河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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ブラ全 バンベルク3 1990-4

2007-03-30 21:17:00 | コンサート


ブラ全 バンベルク3 1990-4

1990年バンベルク交響楽団の来日公演は4月28日(土)から5月11日(金)まで12回行われた。全部ブラームスである。
4月28日(土)初日から4日間連続でサントリーホールに通えばブラームスの交響曲と協奏曲をまるごと聴くことができる。その通りにした。
4月28日と29日のことは書いたので、今日はブラームス・チクルス三日目。
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4月30日(月)2:00pm
サントリーホール
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ブラームス/交響曲第3番
ブラームス/ダブル・コンツェルト
ブラームス/ハイドン・バリエーション
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ヴァイオリン、
 フランク=ペーター・ツィンマーマン
チェロ、堤 剛
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ホルスト・シュタイン指揮
バンベルク交響楽団
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チェロ弱し、である。
二重協奏曲はもともとチェロ不利ではあるが、あまり音が前に出てこない。
すわる位置とか、曲のかけひきなど、オーケストラとあまり練習していなかったのではないか。
全く地味な曲であるので独奏、特に低弦であるチェロはかなり大きな音で鳴らさないと聴こえない。ワーグナーもので低音の声が全く出ない日本のテノール歌手のような様相を呈している。
でも自分にはよく聴こえるようで別に不服そうな顔もせず弾いていた。
練習のときに、遠方の席で誰かに音を聴いてもらい、適切なアドヴァイスをしてもらうべきだ。
日本では第一人者なので誰もそのようなアドヴァイスをしてくれる人がいないのであればそれは悲劇だ。
そもそも、このような曲の場合、音が大きいのが第一条件みたいなもので、ロストロポーヴィッチでもヨーヨーマでもみんな迫力ある幅広の音でビーンとホールを鳴らす。
それがないと音不足、力量不足、となってしまう。特に昨今聴衆はそう思うはずだ。今日のチェロの音小さかったね。って。これが最初の感想なのだ。
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プログラミングに関しては、第3番→協奏曲→ハイドン・バリエーションという順番はわからなくもない。
第3番というのは、ダイナミックさと繊細さを兼ね備えた素晴らしい曲であるが、どうしたことか、第1、2、3、4楽章の全楽章とも結尾がピアニシモで終結する。
後半にプログラミングしてしまうと、しりつぼみのような感じになり、聴衆がいま一つ高揚感をもつことができず終わるかもしれず、その意味では考えられたプログラミングではある。とはいってもブラームスの場合、管弦楽の曲数が多いわけではないので、定番のような順序なんだろう。
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交響曲第3番は、非常に大胆で音がむき出しになった演奏で、この曲に対する自信をうかがわせる。というか、第1,2,4番よりは注目度が少し落ちるため楽員はかえってやりやすいのかもしれない。
各楽章の結尾は非常に印象的で嵐で荒れた音楽模様に一呼吸つかせるような味わい深いもの。秀逸。
フルトヴェングラーの演奏はもっと巨大で激しいが、同じような大地を感じさせてくれる。
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ハイバリはもっと味わい深い。
ハイドン・バリエーションについては、昔ブラームスを聴き始めたころは、小曲、のような印象。
ほかの管弦楽、序曲と同じようなサイズの曲という印象しかなかった。
変奏曲から変奏曲へ移り目で一度しっかり区切る指揮者などもいて、ますます小曲の集積みたいなイメージしかなかった。
しかし、だんだんと聴きこむうちに、味わい深いというか、スルメ風というか、サラミ風というか、噛まなければ味が出ない、噛めば噛むほど味がわかるのである。
この曲の味わい深さを教えてくれたのはこれもやはりフルトヴェングラーの棒だ。
彼の残したハイバリの数はかなり多い。全ての音符に神経がいきとどいており粗末な感じがない。スタッカートの切れの良さ。そしてむせび泣くレガート。大きな曲に見せてくれたのはフルトヴェングラーの棒によるところが大きい。
シュタインはもっとあっさりしている。この曲にフルヴェンみたいにかかわったら神経が続かない、と言っていたかどうかは定かではないが、わりとぶっきら棒、である。
だからプログラム・ビルディングは良かったものの、味わいの深さでは最初の3番がよく、後半1曲目のダブル・コンツェルトはいま一つ。ハイバリはそこそこ流す感じ。
演奏は音を出しくれた結果でしか判断できないので何とも言えないものがあるが、結果がある程度わかっていたのなら、今日のプログラムの順番は、
ハイバリ→コンツェルト→第3番
が正解であったような気がする。つまり前半と後半を入れ替えた方が良かったような気がした。たまには静かな消え入るような音で終わって家路につきたいときもある。
おわり