河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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0235- ライナー ニューヨーク・フィル in PA

2007-03-23 21:52:00 | 音楽




ヨーロッパでオペラにたたきあげられてたライナーは、1920年代初頭にはアメリカで活躍し始めていました。
1940年代にはメトロポリタン・オペラ・ハウスにもはいったりしましたが、その前の1920年代のオーケストラ相手の棒はどうだったのでしょうか。
いろいろなオーケストラを振っているなか、当然ニューヨーク・フィルも振っております。
1928-1929シーズンというのは、メンゲルベルク、トスカニーニによる巨頭体制で突進していたニューヨーク・フィルですが客演指揮者もおりました。
フリッツ・ライナーほか、ウォルター・ダムロッシュ、オシップ・ガブリローヴィッチ、アルトゥール・オネゲル、クレメンス・クラウス、ベルナルディーノ・モリナーリが客演の棒をとっておりました。
ライナーは、メンゲルベルク、トスカニーニに負けじとニューヨーク・フィルをぶら下げてフィラデルフィアまで行って公演をおこなったりもしました。
今日はライナーと一緒にフィラデルフィアに行ってきました。

1929年1月28日(月) 8:15pm
アカデミー・オブ・ミュージック
フィラデルフィア

ダニエル・グレゴリー・メイソン/
祝典序曲「CHANTICLEER」
レスピーギ/組曲「鳥」
バッハ/二つのコラール・プレリュード
 (シェーンベルク編)

プロコフィエフ/スキタイ組曲「アラとロリー」
イベール/寄港地

フリッツ・ライナー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

はっきりいって、多彩すぎるプログラム、てんこ盛りということでしょうか。
メイソンさんだけはよくわかりませんけど。

ふくろうのような目つきで体を微動だにせず棒を振り、というのは変ですが、そう言いたくなるような微動棒で超ユニークな指揮姿が音楽への真摯な取り組みを思い起こさせてくれるライナーでしたが、人生後半のシカゴの時代は別にしても1920年代はもう少し動いていたのではないでしょうか。
5曲も振る日もあるわけですから、それなりにエネルギーの貯蓄と発散はあったものと思われます。
この1月28日の公演プログラムはフィラデルフィアでの演奏だったから、ということではありません。
これに先立ち、ニューヨークの定期で、1月24,25,26日の三日間、フィラデルフィア公演と同じ曲を振っております。練習は十分だったということになります。
そして、1月27日には、オール・ワーグナー・プログラムで面目躍如たるところを示しておりました。ですからぶっ続けの演奏会をこなしていたということになります。

ところで、ダニエル・グレゴリー・メイソンさんというのは、コロンビア大学の音楽部門のヘッドだったようです。この祝典序曲は、ライナーにゆかりの深いシンシナチ管弦楽団が初演を行っております。棒はもちろんライナーです。1928年11月23日が初演ですから、このフィラデルフィアでの公演でもいわばホヤホヤ状態の曲を聴いたことになるわけです。

ライナーはオーケストラ・ビルダーとして名声を重ねるわけですが、思うに、ニューヨーク・フィルには極端なビルダーはふさわしくないような気もします。
いままでニューヨーク・フィルの常任指揮者としてそのような人物がなったことはないような気がします。極端に現代音楽が好きな指揮者はおりましたけど。
おわり




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