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昨日のエフゲニー・オネーギンで、ロストロポーヴィッチにお別れをしようと思ったのだが、もう一つ思い出した。忘れ難い演奏を。
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1983年3月9日(水)8:00pm
カーネギー・ホール
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チャイコフスキー作曲
フィレンツェの思い出
(弦楽六重奏曲のオーケストラ版)
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ショスタコーヴィッチ作曲
交響曲第14番 死者の歌
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ソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
バス、スタンフォード・ディーン
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ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ指揮
ワシントン・ナショナル交響楽団
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カーネギー・ホールの音響はたしかにいい。地下鉄と救急車のサイレンの音さえ気にしなければ。
前半のチャイコフスキーでは、弦楽演奏でも信じられないほどの腰の強い音と音楽が妙にソフトなタッチで耳を包む。
ロストロさんは、結構な年だというのに、非常に精力的な指揮ぶりである。
独特のつきさすような身ぶりとケツを跳ね上げる棒の振り方(ケツといってもオタマジャクシのケツ)で、実に明快な指揮ぶりである。
彼が本来チェリストであることを一瞬忘れてしまうくらいである。
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ショスタコーヴィッチは第14番にとどめをさすのか。
非常に凝縮した密度の高い音楽だと思う。
以前、サヴァリッシュ指揮NHK so.の演奏で聴いた時にも感じたことである。
ショスタコーヴィッチの、好みの楽器による好みのフレーズのみからなる音楽とでもいおうか。嵐さえ静寂に飲みこまれる。
ナショナル交響楽団はかなりの腕前であり、加えてホールのこの音響の良さなどもあり名演の部類であった。
弦とパーカッションのバランスの良さ。
それにもまして人声の響きのきれいさ。
特にヴィシネフスカヤの、あの恍惚ともいえる音楽と表情の大胆さ。
ロストロさんはあれにまいったのかもね。
この第14番はおそらく12音など前衛手法を駆使して作っているはずであるが、どことなくメロディックな緊張感が連続して河童をつつむ。不思議な魅力をもつ音楽だ。
ショスタコーヴィッチの交響曲では、おそらくこれが最高傑作ではないか。
但し、僕としてはこれよりも平易さとパーカッションの大胆さで交響曲第15番の方が好きだ。
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といった感想だった。
昔の文章だが、内容的には今感じることとそんなに変わっていないように思う。
ロストロポーヴィッチはウルトラ・スーパー・チェリストであり、棒をもつ時もある程度レベルの高いオーケストラがあてがわれていて当然。オーケストラ・ビルダーといった発想はないと思う。
自分にふさわしいレベルのオーケストラが自分の前にあってあたりまえ。
そういう意味では、彼の人生のことは知らないが、音楽に対する育ちの良さを感じる。
つまり、苦労して音楽を勉強するとか、苦労して一つのオーケストラを育てる、といったこととは無縁。
全てあって、その上でなにを表現するか、ということになる。
死者の歌は彼の人生と、もしかするとダブル部分があったのかもしれないが、共鳴して心の内部から発した音楽と言うよりも、あくまでも表現的深刻さの方向感の方が強い。
おわり
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