昭和12年7月、支那事変が勃発し、紛争は泥沼化しました。国民はいつ終わるとも知れぬ事態に不安と疑問を感じていました。そうしたなか、衆議院議員・斎藤隆夫が国会で質問に立ちました。昭和15年2月2日、斎藤の演説があるというので、傍聴席は超満員となりました。静まりかえった議場で、斎藤は「支那事変処理に関する質問演説」を行いました。
「‥‥一体支那事変はどうなるものであるか、何時済むのであるか、何時まで続くものであるか。政府は支那事変を処理すると声明して居るが、如何に之を処理せんとするのであるか、国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、此の議会を通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らく一人もないであろう」
斎藤の堂々たる弁論は、拍手喝采を浴びました。斎藤は欧米のキリスト教国の実態について触れながら、次のように弁じました。
「彼等は内にあっては十字架の前に頭を下げて居りますけれども、一たび国際問題に直面致しますと、基督(キリスト)の信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向かって猛進する、是が即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。
此の現実を無視して、唯(ただ)徒(いたずら)に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴(つか)むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない」
この歴史に残る名演説に、全国から激励の手紙が寄せられました。しかし、軍は斎藤を激しく非難しました。政治家は軍の攻撃を恐れて、斎藤を代議士除名とし、事態を収拾しようとしました。
実のところ、斎藤の演説は、決して「反軍演説」というようなものではありません。先ほどの引用の直前の部分で、次のように述べているからです。
「国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(略)国家競争の真髄は何であるか。日く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向かうに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。」と。
この部分は、議会議事録から削除されたのですが、一体どこに問題があるというのでしょう。反軍でも軍備放棄でもなく、国際政治のリアリズムを述べているに過ぎません。斎藤がいわんとしているのは、弱肉強食・優勝劣敗という当時の国際社会の現実を冷静に見すえ、大勢に押し流されずに、政治が軍事をコントロールしていくことでした。そして、「聖戦の美名に隠れて」、戦争目的のあいまいなまま、現実的な見通しもなく、ずるずると戦線を拡大していってはならないと、警鐘を鳴らすものだったのです。
ところが、3月7日に議会で斎藤議員除名動議が出されました。議員の3分の1が棄権しながらも、賛成大多数で、斎藤は衆議院除名処分となりました。それは、政治家自らが言論を自主規制し、軍部に迎合することでした。前年、首都を揺るがした2・26事件の後、政治家の多くは軍部・右翼のテロを恐れて正しい勇気を失いつつあったのです。
斎藤が議席を失った昭和15年の秋、10月12日にすべての政党は解党して、「大政翼賛会」が成立しました。「大政翼賛会」は、ナチスの一党独裁体制を模倣したものです。昭和天皇は、これは「幕府」のようなものではないか、と憂慮されました。「幕府」とは、天皇から実権を奪うものということかと思われます。ここに明治・大正以来の日本的デモクラシーは事実上、終焉に至りました。
その後、言論統制は一層厳しくなり、軍部は暴走を続け、我が国は自滅への道をひた走りに走りました。日中の紛争を解決できないまま、日本は米英との戦争に突き進み、終にわが国は焦土と化しました。
敗戦のどん底で、国民が塗炭の苦しみを味わっていた昭和20年の9月。斎藤は新政党の創立をめざしていました。75歳の斎藤は老骨に鞭打ち、国民に檄(げき)を飛ばしました。
「我々は戦争に敗けた。敗けたに相違ない。併(しか)し戦争に敗けて、領土を失い軍備を撤廃し賠償を課せられ其の他幾多の制裁を加えらるるとも、是が為に国家は滅ぶものではない。人間の生命は短いが、国家の生命は長い。其の長い間には叩くこともあれば叩かることもある。盛んなこともあれば衰えることもある。衰えたからとて直ちに失望落胆すべきものではない。
若し万一、此の敗戦に拠って国民が失望落胆して気力を喪失したる時には、其の時こそ国家の滅ぶる時である。それ故に日本国民は、茲(ここ)に留意し新たに勇気を取り直して、旧日本に別れを告ぐると同時に、新日本の建設に向って邁進せねばならぬ。是が日本国民に課せられたる大使命であると共に、如何にして此の使命を果たし得るかが今後に残された大問題である」
斎藤隆夫のいう「日本国民に課せられたる大使命」を、戦後日本人はどこまで果たせたでしょうか。占領政策による足かせをはめられたまま、「第2の敗戦」といわれる経済戦争にも敗れた日本は、さらに少子高齢化などの問題を抱えています。国民を拉致され、領土を侵されても、政府はなお謝罪外交を繰り返しています。「失望落胆」している人は少なくないでしょう。しかし、時勢に押されて現状をあきらめ、国民が「気力を喪失」したならば、戦前と同じ自滅の道を進むことになります。気骨の政治家・斎藤隆夫の檄を思い起こし、日本の危機を乗り越えるために、日本の元気を奮い起こしましょう。
参考資料
・草柳大蔵著『斎藤隆夫 かく戦えり』(絶版)
