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●小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ 」 狼病編 ..(2)

2.

 駅ビル二階にある喫茶“白ばら”で、藤村敏数はクリームパフェのアイスクリームを、スプーンで口に運んでいた。前に座る二人が凝っと、その顔を見ていた。在吉丈哉が言った。

 「よくそんな甘いもの、美味しそうに食べるっすね。藤村先輩には全然、似合わないっすよ」

 「あたし、藤村さんがそんな、女の子が食べるよーなもの、好きだなんて知らなかった」

 在吉丈哉の隣に座る、オカッパ頭を茶髪に染めた、色白で小顔の女の娘が言った。藤村敏数は彼女が自分のことを、「藤村さん」 と呼んでいることに満足していた。以前、同じ職場に居た頃は、何歳も年上の敏数のことを、「藤村君」 と“君付け”で呼んでいた。勿論、以前の職場では、勤務歴も敏数の方が先輩だったのだが。

 「藤村先輩。真理ちゃんとは、久しぶりに会うっしょ?」

 “真理ちゃん”と、在吉丈哉に呼ばれた隣に座る娘は、フルネームを大佐渡真理といい、藤村敏数が前に働いていた職場に、現在も勤めている。前の職場では敏数の後輩にあたり、現在の職場の後輩になる、在吉丈哉に紹介した格好になる。実際は、敏数が計画して行った、敏数の前の職場の従業員たちと現在の職場の社員たちとの、若者どおしの合コンで丈哉と真理は知り合って、お互い意気投合し、敏数も知らぬ間に、いつの間にか付き合い始めたカップルである。

 今、ビジネススーツ姿の在吉丈哉と、白いポロシャツと黒いジャージズボン姿の大佐渡真理は、テーブルを挟んだ敏数の前に仲良く二人並んで、同じものを注文して、ケーキをつつきながら時々コーヒーを啜っている。

 「やっぱ、アイスコーヒーの方が良かったかな」

 「うん。でも、ケーキはセットだったからね」

 丈哉の言葉に、すぐに真理が応える。さっきからこの調子だ。二人は本当に仲が良い。恋人どおしを通り越して、仲の良い姉弟のようにも見えた。真理の方が丈哉よりも、二つ三つ、年上になる。おもむろに、藤村敏数が話し出した。

 「そうだなあ。大佐渡君と会うのは、あの合コン以来じゃないかなあ。後で達ちゃんに、あの二人が付き合ってる、って聞いてびっくりしたよ。それから俺は、実は、酒よりも甘いものの方が好きなんだ。俺は、達ちゃんみたいな飲んべえとは違うしね。飲んでも付き合い程度だしね」

 「中村さんは、タケ君を風俗ばっかり誘うから困ってます」

 大佐渡真理が不満そうに言う。彼女は、在吉丈哉のことを 「タケ君」 と呼んでいるらしい。

 「大丈夫だよ。俺は行ってねえよ」

 タケ君が心持ち、うるさそうに答えた。笑いながら、敏数が真理を諭す。

 「確かに達ちゃんのキャバクラ勧誘はしつこいけど、大佐渡君、心配しなくとも在吉君は風俗なんて行ってないよ」

 「俺、だいたい酒も強くないし、キャバクラで馬鹿騒ぎとか趣味じゃねーよ」

 「そうだな。達ちゃんのは病気だな。キャバクラ病」

 と、答える敏数だったが、本当は敏数自身も遊び好きで、中村達男とは一緒にかなりの回数、キャバクラ通いしている。ただ、敏数も最近はあまり、飲み屋や風俗通いは乗り気がしないのだ。

