ニューヨーク・フィルハーモニックの初来日は1961年。上野の東京文化会館、こけら落しにあわせてやってきた。
指揮者は、1958年に同オケ常任指揮者となったレナード・バーンスタインと1961年3月に副指揮者となった小沢征爾。
1枚目の写真のプログラムは、1961年東京世界音楽祭、の一環としてのプログラム。
2枚目の写真のプログラムは、他日用のもの。
2枚目の方はかなりダサイ。1枚目の写真が素晴らしい。
若きバーンスタインが聴衆の期待を背に浴び、ポーディアムでこぶしを前に突き出し、素人っぽくぎこちなく、しかし、熱く、指揮している姿が眼前に見えてくる。素晴らしい写真だ。
1961年初来日の公演詳細はまた別途、ということで演奏会場だけ書いてみるとこんな感じ。
4月26日(水) 東京文化会館○
4月27日(木) 東京都体育館
4月28日(金) 静岡市駿府会館
4月29日(土) 名古屋市公会堂
5月1日(月) 大阪産経会館
5月2日(火) 大阪府立体育館
5月4日(木) 神戸国際会館
5月5日(金) 東京文化会館○
5月6日(土) 東京文化会館○
5月7日(日) 日立小平記念会館
都合10回。演奏会場のあとに○印をしてある日は、東京世界音楽への出演。
シーズンの終わりをおそらく早めに切り上げて、上野のこけら落しにわざわざ来てくれた。バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックが絶好調のときである。
ジェイムズ・チェンバース、ウィリアム・バッキアーノ、ウィリアム・ベル、ハロルド・ゴンバーク、スタンリー・ドラッカー、ジョン・ウンマー、ペイジ・ブルック、....
クラクラするようなトップ奏者のもとみんな幸せだった。
ところで、上野の千秋楽はこんな感じ。
1961年5月6日(土) 2時 東京文化会館
アイヴス 答えぬ質問
アイヴス 交響曲第2番
ストラヴィンスキー 春の祭典
レナード・バーンスタイン 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
「答えぬ質問」というのは、今は「答えのない質問」と訳されている。(The Unanswered Question)
作曲から半世紀後の1951年にバーンスタインによって初演されたアイヴスの交響曲第2番をその10年後に日本で理想的な組み合わせで聴けるなんて。
操り人形のように左右両方の手足を伸ばしてバラバラに振るバーンスタインのハルサイもおそらく稀代の見もの。
既にマーラーのスペシャリストであったバーンスタインは、東京に来る前に3月30,31、4月1,2日の四日間定期でマーラーの3番を振っているが、東京にマーラーのプログラムは持ってきてない。当時3番はソリストの関係もあり無理と思われる。やれるとすれば1,4,5,6,7,9番あたり。9番ショックはもっとあとに受けることになる。
おわり。