・松本健一著『評伝 斎藤隆夫』(東洋経済新報社)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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「‥‥一体支那事変はどうなるものであるか、何時済むのであるか、何時まで続くものであるか。政府は支那事変を処理すると声明して居るが、如何に之を処理せんとするのであるか、国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、此の議会を通じて聴くことが出来得ると期待しない者は恐らく一人もないであろう」
斎藤の堂々たる弁論は、拍手喝采を浴びました。斎藤は欧米のキリスト教国の実態について触れながら、次のように弁じました。
「彼等は内にあっては十字架の前に頭を下げて居りますけれども、一たび国際問題に直面致しますと、基督(キリスト)の信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向かって猛進する、是が即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。
此の現実を無視して、唯(ただ)徒(いたずら)に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴(つか)むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば、現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない」
この歴史に残る名演説に、全国から激励の手紙が寄せられました。しかし、軍は斎藤を激しく非難しました。政治家は軍の攻撃を恐れて、斎藤を代議士除名とし、事態を収拾しようとしました。
実のところ、斎藤の演説は、決して「反軍演説」というようなものではありません。先ほどの引用の直前の部分で、次のように述べているからです。
「国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。(略)国家競争の真髄は何であるか。日く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向かうに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。」と。
この部分は、議会議事録から削除されたのですが、一体どこに問題があるというのでしょう。反軍でも軍備放棄でもなく、国際政治のリアリズムを述べているに過ぎません。斎藤がいわんとしているのは、弱肉強食・優勝劣敗という当時の国際社会の現実を冷静に見すえ、大勢に押し流されずに、政治が軍事をコントロールしていくことでした。そして、「聖戦の美名に隠れて」、戦争目的のあいまいなまま、現実的な見通しもなく、ずるずると戦線を拡大していってはならないと、警鐘を鳴らすものだったのです。
ところが、3月7日に議会で斎藤議員除名動議が出されました。議員の3分の1が棄権しながらも、賛成大多数で、斎藤は衆議院除名処分となりました。それは、政治家自らが言論を自主規制し、軍部に迎合することでした。前年、首都を揺るがした2・26事件の後、政治家の多くは軍部・右翼のテロを恐れて正しい勇気を失いつつあったのです。
斎藤が議席を失った昭和15年の秋、10月12日にすべての政党は解党して、「大政翼賛会」が成立しました。「大政翼賛会」は、ナチスの一党独裁体制を模倣したものです。昭和天皇は、これは「幕府」のようなものではないか、と憂慮されました。「幕府」とは、天皇から実権を奪うものということかと思われます。ここに明治・大正以来の日本的デモクラシーは事実上、終焉に至りました。
その後、言論統制は一層厳しくなり、軍部は暴走を続け、我が国は自滅への道をひた走りに走りました。日中の紛争を解決できないまま、日本は米英との戦争に突き進み、終にわが国は焦土と化しました。
敗戦のどん底で、国民が塗炭の苦しみを味わっていた昭和20年の9月。斎藤は新政党の創立をめざしていました。75歳の斎藤は老骨に鞭打ち、国民に檄(げき)を飛ばしました。
「我々は戦争に敗けた。敗けたに相違ない。併(しか)し戦争に敗けて、領土を失い軍備を撤廃し賠償を課せられ其の他幾多の制裁を加えらるるとも、是が為に国家は滅ぶものではない。人間の生命は短いが、国家の生命は長い。其の長い間には叩くこともあれば叩かることもある。盛んなこともあれば衰えることもある。衰えたからとて直ちに失望落胆すべきものではない。
若し万一、此の敗戦に拠って国民が失望落胆して気力を喪失したる時には、其の時こそ国家の滅ぶる時である。それ故に日本国民は、茲(ここ)に留意し新たに勇気を取り直して、旧日本に別れを告ぐると同時に、新日本の建設に向って邁進せねばならぬ。是が日本国民に課せられたる大使命であると共に、如何にして此の使命を果たし得るかが今後に残された大問題である」
斎藤隆夫のいう「日本国民に課せられたる大使命」を、戦後日本人はどこまで果たせたでしょうか。占領政策による足かせをはめられたまま、「第2の敗戦」といわれる経済戦争にも敗れた日本は、さらに少子高齢化などの問題を抱えています。国民を拉致され、領土を侵されても、政府はなお謝罪外交を繰り返しています。「失望落胆」している人は少なくないでしょう。しかし、時勢に押されて現状をあきらめ、国民が「気力を喪失」したならば、戦前と同じ自滅の道を進むことになります。気骨の政治家・斎藤隆夫の檄を思い起こし、日本の危機を乗り越えるために、日本の元気を奮い起こしましょう。
参考資料
・草柳大蔵著『斎藤隆夫 かく戦えり』(絶版)
・松本健一著『評伝 斎藤隆夫』(東洋経済新報社)
次回に続く。
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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