 「キャバクラっていえば吉川係長、あんなとこに一人で入って行くなんて、びっくりっすね。まあ、最近の係長はちょっと、変過ぎてるけど」

 「うん。あの係長がなあ。人ってあんなに変わるもんなのかな‥」

 同じ職場の二人の話に、真理が興味を持った。

 「ねえ、何の話?」

 「ん? ウチの職場の係長の話さ。今年に入って、そうだなあ‥。春頃から何か、だんだん人が変わって行ってさ」

 丈哉が応える。

 「人が変わった?」

 真理が疑問を持って、なおも訊いてきた。

 「几帳面で真面目な人が、えらくだらしなくなっちゃってさあ。何か、別人になったみたいで。ねえ、藤村先輩」

 丈哉が、敏数に同意を求めた。

 「うん。それは俺もそう思うよ。同じ一人の人間が、この何ヵ月かの間に変わり果てちゃったからなあ。何か不思議でもあるよな」

 「入社二年目の俺がこんなこと言うのも何すけど、吉川係長、ぶっちゃけクビっすかね?」

 「う~ん、最近の仕事中の心ここにあらずな、ヤル気のない態度とか、実際の、数多くの仕事上のミスとかも大きいけど、流石に今日のセクハラは致命的だな」

 「え~っ! その吉川係長って、セクハラなんかしたんだ?」

 「うん。総務課のOLの尻を触ったんだ」

 「うわあ~、ひどいね。女の敵!」

 大佐渡真理が顔をしかめて、露骨に嫌な表情を見せた。

 「そんなにかい?」

 真理の様子に、敏数が追って訊いた。

 「だってそうじゃん! 女子のお尻を触るって、会社だからセクハラだけど、これ、電車の中だったらモロに痴漢だよ。警察逮捕ものじゃん!」

 「あ、そうだよなあ」

 丈哉が、真理の話に感心したように言った。真理が、丈哉に向かって訊いた。

 「その係長って、昔は真面目だったんだ? それが、人が変わったように変態みたくなったんだ?」

 「変態」 と、言葉を復唱して丈哉は、吹き出すように笑った。敏数は笑わずに言った。

 「昔って、何ヵ月か前から変わってしまったんだけどね。変態っていえば成程、変態になっちゃったんだなあ‥」

 「ふ~む」 真理は顎に手をやって、考え込んだ。

 「大佐渡君はえらく、関心持っちゃったみたいだな」

 敏数の言葉に、丈哉が応える。

 「いや、ちょっとアレなんすけど。真理ちゃん実はアレで‥」

 言いにくそうに、丈哉が訳の解らない説明をする。

 「はあ?」 敏数が怪訝な表情で、丈哉の顔を見る。敏数が真理に目を移すと、真理は俯き加減で、指先で自分の顎を弄びながら黙ったままだ。ふと、真理が顔を上げ、丈哉を見て訊いた。

 「ねえ、今、その係長って何処に居るの? 自分の家?」

 突然の真理の質問に、敏数も丈哉も驚いた顔をしたが、丈哉が応えた。

 「今、キャバクラに居るよ。何ていうか、場末のチンケなキャバクラでさあ。これが何か、気味悪いんだよ。何か、不気味な雰囲気で‥」

 「外側からしか見てないけど、安っぽい古ビルに入ってるし、確かに高級そうなイメージはないよなあ。不気味っていうのはどうかと思うけど、確かに何だか、不健康そうな雰囲気出してるよなあ。キャバクラの明るく陽気に弾けたイメージは、湧かない感じがしたなあ」

