を含む。集団間の場合は、互いの家族や部族を守り合うことを、指導者同士が誓約し相互防衛を行う。
 相互防衛的な集団は、アトム的個人の集合体ではなく、生きた家族を単位とした集合体でこそある。人間は個人個人では生命を継承し、発展させることができない。個人の生命で絶えてしまう。ただ家族を形成することによってのみ、生命を継承し、繁栄することができる。生命の維持・発展という観点に立つと、集団の相互防衛においては、単に諸個人を守るのではなく、諸家族を守るという考え方が重要である。
 国民は、諸家族の相互保護のために、国民としての義務を果たしているから、政府から保障を受けられる。国防、国家忠誠、納税等の義務がそれである。生命の維持・発展のための権利と義務の体系を持った共同体が、国家である。政府とは、こうした国民の相互防衛の統括機関である。
 外国に居留する者は、その国で身体や財産の権利を侵害された場合、権利の保護を求めて、祖国の政府に支援を求める。祖国の政府は自国民の権利を保護しようとして、居留国の政府に権利の保護を働きかける。それが実現されないと、居留民保護のため、その国に実力を行使する場合がある。19世紀~20世紀にかけて、欧米諸国の政府は、しばしばこの外交的保護権を行使して領域国に賠償を請求し、ときには武力を使用して責任を追及した。
 国家において、政府が保障するのは、国民の権利であって、非国民の権利を国民と同様に保障するものではない。国民の権利は、国民が共同的相互的に保障し合うものだからである。この共同体の成員でない者は、権利の共同防衛の義務を負わないから、本来その権利は保障の対象ではない。非国民に対して、一定の範囲で権利を付与し、保護するのは、恩恵として行う道徳的な行為である。ただし、それはその非国民の集団が一個の集団をなして自ら統治し得るよう、一時的・限定的に支援するものであって、恒久的に恩恵を与えるものではない。

 次回に続く。