 「そういえば、中村さんも一緒だったんでしょ。中村さんも、そこに入って行ったの?」

 丈哉が否定する。

 「いや、違うよ。中村先輩は他の、自分のお気に入りのキャバ嬢が居る店に、一人で行っちゃった。俺も藤村さんも一緒に行こうって、しつこく誘われて断るのに苦労したよ」

 「まあーっ! 中村さんて奥さん居るんでしょお。それを、お気に入りのキャバ嬢だとか、最低っ!」

 真理は、中村達男が妻帯者のくせに一人でキャバクラに入って行ったということよりも、しつこく丈哉をキャバクラに誘った、ということに腹を立てているらしかった。

 「係長、いったい何時まで、あのキャバクラに居るんだろ? 午前零時くらいまで居るのかなあ? 風営法とかあるから、キャバクラもそのくらいがラストの筈だしなあ」

 「何か、係長の家庭が心配っすね。もし、キャバクラ狂いになってて、しょっちゅう通ってんなら家の中、きっと大変っすよ。小学生のお子さんが居るんでしょ」

 「そうだなあ。しかし、何度も言うけど本当に、いったいどうしてあの真面目でちゃんとした吉川係長が、あんなに変わっちゃったんだろう? 不思議だよなあ‥」

 敏数と丈哉のやりとりを聞いていた大佐渡真理が、突然、言い出した。

 「ねえ、今からそのキャバクラ、行ってみようよ。藤村さんも一緒に!」

 真理は最初、丈哉に向かって言い、後半は前に座る敏数の顔を見た。

 「えーっ!」 敏数と丈哉が、同時に驚嘆の声を出した。

 「待ってよ、真理ちゃん。今日はデートだったんだぜ!」

 「うん。でも、映画見る筈だったけど、あたしの仕事が終わんなくて映画間に合わなかったでしょ。もう遅い時間だし、後は何処かでご飯食べるくらいしかできないよ。それなら、ちょっと寄ってみようよ。その、係長さんが出て来るかどーかさ」

 丈哉は驚いたし、困った顔をしたが、黙った。真理がニヤリと笑う。どうやらこのカップルは、年上の真理がイニシアチブを持っているようだ。

 「真理ちゃん、吉川係長に興味津々だな。知らない人なのに、どうして?」

 敏数の問いには、丈哉が応えた。

 「この人、好奇心強いんすよ。気分悪くなるくせに、心霊スポット行きたがったりとか‥」

 丈哉が話すと、敏数が不思議そうな顔をした。

 「へえ~、二人はデートで、心霊スポット巡りみたいなことやってるんだ?」

 敏数の驚き顔に、丈哉が言い訳めいて話す。

 「いや、心霊スポット巡りって程は、そんな場所ばっかり選んでドライブしてる訳じゃないんですけど。たまたま行った行楽地から数キロのとこに、有名なのがあったりしたら、ちょっと寄り道してみたりする程度っすよ。」

 「へえ~、そうなんだ。俺はそういうのには、昔から関心がないからなあ。俺にはその、何だ、霊感なんてものも全然ないしね」

 そう言いながら敏数は、フッと笑いを漏らした。それが如何にも馬鹿馬鹿しい、という態度に見えたので、真理が怒った顔をした。

 「あの~」 と、丈哉が遠慮がちな調子で、話し始める。

 「藤村先輩。いや、馬鹿くさいって笑うかもっすけど実は‥」

 丈哉は話したいけど言いにくい、という雰囲気だ。

 「何だよ、在吉君。在吉君らしくないな。どんな話だって、別に、馬鹿くさいとか思わないよ。話してくれよ」

 「いや、笑わないで聞いて欲しいんすけどね」

 敏数は黙って、丈哉の次の言葉を待った。

 「実はこの真理ちゃん、霊感が強いんすよ。それも半端なく‥」

 隣で聞いている大佐渡真理は、困った顔をして居心地悪そうにした。敏数は言葉が出ずに、ポカンとした顔をした。

 「ほら、もう、タケ君、変なこと言うから、藤村さん固まっちゃったじゃん」

 真理が、隣の丈哉を責める。

 「いや、藤村さん本当なんですってば‥」

 敏数が口元に笑いを浮かべながらも、強い調子で肯定した。

 「いやあ、そりゃあ本当だろうさ。勿論、嘘だなんて言わないし、思ってもないさ。ただ‥」

 丈哉と真理は揃って、敏数の顔を見つめ、黙って次の言葉を待った。

 「ただ俺は、そういうオカルトみたいのは関心持って来なかったし、俺自身、霊感とかそういうの全くないし、これまで、霊とか見たりとか不思議体験、全然ないしなあ‥」

 「藤村さんは私のこと、馬鹿にしてる。本当は、馬鹿馬鹿しいって笑いたいんだ」

 真理が、怒った顔をした。

 「いやいや、そんなことないって。ただ俺に、そういう経験がないだけだ」

 「藤村先輩。本当っすよ。真理ちゃんと心霊スポット行くと、真理ちゃん、必ず気分悪くなるし、それに予備知識なしに通った峠で、真理ちゃんが気持ち悪くなって、ここはヤバいからって引き返して、後日解ったんすけど、その峠、有名な心霊スポットだったんです」

 丈哉は真理を庇って力説する。

 「実際、ユーレイ見たことあるって言うし。間違いないっすよ」

 「もういいわよ。信じてない人にいくら言っても、無駄なんだから」

 真理が怒ったような困りきったような調子で、焦って丈哉を止める。

 「いやいや、ごめんごめん。俺自身が、心霊現象とかと無縁の存在なもんだから。UFOとかだって見たことないし‥」

 敏数が慌てて言い訳をしていると、突然、真理が立ち上がった。

 「よし! 今から、そのキャバクラに行く。タケ君、案内して」

 「えーっ!」 丈哉が驚いて、立っている真理を見上げた。

 「いや、真理ちゃん。腹減ってるから、何処か食べに行こうよ。ケーキとコーヒーだけじゃ腹の足しになんなくて」

 「うん。だから、その怪しいキャバクラの様子、外からちょっと見に行ってさ。それから、ご飯食べに行こ」

 「ちぇっ。しょーがねえなあ‥」

 丈哉が、しぶしぶ立ち上がった。

 「ええ~! 二人とも、あの歓楽街の奥まで行くんだ?」

 敏数は驚きと焦りで、席を立った二人を見上げる。丈哉が応えた。

 「ちょっと行って来ますよ。ええっと‥、ここの勘定はと‥」

 丈哉がポーズだけ、財布を出して見せる。

 「いいよいいよ。ケーキ代くらい」

 「ゴチになります」

 テーブルから離れようとする二人を追って、敏数も立ち上がった。

 「俺も行くよ」

 「藤村さん。関心がないのに別に、無理に付き合わなくてもいいですよ」

 真理がクールに言い放った。敏数が慌てて返す。

 「いや、そうじゃないんだ。俺も、吉川さんは心配なんだ。あれから一時間近くは経つだろ。店から出て来るかも知んないしさ」

 「じゃ、三人で行ってみますか」

 丈哉の言葉に促され、三人は駅の喫茶店を出た。駅からは裏通りを掻い潜って、一番直線距離に近い道のりを歩いて、20分足らずで歓楽街の奥付近まで出た。途中、中村達男が多分、一人で入っているに違いないキャバクラ店、ギャラクシーの前を通った。敏数が、丈哉と真理に、この店だと教えると、丈哉は 「へえ~」 と、軽く驚き顔で、店の入ったビルを見上げ、真理は露骨に嫌な顔をした。

 三人は歓楽街を歩き、吉川係長が入って行った、四階建て古ビルの手前まで来た。ビル正面の電飾が、原色で点滅しながら毒々しい光を放っている。それ以外はあたりのネオンはあまり目立たず、全体的に薄暗い。街灯も遠く、このビル以外は、歓楽街としての雰囲気は放っていなくて寂しい。歓楽街の外れといっていい、この辺りにはもう、歓楽街特有の華やかな明るさなど見えず、薄暗いばかりだ。

 「何か、このへんまで来ちゃうともう、飲み屋街って感じじゃないっすね」

 「うん。そこのビルだけど‥。どうする? 前でしばらく待ってみるかい?」

 敏数ら三人以外には、人通りがなかった。勿論、呼び込みなど店サイドの人間も、一人も出ていない。

 「やっぱり、このビルのこの雰囲気、何か気持ち悪いっすよ。こう、何か不気味雰囲気で‥」

 そう言ってから丈哉は、隣の真理の方を見た。真理は険しい顔をして、俯き加減だ。暗いのでよく解らないが、顔色が悪そうな気がする。

 「真理ちゃん、気分悪いの?」

 「うん‥」 静かに、一言だけ返事した。

 「藤村先輩。真理ちゃんが、気持ち悪そうにしてるっす。少し退がりましょう」

 そう言って丈哉は、真理の手を引いて早足で、今来た道を戻り、歓楽街の賑やかなところまで戻った来た。敏数も着いて戻った。10メートル以上は戻って来て、例の、映画館ビルの建つ通りとぶつかる十字路まで来た。最初、敏数と達男が、丈哉と合流した時間に比べると、人通りもだいぶ少なくなっている。胸を押さえて、息苦しそうにしていた真理が、顔を上げた。明らかに顔色が悪い。

 「大丈夫か?」

 丈哉が心配そうに、真理の顔を覗き込む。

 「居るよ‥」

 それまで黙っていた真理が、一言ぽつんと喋った。

 「えっ!」 丈哉が驚き、軽く声を上げる。敏数も真面目な顔で、真理を見た。

 「多分、あそこには何か居る‥」

 真理が、まだ少し息苦しそうな口調で続けた。

 「やっぱり。俺も何か、あのビッチハウスって店の前で、気味悪さを感じたんだ」

 そう、真理の言葉を肯定する丈哉に続いて、敏数が慌て声で言葉を発する。

 「ゆ、ユーレイなのかい?」

 敏数は何だか、間抜けな調子だが、真理は真剣に応えた。

 「解らない。けど、何ていうのか邪悪なものを感じる。もしも霊だとしたら、悪霊だと思う。それもかなり悪質な‥」

 真理の口調は静かだが、緊張を含んでいる。

 「悪霊の親玉みたいなヤツ?」

 「いや。いつも心霊スポットで感じる気持ち悪さと、少し違うみたい。あれは多分、怨念みたいなものなんだろうけど、今、あのビルの手前で感じたのは、もっと異質の邪悪さみたいな‥」

 敏数が吹き出した。

 「考え過ぎじゃないかなあ。だって、吉川係長は平気で入って行ってるんだし、俺だって、その気になればあの店には入れるぜ。ただ、あんな怪しげなキャバクラ、あんまり気が進まないだけで。係長ボラれたりするんじゃないかなあ‥」

 「それは、藤村さんに霊感がないからっすよ」

 丈哉が強い口調で、真理を擁護する。真理は黙っていた。

 「おうっ。みんな揃ってるじゃんか!」

 敏数が振り返ると、中村達男が立っていた。

 「あれ? 中村先輩」

 丈哉が声掛けた。敏数が達男に問うた。

 「ギャラクシー、入ったんじゃないのか?」

 「ああ、入ったよ。悲しいかな軍資金の都合で、一時間しか遊べなかった。どうだ、藤村。今から一緒に入らねえか? ギャラクシー」

 「冗談じゃないよ。吉川係長の様子見に、またあのビルの前まで来てみたんだよ」

 「ああ、この先のビッチハウスって店か。何か、雰囲気怪しげだよな。で、係長はまだ出て来ないのか」

 「今さっき来たばかりだから、解んないけど多分‥」

 「あのキャバクラ、ちょっと気味悪ィけど、藤村が金出すなら俺が入って、見て来てやってもイイぜ」

 「どうして俺が、そんな金、出さなきゃいけないんだよ!」

 「馬鹿だなあ、藤村。おまえ、今日は風俗なんて気分じゃないんだろ? 俺はギャラクシーで軍資金使い果たしたし、あそこの怪しいキャバに入った吉川係長のことは心配だし、そうなると、ものの筋道として、おまえが金を出して俺が偵察にあの店に入る、ってこれが道理じゃねえのか?」

 「でも、何か怪しげな雰囲気出してる店だから、中でボラれるかも知れないっすよ」

 「そうだよ。それに係長はとっくにもう、店を出てて、店にはもう居ないかも知れないし。だいいち俺もそんな、達ちゃんのキャバクラ代なんて出さないよ。喫茶店でコーヒー代出すのとは、訳が違うんだから」

 達男は、敏数を口説くのを諦めたのか、丈哉の方を向いた。

 「なあ在吉君。これも人生勉強だ。これから仕事をやって行く上でも、必ず役に立つ。俺が中で、遊び方を一から指南するからさ。な、一緒に入ろう。まあ、今日のところは授業料は、払ってもらうことになるけど」

 丈哉の隣で真理が、怖い顔して達男を睨み着けている。

 「あれっ!? 在吉君、今日は彼女付きなのか?」

 「一応デートっす」

 真理はまだ、怒った顔のままだ。

 「中村先輩。あのビッチハウスってキャバクラは、止めた方が絶対良いっす。あの店は、不気味過ぎるっす」

 丈哉は店の手前で、真理の容態がおかしくなったこともあって、そう言った。

 「いや、俺はキャバクラだったら、何処でも良いんだよ。在吉君、何しろ人生勉強なんだから。デート中ならしょうがねえな。この次またな‥」

 真理が怒った顔のままで、丈哉の上着の袖を引っ張った。この場を離れよう、という合図だ。丈哉が慌てて大急ぎで、敏数と達男に挨拶した。

 「じゃ、先輩方。今日はこれで、どーも済みません。失礼します!」

 丈哉が、真理に引っ張られるように急ぎ足で去って行く。

 「ああ。じゃあまたな」 と、敏数は手を挙げて見送り、達男は黙っていた。

 見ると、達男は機嫌が悪い様子だ。

 「達ちゃん悪いが俺は、どうしてもキャバクラなんて気分にはなれないんだ。申し訳ないけど、俺は今日はこれで帰るよ」

 怒ったような顔の達男に気を使って、敏数が言った。

 「いや違うんだよ、藤村。俺が腹立ててるのは、今のあの女の態度だよ。何でぇ、挨拶も無しに、ヒトのこと睨み着けやがって!」

 「ああ。大佐渡真理ちゃんかあ。それは、達ちゃんが強引に、在吉君をキャバクラに誘ってたからだよ」

 「しかしあの女、まだ若いくせに生意気だよ」

 中村達男は、大佐渡真理の性格のボーイッシュで勝ち気なところが、表面に出ているのが気にくわないようだった。

 実は、一年少し前に藤村敏数が計画して行った、敏数の旧職場の女子従業員と現職場の男性社員との合コンの時に、既に結婚していた中村達男も独身だと偽って参加し、ルックスで見て大佐渡真理を気に入り、ナンパしようと口説きに掛かり、しつこく話し掛けていたら、真理に露骨に嫌われ、揚げ句、実は結婚していることがバレてしまった。真理は、“安全パイ”に見えた、在吉丈哉の隣の席に逃げてしまった。

 後日、在吉丈哉と大佐渡真理が付き合い始めた、と知って、達男はカンカンになって怒り、しばらく不機嫌になった。その当初は、達男は先輩の立場から、丈哉に随分辛く当たったものだ。しかし、要領良い丈哉はうまく立ち回り、また、先輩・中村達男の信頼を取り戻すことができた。だが相変わらず、大佐渡真理のキャラクターは気に入らないようだ。

 「だいたい俺は、ああいう女は嫌いなんだ」

 「ああ。解ったから達ちゃん、もう帰ろうぜ。駅まで一緒に行こう」

 敏数が達男に帰りを促し、駅方面へとターンしかけたとき、達男の肩に手を掛け呼び止める声があった。

 「ちょっと、ちょっと‥」 しわがれた女の声。

 二人はギョッとして、立ち止まった。振り向くと、達男の斜め後ろに、かなりな厚化粧の老婆が立っていた。敏数は一瞬、白雪姫に毒リンゴを持って来た老婆や、西洋の魔法使いを連想した。だが、この老婆の出で立ちは派手だった。老婆は赤く染めた髪にエンジのスカーフを被り、服装はピンク色のドレスのようなワンピースに、肩には真っ赤な薄手のショールを掛けている。真っ白く塗り固めた化粧に、真っ赤な唇が毒々しい。アイシャドーも両目上下に濃く塗ってあり、瞼は長い付け睫だ。

 敏数は無意識に、「お化けだ」 と口をついて出そうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。

 「どうしたんだい? 遊ぶトコ捜してんだろ‥」

 「ああ、おタカ婆さんか」

 老婆に話し掛けられた達男は、旧知の仲らしい。

 「婆さんは失礼だろ。お姉さんとお言い。あたしが相手してやっても良いんだけど、二人相手じゃね。それに今日は腰も痛いし‥」

 「いいよ、いいよ。おタカお姉さん。俺たちは今日は、キャバクラに来たんだ。それにもう、帰るところさ」

 「何だい、つまんないね。遊ぶんなら良いトコロ、紹介してあげるのに。乳の張った若い娘が居るよ」

 達男は笑い声を上げた。

 「いや、本当に今日はイイんだ。遠慮しとく」

 敏数が、達男の耳許に顔を寄せて、小声で訊いた。

 「ポン引きの婆さんか?」

 敏数は囁くように言ったつもりだったが、聞こえたらしい。

 「あんた。若いのに、古い言葉知ってんね」

 「み、耳が良いんですね、お婆さん‥」

 焦った敏数が、愛想笑いを浮かべながら言った。

 「あたしのことを“遣り手婆”だとか、ひどい呼び方する奴らも居るけどね。あたしゃ、ついこの間までバリバリの現役さ。ただ最近はちょっと、身体を悪くしちまってね。この頃は、この街の遊べる店をあれこれ、殿方に紹介しているのさ。いわば、この街の専任ガイドだね。あたしゃ、昔も今も良心的だよ」

 派手な格好の老婆は、敏数の顔を凝っと見てニタリと笑った。敏数は、真っ白く厚塗りした肌に浮かぶ、真っ赤な唇から覗いた白い歯並びに、ゾッとした。綺麗に揃った一見、健康そうに見える歯は、おそらく総入れ歯だろう。頭巾のように被ったスカーフの下の、真っ白くて皺くちゃの微笑が、敏数の顔まで近寄って来た。幾分、腰の曲がった老婆の身長は、敏数の肩くらいしかない。

 「あんた、けっこう男前だねえ」

 敏数は、すぐ近くまで寄った老婆の微笑に、心持ち退け反りぎみで、両肩から首筋に震えが走る。

 「今日は腰が痛いけど、何ならあんた一人くらい、相手してやっても良いよ。あたしのテクニックは、ギョーカイじゃあ“神ワザ”って評判なんだよ」

 「い、いえ、けっこうです。僕すぐ帰りますから」

 敏数は恐怖感を伴った震え声で、おタカ姉さんの申し出を断った。隣に立つ達男が可笑しそうにして、このやり取りを見ていた。

 「達ちゃん、行くぜ!」

 焦って敏数が帰りを促す。達男はハッと思い付いたように、老婆に向かって訊いた。

 「おタカ姉さん。ちょっと尋ねたいんだけどさ‥」

 「何だい? 遊ぶ気になったのかい? この辺はあたしの庭さ。どんな店だって、紹介してやるよ」

 「違うよ、おタカさん。この先なんだけど‥」

 達男は、今、自分らが立つ歓楽街通りの、奥の方を指差した。

 「ここからだと、もう歓楽街の外れになるけどさ。あの辺に古い四階建てのビルがあって、そこにキャバクラが入ってるんだよ。え~と、二階か三階だね‥」

 達男の話を聞いていると、それまで穏やかな表情で微笑を浮かべていた、おタカ姉さんの様子が急に変わった。

 「そのキャバクラのこと、訊きたいんだけどさ‥」

 達男が不思議そうな顔で、おタカさんを見る。明らかにおタカさんの表情は変わっていた。老婆は、緊張した面持ちで険しい顔をしていた。

 

「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(3)へ続く。

 

◆(2012-08/18)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(1)
◆(2012-09/07)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ 」 狼病編 ..(2)
◆(2012-09/18)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(3)
◆(2012-10/10)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(4)
◆(2012-10/28)小説・・ 「じじごろう伝Ⅰ」 狼病編 ..(5)

 

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